魑魅魍魎、跋扈 其之肆
「それにしても驚きましたね。オレたちの他にも清河を狙ってた奴がいたとはさ。あの男はいたるところで恨みを買ってるみたいだ」
仏生寺が出て行くと藤堂は永倉に肩を寄せてささやいた。
「ま~ったく大した偶然もあったもんだ!この分じゃ、清河の悪運も長くは続かねえなあ!」
永倉は、まるでこの場にいる誰かに聴かせようとでもするように声を張り上げた。
「永倉さん!?」
琴は永倉に正体がバレたことを悟って、腰を浮かせた。
いずれにせよ、早く仏生寺の後を追わねばならない。
「勘定を」
と声をかけたが、主人は浪士組の二人にクドクドと礼を述べるのに忙しい。
「ほんまに。ほんまにおおきに」
「いいよ。仕事なんだから」
永倉はわずらわしそうに手を振った。
しかし、主人はこのまま永倉たちを帰しては不味いと思ったらしい。
「そういうわけには。これ、少のおすけど」
と、上がりの一部を差し出した。
どうやら主人には、というより京の人々には、浪士組と侠客の区別さえついていないようだ。
永倉はどうにもやり切れなくなった。
「なんだあ?そりゃ!みかじめ料かなんかのつもりかあ!?」
「ひっ!」
主人は血の気を失って身をすくめる。
永倉はすっかり閉口して、
「…あのなあ。そんなに身銭を切りたいなら、この兄ちゃんに飲み代を奢ってやんなよ」
と変装した中沢琴の肩に手をおいて、妥協案を示した。
「そ、それくらいやったら、お易い御用どす」
主人は嬉々としてうなずいた。
「いや、私は…」
琴は突然話に巻き込まれて、戸惑いをかくせない。
この永倉という男にはいつも慌てさせられる。
「いいからいいから。“貸し”はいずれ返してもらうよ。イヒヒ」
永倉はニヤリと笑って、琴の腰のあたりをなでた。
琴は、いつから気づかれていたのだろうといぶかりながらも、永倉をにらみつけた。
だが、永倉はすべてを見透かしたように、
「早く行かねえと、仏生寺の旦那を見失っちまうぜ?」
と店の外に目をやった。
「まったく…じゃあね、平助くん」
先を急ぎたい琴は、かるく首を振りながら店を出ていく。
「あーっ!あれ…」
藤堂もようやく気がついたらしく、出口を指さしたが、すでに琴の姿はない。
「いいか?今日あったことは誰にも言うな」
なおもペコペコと頭をさげる店主を振り切って表通りに出るなり、永倉がめずらしく真顔で言った。
小石を蹴りながら先を行く藤堂は、半分聞き流している。
「なに?お琴さんのこと?」
「ちがう!仏生寺のことだよ」
「別にいいけど、なんでさ?」
「芹沢さんは、あの酔っ払いを浪士組に引き入れようとしてる」
藤堂は歩みをとめ、芹沢と仏生寺が差し向かいで飲む様子を想像して顔をしかめた。
「…悪い冗談だぜ。だいたいさ、同門の永倉さんにゃ悪いが、あんなゴロツキみたいな男がこの町になんの用です?どう見ても、尊皇だの攘夷だのって柄じゃないでしょ」
「血の匂いを嗅ぎつけて、魑魅魍魎どもが集まって来たってとこさ。しかし、あんな物騒な男まで姿をみせたってことは、都もこれからますます血生臭いことになりそうだぜ」
永倉は気が重そうにつぶやいて、禁裏の築地塀に視線を移した。
道草を食った二人が、禁裏近辺を一周してその日の勤めを果たしたのは、日も暮れかかる頃だった。
やっと壬生村へ戻って来ると、八木家の門の前に、なぜか原田左之助がつっ立っている。
「腹が減った」
「…なに?」
永倉は眉をしかめて聞き返した。
「腹が減ったんだよ!」
原田が不機嫌に同じ言葉を繰り返した。
「なぜそんなことをおれに言う?」
「なぜって、おまえのせいで、いつまで経っても晩飯の支度ができねえからだろ!」
永倉は、今の今まですっかり忘れていたお使いを思い出した。
「…あ!やっべ…」
となりを見たが、さっきまで肩を並べていたはずの藤堂はすでに屋敷に入ってしまった後だ。
「…おまえ、まさか」
永倉は、今にもわめき散らしそうな原田の口を押さえつけた。
「しーっ!これには、いろいろ深い事情があんだよ」
原田は憎悪に満ちた目で永倉をにらみつけている。
「なに男同士でコソコソ話してるん?気持ち悪いな」
原田の後ろから、竹箒を肩にのせて近づいてきたのは、このところ姿をみせなかった祐だ。
「お祐ちゃん!もう来ないのかと心配してたんだぜ」
永倉は話をそらす口実をみつけて、祐に駆け寄った。
「阿比留鋭三郎くらいにひるんどったら、不逞浪士の相手なんかできへんからな。それに、やっぱり浪士組のみんなと一緒にいたいから」
どこか吹っ切れたような笑みで、祐は離れを見やった。
「…ど、ど、どした?なにがあった?急にしおらしくなっちゃって。“浪士組のみんな”とか、そんな気持ち悪いこという柄じゃなかったろ?」
永倉は心配そうに祐の肩に手を置いた。
祐はその手を睨んでから、軽くはねのけた。
「ま、若い新入りの中には二枚目もおるし、その他大勢もチヤホヤ傅いてくれるさかい、居心地がええゆう意味や」
「あ、ああ、そう…変わりなくて、安心したぜ」
祐は、二の句が継げないでいる二人を品定めするように、人差し指を漂わせた。
「ま、あんたら二人は…微妙な線やけどな」
「おまえ…何でもかんでも正直にズケズケ言やいいってもんでもねえぞ…」
あの原田すら呆れさせる口の悪さだ。
「これ!今日は永倉はんがお祐ちゃんの代わりに八百藤)へ行ってくれはったんえ」
話し声を聞きつけた八木雅が玄関から顔を出し、めずらしく永倉の肩をもって、祐をたしなめた。
面倒な夕飯の支度もあらかた終わり、多少気持ちにもゆとりができたらしい。
あとは味噌汁に永倉が買ってきた大根と加茂茄子をいれるばかりのようだ。
「あ…いやあ、それが」
永倉はふたたび窮地に追いやられた。
ピンときた祐が眉を吊り上げる。
「なんや、行ってへんの?」
「いや、行くには行ったの!行くには行ったんだけどね!」
「ほんで、八百屋の店先まで行って、なんも買うてこんかったん!?」
「ごめん!なに買うか忘れちゃってさ」
祐は鬼の首を獲ったように、雅にまくしたてた。
「みてみ、御寮さん(奥さんの意)。ほんま、使えへんやろ!」
「お祐ちゃん、ほんまにもうええさかい」
タジタジの永倉をみて、雅はおかしそうに口元を覆った。
「そやけど、子供やないねんから、なに買うか忘れたて!」
原田も、だんだん永倉に同情を覚えてきたらしい。
「もう勘弁してやれよ。こいつも、よかれと…」
祐は憐れむように原田を見て、ため息をついた。
「わかってへんな」
「なにが」
「どうせ八百屋の娘にスケベ心出して、頭から飛んでもうたんやろ」
原田と祐は申し合わせたように永倉の顔を見た。
永倉は決まり悪そうに目を逸らす。
しかし原田はその視線のさきにまわりこんで問い詰めた。
「…なに?そういうこと?」
「え~っとね…」
永倉は白い目で睨む二人に耐えきれず、ついに開き直った。
「だ~って、しょうがねえだろ!朝っから晩まで、こんなムサッ苦しい男ばっかりの屋敷に閉じ込められてちゃあ、息が詰まるんだよ!」
「なんやて!」
今度は雅と祐が額に青筋をたてて声をそろえた。
「あ~っと、ごめんなさい!…ほぼ!…ほぼ男ばっかり!」
「誰がほぼ男や!」
ともあれ、永倉新八は、八木家でのこうした平穏な生活が少しでも長く続けばいいと願って止まなかったが、悲劇が立て続けに襲ったのはそれから間もなくのことだった。




