魑魅魍魎、跋扈 其之弐
“あぐり”というその少女は、毎日のように行商で八木家を訪れていたから、永倉の顔にも見覚えがあった。
「あら、いらっしゃい。どないしはったんです?」
「あぐりちゃんがちっとも会いに来てくんねえから、こっちから出向いたんじゃねえかよう」
永倉は、今にも抱きつきそうな勢いでにじり寄る。
あぐりは困惑した笑みを浮かべて、さりげなく身を引いた。
「け、今朝がたも、八木様のお宅にはうかがいましたけど…?」
「いや~ん、マ~ジ~で~?ざ・ん・ね・ん!んじゃ、離れにも顔出してくんなきゃあ」
甘えた声で、永倉は恥も外聞もなくデレデレと身をよじった。
出遅れた藤堂は、その醜態を少し離れたところから見て、顔を引き攣らせた。
「…目的は女かよ」
あぐりは、慎重に距離を取りながら尋ねた。
「それであの、御用件は?」
「実はさ、お雅さんのお使いでね」
「あ、そうですか。おっしゃって頂ければ、すぐにお包みしますけど」
あぐりは少しホッとしたものの、まだ警戒を解いてはいない。
だが、永倉の方はハタと考え込んだ。
「…アラ?で、なにを頼まれたんだっけか?」
振り返って藤堂を頼ったが、
「知らね」
と、素っ気なく突き離された。
「ほんなら、思い出したら、もう一回声かけてもらえますか?」
あぐりは言い置いて、逃げるように他の客の相手を始めた。
「あ、待って待って!」
正直、女性からつれなくされることには慣れっこの永倉も、あぐりの態度から浪士に対する怯えのようなものを感じ取って一瞬表情をくもらせた。
そのとき、母親らしき年配の女性が、娘をかばうように永倉の前に立ちはだかった。
「なんにしまひょ?」
揉み手をしながら愛想笑いを浮かべてはいるが、その目の奥にはやはり警戒と恐れの色が窺える。
永倉は、突然醒めて、なんだかやりきれない気持ちになった。
「えっと!!あ~いや、…また帰りにでも寄らせてもらうよ」
烏丸通りへ出て禁裏(御所)に向かう道中、急に口数の減った永倉の背中を見て、藤堂は複雑な思いに駆られた。
「どうやら、我々の評判があまり芳しくないってのは本当のようですね」
「そりゃまあ、おめえみてえに目つきの悪い奴がうしろに控えてりゃ、口も重くなるさ」
永倉は、冗談めかして応じたが、動揺は隠せない。
八百藤での一部始終を見ていた藤堂は、永倉の気持ちを察して、あえてその軽口に調子をあわせた。
「これでも、島原あたりじゃ目元の涼しい色男で通ってるんスがね」
「ケッ!そんなとこに通うのは十年早えよ。半人前がくだらねえ遊びばっか覚えやがって」
「情報収集の一環ですよ。気のせいかもしれんが、都の連中は長州人にずいぶん愛想がいい」
「気のせいじゃねーだろ。まあ、奴らはたいてい、いい身ナリをしてやがるかんなあ。お~れなんか、たまに自分の方がならず者なんじゃねえかって不安になるくらいだぜ」
永倉はさらに落ち込んだ様子で肩を落とした。
「八百屋でのスケベっぷりを見るかぎり、それも気のせいとばかりは言えませんがね。だいたい、お琴さんの方はどうなったんです?」
「チェーッ!萎えること言うなってんだ!いいか?道を歩いてて、可愛い子猫ちゃんが二匹捨てられてたとしろ?人情として、どっちか一匹を見捨てられっか?」
「…屁理屈にしても、もうちっとマシな例えはないんスか?まず猫を二匹も飼う甲斐性があるのか、自分を疑ってみた方がいいすよ」
「…そういう生々しい現実は、ひとまず置いとけよ…。真面目に考えちゃうだろ」
すっかり滅入った二人が、烏丸通りを禁裏の手前まで上がってきたとき、
小さな辻に面した居酒屋から、なにやら怒声が漏れ聴こえてきた。
「じゃあ何か?おまえらは、これから下関で夷狄と一戦交えようって憂国の士からも金を取ろうってのか?」
開け放った入り口に掛かる暖簾の隙間からは、酔って店の者に絡む数人の男がみえる。
ケンカに目のない藤堂は、仕事抜きで興味津々吸い寄せられていった。
「生々しい現実といやあ、ほらあそこ。絵に描いたような不逞浪士がいますよ?まさか、芹沢さんたちってこたあねえよな?」
「てめえの冗談は、笑えねえつーんだよ!…ん?てか、あれは…」
永倉は急に黙り込んで、店の中にいる浪士たちに目を凝らした。
暴れているのは、仏生寺弥助の取り巻き連中で、つまりそこは、先ほどから中沢琴が仏生寺の行状に呆れつつ監視を続けている居酒屋だった。
が、もちろん、永倉新八と藤堂平助は、そんな事情など知らない。
「いっちょ名誉挽回のために、一肌脱ぎますか?!」
藤堂は、すでに腕をまくっている。
「まあ、まてよ」
永倉は先に立って店の前まで行くと、暖簾から首だけを突っ込んで中をのぞき込んだ。
踏み込まなかったのは、警戒したからではない。
敷居を跨いですぐの土間に、グッタリと伸びている男が邪魔で入れなかったのだ。
店内には、いかにもな風体の「不逞浪士」が四人ほどいて、そのうちの一人が店の主人らしき男の襟首をつかんでいる。
女中や客たちは、怯えた目で、腰を浮かしていた。
彼らも出口で寝転んでいる男のせいで、店から出るに出られないらしい。
永倉は足元の男にチラリと視線を落としてから、暴れている浪士たちの説得を試みた。
「ようよう!あんたらも、昼間っからこんなとこでクダ巻いてねえで、そろそろ帰っちゃどーだい?」
が、もちろんこうした手合いが素直に忠告を聞きいれるはずもない。
「うるっせえな!痛い目に会いてえなら相手してやるぞ?」
永倉は顔をしかめ、両手を挙げた。
「遠慮しとくよ。痛いのは苦手なんだ。んじゃ、しょうがねえ、平助」
「はいよ!」
「やっちまいな」
藤堂はニヤリと笑うと、弾かれたように、入り口で伸びている男ごと土間を飛び越え、板の間に降り立った。
「待ってましたあ!オレぁ、このまま京で一度も刀を抜かずに引っ返すのかと、そろそろ不安になってたとこだぜ。アニキ!!」
「だ…誰がアニキだ。おおい、殺すんじゃねえぞ!」
永倉はウンザリした顔で、釘を刺した。
が。
藤堂は、勢いのまま主人相手にスゴむ男の背中を思い切り蹴りとばした。
不意を突かれた男は、店の隅で静かに飲んでいた浪人の席まで吹っ飛ばされた
“隅の浪人”は慌てる風もなく、飛んできた男の顔面を肘で受け止めたが、それがとどめとなって、男は気を失った。
藤堂は浪士たちを睨め回し、啖呵を切った。
「まったく、昼間っから、いい大人がなにやってんだかなあ?!他のお客さまが怯えてらっしゃるのが分かんねえのか!」
なんとか店内に入った永倉が、藤堂をどやしつけた。
「そりゃてめえのせいだろ!」
頬杖をついた隅の浪人が、聞き取れないほどの声で呟いた。
「…まったく、どっちもハタ迷惑な奴らね」
永倉も藤堂も、それが中沢琴であることには、まだ気づいていない。
呆気にとられていた不逞浪士の一人が、
ようやく我に返って、スラリと刀を抜いた。
「クソガキが!今のうちにせいぜい粋がってやがれ!」
「へえ?誰だあ?今ホザいたのは!いいから、かかってこいよ!」
藤堂は不敵な笑みを浮かべてその男を流し見ると、刀に手をかけた。
「もう謝っても遅えぞ!小僧!」
さらにもう一人が叫び、
二人は同時に藤堂へ襲いかかった。
「いよっと!」
藤堂は軽い身のこなしで攻撃をかわすと、
刀の小尻で一人目の頸の後ろを強かに突き、
返す刀の峰で、もう一人を薙ぎ払った。
浪士たちは、それぞれもんどり打って膳の上に突っこんだ。
割れた陶器の破片が飛び散り、客や店員から悲鳴がもれる。
永倉は、もはや手がつけられないといった風に肩をすくめた。
「おーお。張り切ってやがら」




