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幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
葬送之章
127/404

親子鳶 其之弐

「よろしくおねがいします」

大人の事情などあずかり知らない柳太郎は、神妙な顔で礼をすると正眼せいがんに構えた。

意外なことに、なかなか様になっている。


ところが。


島田魁が「はじめ」と声をかけたとたん、沖田は目を疑った。

柳太郎の危なっかしい足さばきは、すぐにそれとわかるほど、ズブの素人丸出しなのだ。

この親子が武士でも浪士でもないことは、もはや疑いようもなかった。

迂闊うかつにこちらから打ち込んでは、うっかり一本をとってしまう可能性もあるし、下手へたをすれば足をもつれさせて転んでしまうかもしれない。

かといって、試合を長引かせても、これではすぐにメッキがはがれてしまうだろう。

周囲の目をあざむき、彼の勝ちを不自然に見せないためには、一刻も早くケリを“つけさせる”必要があった。

沖田は大きく振りかぶって、柳太郎の胴打どううちを誘った。


しかし。


「たあ!」

柳太郎はガラ空きの胴を無視して、上段から沖田の頭上に竹刀を振り下ろした。

沖田はあわてて身体を前傾ぜんけいさせた。

ハエの止まりそうな速度で振り下ろされる剣先に、上手くタイミングを合わせて面を打たせるなど至難しなんわざだ。

ある意味、天才沖田総司にしか出来ない芸当だった。

しかしその沖田ですら、柳太郎の余りの撃ち込みの遅さにタタラを踏まねばならなかった。


パスッという間の抜けた音がして、

屈辱くつじょく的な面打ちを受けたあと、沖田は勢い余って柳太郎の胸板むないた頭突ずつきを食らわすような格好になってしまった。

しかも柳太郎はヨロヨロと後退して、尻餅しりもちをつく始末だ。


「あ…」


根が正直な沖田は、「しくじった」と顔に出てしまっている。

他の希望者たちは、すっかりシラけていた。


土方はその場を取りつくろうように、となりにいた斎藤一に話しかけた。

「マグレにしても、総司に面を当てるとは大したもんだ。な?」

「…くだらん…」

斎藤は切り捨てると、さっさとその場を立ち去った。


「なんだよ!こっちはてめえらみてえに毎日チャンバラの真似事まねごとさえやってりゃいいって訳にゃいかねえんだからな!」

土方はムッとしてつい声を荒げてしまい、慌てて咳払せきばらいをした。


ところがさらに困ったことに、柳太郎はどこかを痛めたらしく起き上がってこない。

これでは、どちらがやられたのか分からなかった。


気の優しい島田魁が見かねてけよると、手馴てなれた様子で介抱かいほうをはじめた。

「どうやら捻挫ネンザしてるようです」

すると父親の信十郎がトボトボ近づいてきて、息子の肩に手を置き、弁解をはじめた。

「柳太郎よ、精進しょうじんが足らんなあ。しかし土方先生、それも栓方せんかたないことなのです。普段からロクなものを食わせてやれず、力が出んのでしょう」


親子のつましい暮らしぶりを垣間見かいまみせられた沖田は、すっかり気を削がれた。

「…勘弁かんべんしてよ」


土方は馬詰親子を気遣いながら、小声で沖田の鎖骨さこつのあたりを小突こづいた。

「どうやったらアレで怪我けがなんかさせられるんだよ!」

「知らないよ。だからヤダって言ったじゃないですか」

沖田はもうこの件には関わりたくないと、竹刀をくるりと回して肩にのせた。


「とにかく、アレだ、ほら、医者にさせろ」

土方の態度は、あきらかに他の候補者の時と違っている。

沖田は、その慌てぶりが妙に可笑しくて思わず笑みを漏らしてしまった。

「なに笑ってやがる、このバカ」

「いや別に。医者ってどこです?」

沖田は口元をおさえながら尋ねた。

土方は父親、馬詰信十郎の視線を気にするように背を向け、

「俺に聴くな」

と言い捨てた。

打ち身や切り傷程度なら、実家で作っている「石田散薬いしださんやく」を飲ませておけば事足ことたりるとたかをくくっていた土方には(彼に言わせれば、この薬は何にでも効いた)、医者などもっとも縁遠えんどおい存在なのだ。


そのとき、木の上で実技試験を見物していた八木家の次男坊、為三郎が口を出した。

「近くやったら、浪士組の人らが泊まったはった浜崎先生はまさきせんせの診療所くらいしかないで?」

沖田の笑みは一瞬にしてこおりついた。

それは、石井雪いしいゆきの母親、いちが助手をしている診療所である。


島田魁は聞き覚えのあるその名に首をひねった。

「浜崎診療所、浜崎診療所…?」


土方が為三郎の登っている木の根元に飛びついた。

「それは、近いのか?」

沖田は土方の背中ごしに「余計なことを言うな」と必死でジェスチャーしたが、為三郎はまったく意にかいさない。

「沖田はんがよう知ったはる」

「じゃ、総司、おまえ連れてってやれ」

土方はなく命じた。

「えーっっ!いや、それだけは勘弁してくださいよ」

「聞いてなかったのか?そこしかないんだとよ!」

沖田は天を仰いだ。

「ああもう最悪!」


いくらも経たないうち、

沖田は柳太郎を背負って、浜崎新三郎の診療所に向かう道を足を引きずるように歩いていた。

雨上がりの地面に座り込んだせいで柳太郎の着物はグッショリと濡れている。


気不味きまずい沈黙をごまかすために、沖田は適当な話題をみつくろった。

「だいたいさ、なんで浪士組に入りたいと思ったわけ?君らが思ってるほど待遇たいぐうは良くないぜ?」

馬詰柳太郎は沖田の耳元で小さなため息をついて、女性のように甘い声で告白した。

「護りたい人たちがこの都にいる。理由といえばそんなところです。けれど私にはまだ、そんな力はなかった…」

沖田はまゆをしかめ、肩越しに柳太郎の顔をしげしげと眺めた。

「あのさ…」

「え?」

「あんまり顔、近づけないでくれる?」

沖田には、柳太郎のセリフがなぜかひどく安っぽく感じられた。

「は、はあ」

首筋くびすじのあたりがムズがゆくなる」

柳太郎には、なにが気にさわったのか分からない。

もっとも、沖田自身にも何が自分を苛立いらだたせるのかよく分かっていなかった。


ここに至るまでの間、地べたをいずるように生きる多くの武士たちを目の当たりにしたことが、沖田の価値観にも微妙な影を落としていた。

好むと好まざるとにかかわらず、彼の内面もまた、気づかないうちに少しずつ変化している。



それはさておき、浜崎の診療所が近づくにつれ、沖田の足はどんどん重くなった。

雪を送り届けたあの日以来、診療所を訪れるのは初めてだ。

しかし、いやだいやだと思えば思うほど、早く着いてしまうものだ。



「あ。」


入口の扉を開けたとたん、沖田はその場に立ち尽くしてしまった。

よりによって一番会いたくない人がそこに立っていたからである。


間の悪いことに、浜崎夫妻は往診おうしんに出かけて二人とも不在で、

「先生方は、お二人とも留守にしております」

と応対に出たのが、他ならぬ石井秩いしいいちだったのだ。


「出直してきます」

沖田は小さくなって答えたが、いちは脚を引きずる柳太郎をみて、

捻挫ねんざくらいなら、私がてさしあげられますけど?」

と、気遣きづかわしげに二人を招き入れた。

治療が必要なのは馬詰柳太郎の方なので、沖田もせっかくの申し出を断る理由がない。


二人は質素な調度品ちょうどひんが並ぶ六畳ほどの板間いたまに通された。

土間どまと隣接したその部屋なら、ひざを曲げて座れない柳太郎も、かまちに腰掛けることができるからだ。


「どうぞ、お上がりください」

いちてのひらで部屋をさし示してそううながしたが、沖田は恐縮きょうしゅくして土間に立ったまま動こうとしない。

秩としてはいつまでもその格好で怪我人けがにんを放っておくわけにもいかず、遠慮えんりょしながらも柳太郎のとなりに腰掛けて具合を聴いた。

「どうされたんですか?」

柳太郎が答えるより先に沖田が事情を説明した。

「まあ、稽古けいこ中の事故のようなものです。足をくじいたらしくて」

いちはチラと沖田の顔を見上げたが、また柳太郎の脚に視線を戻した。

意識してか、先日のことには触れようともしない。

「…れてるみたい。ちょっと待っててくださいね」

そう言うと、勝手場の井戸でたらいに水を満たして、戻ってきた。


フラフラした足取りで重そうに水を抱えるいちに、沖田はあわてて駆け寄って手を差し伸べた。

「持ちますよ」

「慣れてるから平気です」

いちはやはり目を合わせようとしない。


とうとう耐えきれなくなった沖田は、いきなり頭を下げ、さき非礼ひれいびた。

「このあいだのことは本当に申し訳なく思っています。お雪ちゃんにも合わせる顔がありません」

事情を知らない柳太郎は、なにごとかと面食らっている。


沖田はなかば強引にたらいのはしをつかむと、いちと二人でそれを土間に降ろした。

二人は自然と額を付き合わせて向き合う形になる。

「それで最近、お寺にも顔を出していないんですか?」

いちは波打つ水に視線を落としたまま、唐突とうとつに聞いた。

きょを突かれた沖田は、なんの答えも用意していなかった。

「え?…ええ、まあ」

いちは汲んできた水で柳太郎の脚を冷やしながら、小さなため息をついた。

「もう、気にしてませんから」

それきりまた、会話は途切れてしまう。

実のところ、手当てに集中しているいち他意たいはなかったが、沖田にはそれが無言の圧力となって重くのしかかった。


治療を待つあいだ、沖田は沈んだ気持ちのまま、たらいの水に映るいちをじっと見つめていた。


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