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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
葬送之章
128/404

親子鳶 其之参

「少しは痛みがひきましたか?」

いちは手拭いで柳太郎の足首を拭きながらたずねた。

柳太郎がニッコリと微笑む。

「ええ、だいぶ。ありがとう」

いちはかるくうなずいて、

「じゃあ、サラシをとってきますね」

と奥の部屋へ引っ込んでいった。


いちの姿が見えなくなると、柳太郎は沖田のほうへ身を乗り出し、

「綺麗なひとですね」

と意味ありげにささやいた。

沖田は落ちつきなく草履のつま先で土間を引っ掻いている。

「うん。まあ、そうかな」

「…ケンカですか?」

「ちがうよ。悪いのはわたしだから…」

つい口を滑らせてしまってから、沖田は妙な風に勘ぐられているのに気づいて嫌な顔をした。

「てか、あのね、人のことに首を突っ込んでるヒマがあったら、もう少し稽古を積めば?」

「まだ脈はありますよ」

柳太郎は沖田の照れ隠しを無視して、含みのある笑みを見せた。


そこへ石井秩いしいいちが小さな木切れとサラシを手に戻って来た。

「足首を固定しておきます」

二人は口をつぐんで、なにもなかった風を装った。

柳太郎が足を差し出すと、いちはくるぶし辺りに添え木をして、淡々とさらしを巻きはじめた。


「まったく、情けないざまです。もっと精進しなくては」

柳太郎は何を思ったか、それらしいことを言ってみせた。

「ほどほどに。それかられが引くまでは温め過ぎないように気をつけてくださいね。それでもまだ痛むようなら、先生がいるときにもう一度いらしてください」

いちは女性らしいいたわりをみせて、優しく声をかけた。

さっきとはまるで違う口調が、また沖田の気を重くさせる。


「ありがとうございます」

沖田はまるで自分が手当てをしてもらったように深々とお辞儀すると、柳太郎に肩を貸して逃げるようにその場を立ち去ろうとした。

「お大事に」

背後からかけられたその声に、沖田は大事なことを思い出して戸口で立ち止まった。

「あ、そうだ。お金」


「そんな。ただ冷やしてさらしを巻いただけですよ。私は医者じゃありませんから、お金は受け取れません」

手を振って固辞こじするいちに、沖田はきっぱりと言った。

「そうはいきませんよ。このうえ、治療費をたおすなんて、わたしも人でなしってわけじゃないんです」

「沖田さん、そんな風には思っていませんから。それに、こんなところで押し問答をしていたら、立ったままの馬詰さんが可哀想です」

沖田は閉口して、柳太郎を外へ連れ出すと、待合用の長椅子ながいすに腰掛けさせた。

「ここに座って待ってな」

柳太郎にそう言い渡し、沖田はいくぶんスッキリした顔で中に戻って来た。

「さ。これでゆっくり話が出来る」

「…もう」

いちはため息で応じた。


「わたし個人の心証を悪くしたのは、自業自得だから仕方ないと思っています。けど、これは職務の範疇はんちゅうだ。浪士組の人間として、治療していただいた対価は受け取ってもらわねば困る」

いちは腕を組んで、あきれたように顔をしかめて見せた。

「…そうですか。それなら」

「そうですとも。とはいったものの、これで足りますか?」

沖田は懐からなけなしの二朱銭にしゅせんをだして、不安げにいちの顔色をうかがった。

「ええ、十分です。あの…このあいだのことは、本当にもう気にしていませんから」

二人きりになって、いちもようやく職業人としての仮面を脱いだらしい。

治療費を受け取ると少し表情を和らげて、目を細めた。


「そう言っていただけると多少は救われます。では、また」

沖田はその目をまともに見返すことができず、もう一度頭を下げてきびすをかえした。


「あっ、沖田さん!おつり!」

背を向けた沖田を、いちが呼び止めた。


「いや、どうも」

照れ臭そうに頭をかく沖田の空いた手に、秩はそっと銅銭どうせんをおいて、さびしげに目を伏せた。

「あの日、席を用意しましょうかと声をかけてくださった方がいたんですけど、お断りしたんです。だって、娘が本当に楽しみにしてたのは沖田さんといっしょに狂言きょうげんを観ることだったんですよ。一張羅いっちょうらの着物を見せるんだって」

うつむいた沖田の顔には、なんともいいようのない後悔の念がにじんでいる。

本当はあの朝、二人の美しい着物姿を遠目に見たと言いたかったが、それでは失礼を重ねることになってしまう。

「すみません」

その場は、ただ謝ることしか出来なかった。


「だから、たまには娘に顔を見せてやってください。毎日境内(けいだい)で遊んでるみたいですから」

いちはひざを折って、いつまでも頭を上げようとしない沖田の顔をのぞきこんだ。


沖田は胸のつかえが取れたように、大きく息を吐いた。

「ええ。必ず」


「ほら、また安請やすうけ合いしてる」

いちは少しとがめるように言うと、やっと笑顔を見せた。


「あ…すみません」

沖田がなんとかぎこちない笑顔をつくったそのとき、柳太郎が心配そうに戸口から顔を出した。

「あの、沖田さん、大丈夫ですか?」


「ごめんなさい。私がおひきとめしてしまって」

沖田の立場をおもんばかってか、いちは頭を下げた。

三人はほとんど同じ世代だったが、やはり娘がいるいちはいくぶん大人びている。



屯所への帰路。

辺りはすでに薄闇に包まれている。


「沖田さんは、優しい方ですね」

沖田に肩をかりた馬詰柳太郎がつぶやいた。

「聞いてたのか…内緒だぞ。女の人にペコペコ頭を下げてたなんてみんなに知れたら、威厳いげんも何もあったもんじゃないから」

沖田は盗み聞きを責めるでもなく、まっすぐ前を見たままこたえた。

「けど、異性には少し情けないところを見せたほうがいい時もありますよ。ほら、わたしがやってみせたでしょう?」

柳太郎は恩返しのつもりか、おずおずと助言した。

沖田はそう言われて、この青年が足にさらしを巻かれていたときに弱音を吐いた場面を思い出した。

「あれか…やれやれ、ずいぶん念の入った手管を使うんだな。なんだってそんなことをする?」

いつの間にか逆に手ほどきを受けていることに沖田は気づいていない。


「だって、他の人に見せない姿を女性に見せるってことは、お互い特別な存在だって思えるじゃないですか」

「…ま、相手が三歳の女の子じゃなきゃ、そうかもね」

いちとの関係を修復した沖田の心配事は、すでに娘の雪に移っていた。

「誰の話をしているんです?」

柳太郎が怪訝けげん面持おももちでたずねると、沖田は大人ぶって山南敬介の言葉をまねた。

「とにかく、ことはそう単純じゃないんだ」



結局、沖田が屈辱くつじょくを耐え忍んだ甲斐もあって、馬詰親子の入隊はかなった。


ただ残念なことに、父親の馬詰信十郎は、期待していたほど役にたつとは言えなかった。

したたかな売込みでちゃっかり浪士組にもぐりこんだはいいが、ソロバンは出来ても財務ざいむにはとんとうとかったのだ。

頼りなさそうに見えてなかなか面の皮が厚いというべきなのか、たしかに、これだけ生活力バイタリティがあれば金勘定かねかんじょうが得意だというのもあながち嘘ではなかったが、結局、雑用係のような立ち位置におさまったのだから沖田も救われない。


もっとも、息子の柳太郎については、あれだけ見た目が良ければ、なにがしか使い道はあるだろうと土方歳三は考えていたようだ。



しかし沖田は、妙にオドオドしたこの男がどうも苦手だった。

気が優しく、普段は大人しすぎるくらいだが、そのくせ、かなりの女好きらしい。


その後、巡察の時などに非番の馬詰柳太郎を何度か街で見かけたが、いつも違う女を連れているのだ。

しかも土方のような大人の遊びとはちがい、相手は農家や商家の純朴じゅんぼくな娘たちばかりだから、どうにも(たち)が悪い。

とにかく、沖田とは色々な意味で対照的な青年だった。



こうして、年若い幹部たちの気持ちも置き去りにしたまま、組織は拡大を続けてゆく。

それはとりもなおさず、浪士組が様々な人種の混成にならざるを得ないことを意味していた。


共通の思想というものを持たない彼らにとって、この事実は最後までアキレス腱となった。


※馬詰親子が備後(おおよそ今の広島県)出身というのは創作です。Wikipedia(あいかわらず出典はコレ…)によれば漠然と中国地方出身とあるのですが、馬詰という苗字はもともと阿波(おなじく徳島県あたり)発祥らしいので、まあ瀬戸内海よりにしとこうかなあと…。

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