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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
葬送之章
133/404

醒めない夢 其之壱

壬生浪士組創設メンバーのひとり、阿比留あびる鋭三郎は、が昇るころにはすでに布団から半身はんしんを起こしていた。

かれこれ半月ほども病床びょうしょうせっていた彼にはめずらしいことだったが、決して体調が優れているとはいえず、半覚醒はんかくせいとでもいうのか、朦朧もうろうとした状態が続いている。

世話をする八木家の者や、浪士組の仲間が何を聞いても支離滅裂しりめつれつな返事しかしないのだ。


ところが夕刻も近くなった頃、家事を手伝いに来たゆうの姿に、うつろな目の焦点しょうてんが合った。

ゆうは、阿比留が永らく横恋慕よこれんぼしている相手だ。


「…よう、おゆう、どこいってたんだよ」

はだけた浴衣ゆかたからのぞく、アバラの浮き出た胸もとをきむしりながら、阿比留はいきなりハッキリした口調でしゃべりだした。

「阿比留はんには関係あれへんやろ」

白湯さゆを運んできたゆうの返事は、いつものように素っ気ない。

「俺の世話は、おまえの仕事だろ?勝手に休まれちゃ困るな」

「ちょっと!勝手に決めんといて!なんでうちが…!」

ムッとして振り返ったゆうの手首を、阿比留はいきなりわしづかみにした。

病人とは思えないほどの握力で、ゆうには振りほどくこともできない。

「痛い!」

阿比留は、ゆうの首筋から耳元へ沿って、ゆっくりと鼻先を近づけてゆき、落ちくぼんだ目で、その顔をのぞき込んだ。

「俺は知ってるんだ…この病気はな、恋煩こいわずらいさ。俺の言ってる意味、おまえにも分かるよな?つまり、これはお前のせいなんだよ」

血走った眼の放つにぶい光は、それが冗談でないことを物語っていた。


「離して!うち、ご飯の用意せなあかんのや!」

ゆうが思わず声を荒げたとき、締め切った障子ごしに、低い声がした。

「…なにを騒いでいる」


阿比留がそちらに気をとられたすきに、ゆうはつかまれていた腕を引きがした。

床に後ろ手をついたまま後ずさって、縁側えんがわ障子しょうじを開け放つと、そこには片膝かたひざをついて刀の手入れをする斎藤一の姿があった。


阿比留は鬼気きき迫る目で、斎藤をにらみつけた。

彼は、古参こさんの自分を差し置いて副長助勤ふくちょうじょきんに任命されたこの男が、以前から気に食わなかった。

「…男女のごとをのぞき見とは、趣味が悪いな」

しかし、斎藤は怖気おじけづくどころか、まるで学者が珍しい生き物を観察するような冷たい目で阿比留をジッと見つめている。

「俺はさっきからずっとこうしている。お前たちが勝手に痴話ちわげんかを始めただけだろう」

ゆうはムキになって、斎藤に詰め寄った。

「へんなこと言わんといて!うちは…」

「俺には関係ない話だ」

斎藤はゆうの反論を断ち切ると、ノソリと立ち上がって行ってしまった。


「ちっ、あの新入り、妙に無口で何を考えてるのかさっぱり分からん。ありゃ普通じゃねえ」

「…イカれとるのは、あんたかて一緒や」

ゆうは手首に残る痛みに顔をしかめながら毒づいた。

「そんなこたあないさ。頭はハッキリしてる。むしろ今日は調子がいい」

阿比留はどうした気まぐれか、ムクリと布団から起き出すと、帯を締めなおした。


ゆうとしては、この男と金輪際こんりんざい口など利きたくなかったが、持ち前の好奇心を押さえ切れない。

「どこに行くん?」

「腹ごなしの散歩さ。今日はみなと一緒の部屋でめしを食う」



思えば、阿比留が床を出て、離れで暮らす隊士たちと食膳しょくぜんを並べたときから、この夜は何かがおかしかった。



近藤勇ら幹部たちが前川邸に移ったあと、離れでは、井上、永倉、沖田ら試衛館しえいかんの面々が、島田魁や馬詰親子といった新参しんざんの隊士たちと一緒に食事をとるのが通例つうれいになっている。

この日、フラリと六畳間に入ってきた阿比留を見て、最初に声をかけたのは井上源三郎だった。

「おや、阿比留さん、もう起きて大丈夫なのかい」


「ちょっと目を離したスキに新入りがデカい顔するようになっちゃ、おちおち寝ていられませんよ」

阿比留はそう言って、斎藤をジロリとにらんだ。

斎藤は、鋭い一瞥いちべつをくれただけで、その皮肉を黙殺もくさつした。


そこに、巡察じゅんさつから帰ってきた沖田総司が遅れて加わった。

「あれ?めずらしいな。みなさんおそろいで」

相変わらず空気の読めない能天気さに、永倉新八が舌打ちする。

「ちっ、なにがおそろいだよ。粕谷新五郎かすやしんごろうはまだ見つかんねえのか?」

「無駄ですよ。今頃はとっくに我々の手が及ばないところまで逃げてるに決まってる」

すました顔でそう返すと、席に着き、味噌汁に口を付けとたん、沖田はまゆを寄せた。

「…ん?」

不思議そうにわんをのぞき込んでうなる。


ゆうは、沖田の何か言いたげな態度をわざと無視するように、かたわらの井上に問いかけた。

「おかわりは?」


井上は無意識に飯盛めしも茶碗ぢゃわんを差し出して、阿比留との話を再開した。

「粕谷さんはともかく、家里次郎いえさとつぐおの動向は気がかりだ。阿比留さん、あんた、なにか聞いてないのかい?」

しかし阿比留は、ゆうすそからのぞく脚に気もそぞろで、おざなりな返事しかしない。

「ここ最近、俺が見聞きしたのは、せいぜいこの家と壬生寺で起こっている出来事くらいのものでね」


「今ごろなに言ってんのさ、アレも遠くへ逃げたんですよ…てかさ、」

沖田総司がハシわんを指しながら何か言おうとするのを、藤堂平助がさえぎった。

「殿内が殺られてビビりやがったんだよ」


一座に気まずい沈黙が流れた。

殿内の身に起こったことについて、芹沢や近藤から特に公式の発表はなかったが、隊士たちの誰もが本当のことに薄々気づいていたからだ。


「根岸さんは引き連れていた郎党ろうとうごと姿を消しちまうし、粕谷さんも雲隠くもがくれ、家里さんもか…いったい何のために半月もかけて都までのぼってきたんだかねえ」

どこまで事情に通じているのか、井上源三郎がとぼけた口ぶりでなげいてみせると、阿比留は、まるで他人事ひとごとのように笑った。

「割に合わんお役目だと気づいたのかもな」

「つーか、あんたはなんでまだいるんだ?」

遠慮のない藤堂は、皆が思っていても口に出せなかったことをズバリと聞いた。


「いちゃ悪いか?俺も大樹公たいじゅこうをお守りするまで帰る気はない」

「ですよね。ここにいる人間はみなそうだ。ていうか、この…」

沖田は身を乗り出して話を続けようとしたが、またしても藤堂平助が邪魔じゃまに入る。

「水戸の連中は脱走者を見つけたら斬るとか言って、ずいぶん鼻息が荒かったぜ?」

「めんどくせえ。放っとけよ、そんなもん」

永倉は不快ふかいそうに茶をすすった。

「いや、あの…」

沖田はなんとか話に割り込もうとしたが、その言葉は、今度も熱に浮かされたようなわらい声によってかき消された。

「フフフ、ヒヒヒ、身体が治りゃあ清河八郎のごとき、一刀のもとに斬り伏せてやるんだが」

阿比留は、記憶を混同こんどうしているらしい。

狂ったように刀を振り回す仕草しぐさをして、またゆうの手首をつかんだ。

「なあ、おゆう。ひ、ひひ」

「ええ加減にして!」

ゆうはヒステリックな怒声をあげた。


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