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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
葬送之章
134/404

醒めない夢 其之弐

永倉が阿比留の顔をのぞき込んだ。

「いまは家里次郎の話をしてんだぜ?あんた、大丈夫か?」


「ああ、ああ、あの若造か。あの若造なら知ってる。あいつなら、なおのこと。ふふ、はは…」

うそぶく阿比留自身も、沖田や家里らとそう年は違わない。

しかし、病で憔悴しょうすいしきったその顔は、ひとまわりもけて見えた。


「あのですね!」


沖田はようやく、みなの注意を引くことに成功した。

「みなさん、普通にメシ食ってますけど、この味噌汁みそしる…具が入ってなくない?」

ゆうの眉がピクリと動き、この日の禁忌(タブー)に触れた沖田をにらみつけた。

「…文句なら永倉はんにうてや」

すでに事情を知る一同は、ゆう剣幕けんまくに息を飲んだ。


「…な、なんです?わたし、今なんか変なこと言いました?」

ようやくおかしな空気を感じ取った沖田が、不安そうに周囲を見渡したそのとき、阿比留が上ずった声で小さな悲鳴をあげた。

「ヒッ…み、み、見ろよ、味噌汁みそしるに女がおぼれてる」

小刻みに震える手で、包み込むように持った椀を凝視ぎょうししている。


「…えっ?…ええええーっっ!?」


藤堂と島田魁が阿比留の手にしたわんに飛びついて、中を食い入るように見つめた。

「なに?…どこ?どこに?」

「な?ちゃんとネギは入っとるやろ?」

ゆうが、冷ややかな口調で念を押した。


絶妙のタイミングで反撃に出たゆうに、みなが気を取られたその瞬間、

ガシャンというぜんをひっくり返す音が響いた。

「きゃ…!」

ゆうが口元を押さえて腰を浮かす。


さっきまで喋っていたはずの阿比留鋭三郎が昏倒こんとうしていた。


錯乱さくらんしているようだ。今朝から様子がおかしかった」

斎藤一がはじめて口をひらいた。

どうやら彼は、阿比留の奇行にずっと目を光らせていたらしい。


一同が呆気あっけにとられるなか、島田魁が動いた。

「医者に連れて行こう。柳太郎、手を貸せ。おまえ、浜崎先生の診療所に行ったことあるんだろう?」

末席でモソモソと飯を食べていた馬詰柳太郎が顔をあげる。

「はあ…」

「あ、それならわたしが。いやだって、柳太郎はまだ足を引きずっているから無理でしょう?」

めずらしいことに沖田が名乗りをあげた。

先日、柳太郎が石井秩いしいいちに見せた妙な素振そぶりを思い出して、不安になったらしい。


沖田と島田は阿比留を運ぶために二人がかりで戸板といたに乗せたが、せさらばえたその身体は驚くほど軽かった。



浜崎診療所の門はすでに閉ざされていて、島田の呼ばわる声にかんぬきを外したのは、またしても助手の石井秩いしいいちだった。


「沖田さん?」


いちは一瞬驚いた顔を見せたが、職業柄しょくぎょうがら夜半やはんに人がたずねてくることには慣れているようで、戸板といたに寝かされている阿比留を見るまでもなく急患きゅうかんと察したようだ。

「先生をお呼びしてきます」

いちは診察室の扉をひらいて沖田たちを通すと、すぐ奥に走っていった。


やがて四十前後の束髪そくはつ(後ろでひっ詰めた髪型)の男が十徳じっとく儒者じゅしゃなどが羽織る上着の一種)のひもを結びながらあわただしく姿を現した。

診療所の主、浜崎新三郎である。

うしろには、これも医術の心得こころえがあるという妻の浜崎徳はまさきとくを引き連れている。


「さっきまで普通にメシを食っていたと思ったら、いきなりぶっ倒れまして」

島田が簡単に事情を説明した。

すでに阿比留を何度か診察していた浜崎も、困惑こんわくしたように首をひねった。

「阿比留様ですか…以前からなにかの中毒を疑っておったのですが、見たことのない症状で。いずれにせよ、元から身体が弱っていたから、これは不味マズいな」

そのとき、阿比留の身体が突然ビクンとね上がった。


「阿比留様!?阿比留様!?」

手足をバタつかせる阿比留を必死で押さえつけながら、浜崎は声をかけ続けたが、耳には入っていないようだ。

なにか必死に叫んでいるが、ほとんど聞き取れない。

「おふたりは、部屋を出てください!」

沖田と島田は、浜崎徳に診察室の外へ追いやられた。



どこかで物悲ものがなしげな野良犬の遠吠とおぼえが聞こえる。

「なんだか、阿比留さんの悪夢にでも入り込んだような気分だ」

沖田は空にぼんやりと浮かぶ上弦じょうげんの月を見上げながらつぶやいた。


二人が無言のまま半刻はんときも過ごしたころ、ようやくいちが姿をみせた。


「阿比留の具合はどうです?」

島田が立ち上がって尋ねると、いちは疲れた笑顔を見せた。

「ええ、先生の処方しょほうで、すこし落ち着いたみたいです」

「そう、よかった」

沖田は胸をでおろした。

しかしいちは、一度診察室を振り返ってから沖田たちに視線を戻すと、力なく首を振った。

「原因が分からないのでそうとばかりも言えません。今日のところはうちでおあずりしますから、沖田さんたちはひとまずお帰りください」

「では、明日の朝にでもまた様子を見に来ます。よろしくお願いします」

沖田と島田はうなずきあって、浜崎診療所を辞去じきょした。



ところが。

屯所とんしょに帰った沖田たちが腰を落ちつけて一息つく間もなく、八木家の門をたたく音が聞こえた。


沖田が門まで出てみると、そこには頬をかすかに上気させた石井秩いしいいちが立っている。

ここまで走ってきたのだろう。

「おいちさん」

その姿を見た途端とたん、沖田は何が起こったかを悟った。


「阿比留様が、たったいま息を引き取られました」


他の隊士たちはすでに床に就いている。

沖田と島田は、そのままいちと連れ立って診療所へ向かった。

通りには、すでにひんやりとした空気が沈殿ちんでんしている。

三人は押し黙ったまま、いま来た道を引き返した。



布団に横たわる阿比留鋭三郎のおもてには、白い布が被せられていた。

「…お二人が出られてからすぐ、また目を覚まされたのですが」

道中、ずっと無言だったいちがようやく口を開いた。

遺体のかたわらに座っていた治医じいの浜崎新三郎が一礼して、その後を引き取った。

譫言うわごとでしょうが、なにやら辻褄つじつまの合わないことをわめき散らしまして、また急に静かになったかと思うと、そのまま眠るように…」

わめくって、いったい何をわめいていたんです?」

沖田は白い布に目を落として、静かに尋ねた。

だが、浜崎医師も、どう説明すればいいのか戸惑とまどうばかりだ。

「いや…ほとんど意味のない言葉の羅列られつでしたが、そういえば何度も『あの女!』と叫んでいました」

「あの女?阿比留がそう言ったんですか?」

「ええ」

「誰のことだろう」

「さあねえ…」

阿比留とは、必要なこと以外ほとんど話したことのない浜崎が、その問いに答えられるはずもなかった。


「おゆうちゃんのことかな?」

沖田が誰にともなく言うと、島田が納得いかないという風に首をかしげた。

「“あの女”って言葉とおゆうちゃんが、どうにも結びつかないなあ」


殺風景さっぷうけいな診察室に静寂せいじゃくが訪れた。

阿比留鋭三郎が死んだ後も、

彼の悪夢だけがまだ続いているかのようだ。


「あの、阿比留さんにご親族の方は?」


いちの声だけが、妙に現実的な重みをもって響いた。


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