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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
葬送之章
129/404

魑魅魍魎、跋扈 其之壱

「やれやれ」


四月初旬のある日、堀川通り沿いにある場末ばすえの居酒屋で、頬杖ほおづえをついた中沢琴は小さなため息を漏らした。


着流しで前髪をおろした琴の姿は、店の雰囲気ともあいまって、うらぶれた浪人そのものだ。

彼女の視線の先には、いわゆる不逞浪士ふていろうしたちが酒に酔って店の女中にくだらないちょっかいを出している。

その中にひとり、女には目もくれず酒をあおるなで肩の小男がいた。


仏生寺弥助ぶっしょうじやすけである。


そう、中沢琴は、ついに仏生寺を見つけ出し、連日尾行をつづけていたのだ。

とは言っても、彼の居場所をつきとめることは造作ぞうさもなかった。

なにせ、この男の日常ときたら、まさしく乱痴気らんちき騒ぎの連続で、都のいたるところに痕跡こんせきを残しているのだから。

琴は、ここ数日というもの、仏生寺のただれた生活ぶりを間近まぢかに見続けて、すっかり嫌気いやけがさしていた。

今となっては、なぜこんな男にシンパシーを感じたのか、自分でもさっぱりわからない。


仏生寺はあいかわらず長州の名をかたって悪行あくぎょうを重ねていた。

入江九一いりえくいち久坂玄瑞くさかげんずいなど、理想家肌りそうかはだ俊才しゅんさいようする長州藩士たちがこのまま黙って見過ごすはずもない。

いや、彼らはすでに何らかの手を打っているに違いなかったが、仏生寺を糸口に長州の過激派との接触をもくろむ琴のねらいはまさにそこだった。


ただ、今のところ仏生寺の周りに目立った動きはない。

変わったことといえば、ちょうどこの日、早朝から、まるで夜鷹(よたか)のような風体ふうていの女とひと気のない神社でひっそりと逢引あいびきしていたことくらいだろうか。

ふたりは二言三言、短いやりとりを交わしたのち、何もせずに別れてしまった。

そのとき、なにかを受け渡しているようにも見えたが、琴がひそんでいた場所からは、手元が死角になっていて、確信までは得られなかった。

それを長州と結びつけて解釈していいものかは、琴にも分からない。


そして、そのあとはお決まりのコースである。

高部弥三雄、三戸谷一馬といったチンピラまがいの取り巻きを引き連れ、朝からハシゴ酒をして、ことごとく代金を踏み倒していく。

店の者がつよく反発すれば、長州の名前を出して脅し、最後には手下を暴れさせる始末だ。

あれだけの才能をもちながら、本当にどうしようもない男だった。


「市中の治安を守るとか息巻いてたあの人たちは何をやってるのやら」

琴は膳のふちを指先でコツコツたたきながらつぶやいた。



同日、昼の八つ(3:00pm)。

市中の治安組織、壬生浪士組の屯所では。


「おゆうちゃん、悪いけど、八百藤やおふじで大根となすび買うてきてくれる?」


八木雅やぎまさが、中庭の物干し場に声をかけてから、がっくりと肩を落とした。

「なんや…おれへんのかいな」

このところ、末娘がまた高い熱を出して何日も寝込んでおり、まさは隊士たちの世話と娘の看護に忙殺ぼうさつされている。


「どうしたんです?」

縁側えんがわ腰掛こしかけて草鞋わらじひもを結んでいた藤堂平助が声をかけた。

雅は藤堂に歩み寄って、耳元に口をよせた。

「最近、阿比留はんがあんまりしつこう言い寄らはるさかい、おゆうちゃんもうちに居辛いづろうなってもうたんかしらん」


ここ数日のあいだにどういう心境の変化があったのかは分からないが、阿比留栄三郎はいきなりゆうに接する態度を変えた。

まるで残された時間がわずかだと悟ったように、積極的というか、強引に迫りはじめたのである。

気の強いゆうも、自分に好意を示す相手をどうあしらっていいのか分からないらしい。

阿比留の扱いにはほとほと手を焼いているようだった。


藤堂は立ち上がると腰に手をやって障子しょうじの締めきられたはなれの四畳半を見やった。

「あいつが半病人じゃなきゃ、ぶっ飛ばしてやるんすがね」

「気持ちはうれしおすけど、そない荒っぽいこと言いなはんな」

まさは息子をたしなめるように言った。

「けど、野口さんあたりがそのことを知ったら、ほんとうに殺しかねないぜ?」

「ほな、内緒にしときましょ」


明治の時代に入ってからも多くの隊士たちがこの家を懐かしんで訪れたという逸話いつわが残ることからも分かるとおり、八木家の人々は浪士たちからしたわれていた。


近ごろでは、夫妻もうわべだけ愛想あいそうよく振舞ふるまっているわけではない。

江戸から浪士組がやってきて、さすがに最初こそ得体えたいの知れない浪人たちに気後きおくれしたものの、少しずつ打ちけてくると、雅などは大きな子供が何人も増えたような気持ちになっていた。

末の娘の病状は悪化をたどっており、彼らとの会話はふさいだ気持ちを多少はやわらげてくれる。


そこへ手のかかる息子のひとり、永倉新八が離れから顔を出した。

「八百藤って言ったか?巡察じゅんさつで外に出るから、ついでに寄ってこよう」

マサはまた顔をしかめる。

「お侍さんが大根なんか持って、往来おうらいを歩くわけにいきまへんやろ!」

「くっだらねえ、かまやあしないよ」

永倉はとり合わなかったが、マサとしては、そこまで好意に甘えるわけにはいかない。

「永倉はんがかまわんでも、うちにも体裁ていさいがおす。会津さんからおあずかりしてるみなさんを、八百屋までお使いにやったなんて話がうわさが立ったら、寄り合いでなにを言われるやら!」

「いいって、いいって。どうせ三条に出る道すがらだ。行くぞ、平助」

「そやから、あんたがようても、うちがええことないんどす!」

永倉は雅の怒鳴どなり声も無視して、早足に門を出ていった。


藤堂は永倉に追いつくと、その肩を軽く小突こづいた。

「ふうん。永倉さんもいいとこあるじゃないすか」

「ああ。将来、おれにとつぐ女は幸せ者だと思うだろ?」

永倉は、なぜか妙にウキウキしている。


二人が「八百藤」のある衣棚町ころものたなちょうまでやってくるのに四半刻しはんときとかからなかった。

藤堂は、そこに着くなり店先みせさきに立つ美しい娘に目を奪われた。

「ま、マブい…」

「だろ?」

見とれている藤堂を尻目に、永倉は一目散いちもくさんに娘に駆け寄って行った。


※藤堂がつかった「マブい」という表現は、なんと江戸時代からあったそうです。ま、私はそんなことあんまり気にしないで書いちゃってますけど。

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