醒めない夢 其之壱
壬生浪士組創設メンバーのひとり、阿比留鋭三郎は、陽が昇るころにはすでに布団から半身を起こしていた。
かれこれ半月ほども病床に臥せっていた彼にはめずらしいことだったが、決して体調が優れているとはいえず、半覚醒とでもいうのか、朦朧とした状態が続いている。
世話をする八木家の者や、浪士組の仲間が何を聞いても支離滅裂な返事しかしないのだ。
ところが夕刻も近くなった頃、家事を手伝いに来た祐の姿に、うつろな目の焦点が合った。
祐は、阿比留が永らく横恋慕している相手だ。
「…よう、お祐、どこいってたんだよ」
はだけた浴衣からのぞく、アバラの浮き出た胸もとを掻きむしりながら、阿比留はいきなりハッキリした口調で喋りだした。
「阿比留はんには関係あれへんやろ」
白湯を運んできた祐の返事は、いつものように素っ気ない。
「俺の世話は、おまえの仕事だろ?勝手に休まれちゃ困るな」
「ちょっと!勝手に決めんといて!なんでうちが…!」
ムッとして振り返った祐の手首を、阿比留はいきなり鷲づかみにした。
病人とは思えないほどの握力で、祐には振りほどくこともできない。
「痛い!」
阿比留は、祐の首筋から耳元へ沿って、ゆっくりと鼻先を近づけてゆき、落ち窪んだ目で、その顔をのぞき込んだ。
「俺は知ってるんだ…この病気はな、恋煩いさ。俺の言ってる意味、おまえにも分かるよな?つまり、これはお前のせいなんだよ」
血走った眼の放つ鈍い光は、それが冗談でないことを物語っていた。
「離して!うち、ご飯の用意せなあかんのや!」
祐が思わず声を荒げたとき、締め切った障子ごしに、低い声がした。
「…なにを騒いでいる」
阿比留がそちらに気をとられた隙に、祐はつかまれていた腕を引き剥がした。
床に後ろ手をついたまま後ずさって、縁側の障子を開け放つと、そこには片膝をついて刀の手入れをする斎藤一の姿があった。
阿比留は鬼気迫る目で、斎藤を睨みつけた。
彼は、古参の自分を差し置いて副長助勤に任命されたこの男が、以前から気に食わなかった。
「…男女の秘め事をのぞき見とは、趣味が悪いな」
しかし、斎藤は怖気づくどころか、まるで学者が珍しい生き物を観察するような冷たい目で阿比留をジッと見つめている。
「俺はさっきからずっとこうしている。お前たちが勝手に痴話げんかを始めただけだろう」
祐はムキになって、斎藤に詰め寄った。
「へんなこと言わんといて!うちは…」
「俺には関係ない話だ」
斎藤は祐の反論を断ち切ると、ノソリと立ち上がって行ってしまった。
「ちっ、あの新入り、妙に無口で何を考えてるのかさっぱり分からん。ありゃ普通じゃねえ」
「…イカれとるのは、あんたかて一緒や」
祐は手首に残る痛みに顔をしかめながら毒づいた。
「そんなこたあないさ。頭はハッキリしてる。むしろ今日は調子がいい」
阿比留はどうした気まぐれか、ムクリと布団から起き出すと、帯を締めなおした。
祐としては、この男と金輪際口など利きたくなかったが、持ち前の好奇心を押さえ切れない。
「どこに行くん?」
「腹ごなしの散歩さ。今日はみなと一緒の部屋で飯を食う」
思えば、阿比留が床を出て、離れで暮らす隊士たちと食膳を並べたときから、この夜は何かがおかしかった。
近藤勇ら幹部たちが前川邸に移ったあと、離れでは、井上、永倉、沖田ら試衛館の面々が、島田魁や馬詰親子といった新参の隊士たちと一緒に食事をとるのが通例になっている。
この日、フラリと六畳間に入ってきた阿比留を見て、最初に声をかけたのは井上源三郎だった。
「おや、阿比留さん、もう起きて大丈夫なのかい」
「ちょっと目を離したスキに新入りがデカい顔するようになっちゃ、おちおち寝ていられませんよ」
阿比留はそう言って、斎藤をジロリとにらんだ。
斎藤は、鋭い一瞥をくれただけで、その皮肉を黙殺した。
そこに、巡察から帰ってきた沖田総司が遅れて加わった。
「あれ?めずらしいな。みなさんお揃いで」
相変わらず空気の読めない能天気さに、永倉新八が舌打ちする。
「ちっ、なにがお揃いだよ。粕谷新五郎はまだ見つかんねえのか?」
「無駄ですよ。今頃はとっくに我々の手が及ばないところまで逃げてるに決まってる」
すました顔でそう返すと、席に着き、味噌汁に口を付けとたん、沖田は眉を寄せた。
「…ん?」
不思議そうに椀をのぞき込んで唸る。
祐は、沖田の何か言いたげな態度をわざと無視するように、かたわらの井上に問いかけた。
「おかわりは?」
井上は無意識に飯盛り茶碗を差し出して、阿比留との話を再開した。
「粕谷さんはともかく、家里次郎の動向は気がかりだ。阿比留さん、あんた、なにか聞いてないのかい?」
しかし阿比留は、祐の裾からのぞく脚に気もそぞろで、おざなりな返事しかしない。
「ここ最近、俺が見聞きしたのは、せいぜいこの家と壬生寺で起こっている出来事くらいのものでね」
「今ごろなに言ってんのさ、アレも遠くへ逃げたんですよ…てかさ、」
沖田総司が箸で椀を指しながら何か言おうとするのを、藤堂平助がさえぎった。
「殿内が殺られてビビりやがったんだよ」
一座に気まずい沈黙が流れた。
殿内の身に起こったことについて、芹沢や近藤から特に公式の発表はなかったが、隊士たちの誰もが本当のことに薄々気づいていたからだ。
「根岸さんは引き連れていた郎党ごと姿を消しちまうし、粕谷さんも雲隠れ、家里さんもか…いったい何のために半月もかけて都まで上ってきたんだかねえ」
どこまで事情に通じているのか、井上源三郎が惚けた口ぶりで嘆いてみせると、阿比留は、まるで他人事のように笑った。
「割に合わんお役目だと気づいたのかもな」
「つーか、あんたはなんでまだいるんだ?」
遠慮のない藤堂は、皆が思っていても口に出せなかったことをズバリと聞いた。
「いちゃ悪いか?俺も大樹公をお守りするまで帰る気はない」
「ですよね。ここにいる人間は皆そうだ。ていうか、この…」
沖田は身を乗り出して話を続けようとしたが、またしても藤堂平助が邪魔に入る。
「水戸の連中は脱走者を見つけたら斬るとか言って、ずいぶん鼻息が荒かったぜ?」
「めんどくせえ。放っとけよ、そんなもん」
永倉は不快そうに茶をすすった。
「いや、あの…」
沖田はなんとか話に割り込もうとしたが、その言葉は、今度も熱に浮かされたような嗤い声によってかき消された。
「フフフ、ヒヒヒ、身体が治りゃあ清河八郎のごとき、一刀のもとに斬り伏せてやるんだが」
阿比留は、記憶を混同しているらしい。
狂ったように刀を振り回す仕草をして、また祐の手首をつかんだ。
「なあ、お祐。ひ、ひひ」
「ええ加減にして!」
祐はヒステリックな怒声をあげた。




