親子鳶 其之壱
壬生寺の境内では、あいも変わらず斎藤一による情け無用の選別が行われていた。
だが、受験者の数も今日は残すところあとわずか。
朝には長蛇の列をなしていた腕自慢たちも、試衛館の精鋭にかかれば形無しで、そのほとんどは藤堂平助と斎藤に追い散らされるようにして帰っていった。
四月に入って以降、斎藤、佐伯又三郎、島田魁につづき、何人かの新顔がすでに入隊を許されていたものの、彼らも目の前の惨劇を見て、
「ひょっとしたら自分は場違いなところに来てしまったのではないか」
と蒼い顔をしている。
ここに集まって来るような猛者ともなれば、これまで剣の腕には絶対の自信を持ってきたはずだったので、それは彼らのアイデンティティをも否定する残酷なショーだったと言わねばならない。
だがこの日、実はたった一人、すでに合格を決めた者がいた。
これがちょっとした変わりダネで、その浪士だけは立合いを免除されたのである。
このことが副長 土方歳三をさらに悩ませているのだが、その理由については後で触れよう。
そんな土方の気も知らず、沖田総司は例のごとく飄々と壬生寺の境内に姿を現した。
「おお、やってるやってる。土方さん、相変わらずおっかない顔してるな」
巨漢の島田魁を付き従えて、不機嫌な顔で腕組みをする土方を見て、入隊希望者の目にはさぞ威圧的に映っているだろうと沖田はなんだか可笑しくなった。
土方はいつもあんな顔をしているし、背の高い島田はただ邪魔にならないよう土方の後ろに立っているだけなのだから、本人たちに、まったくその自覚はないはずだ。
だが、沖田を見つけるなり、土方は救世主が現れたとばかりに相好を崩した。
「総司!どこ行ってた?待ってたんだぞ!」
今朝の剣幕がウソのようだ。
そもそも土方が下手に出るなど、付き合いの永い沖田でさえ記憶にないことで、しかめ面のときなど比較にならないくらい不気味だった。
「…はあ、ど、どうも…」
歩み寄る沖田の態度も妙によそよそしくなる。
「さあ、さあ!おまえが連中の相手をしてやってくれ!さあ!」
沖田は恐るおそる斎藤を指差した。
「あ、で、でもほら?斎藤さんが…」
土方は有無を言わせず沖田の手にした木刀を取り上げて、竹刀に持ち代えさせた。
「斎藤!てめえ!さっさとそこを退きやがれ!」
手のひらを返したような土方の豹変ぶりには、斎藤も渋い顔をする。
沖田は訳も分からぬまま、とりあえず斎藤には軽く手刀を切って謝っておいた。
斎藤は、すれ違いざまにこっそり土方を親指で差して、
「あの薄気味悪い笑顔には気をつけろ」
と耳打ちすると、島田魁のうしろに引っ込んだ。
「で、誰とやりゃあいいんです?」
沖田はもう、これからあまり良くないことが起きるのを半ば予期しながら尋ねた。
土方は、わざとらしく後ろを振り返って確認をとった。
「ああ、ええと、つぎは?誰だっけ?」
そばに控えていた島田魁が、事前に聴き取りをした入隊希望者の身上書を読み上げる。
「馬詰柳太郎、十九歳。備後国の産で、流派は…ん?あれ?何も書いてないな?」
島田は、もういちど書面に目を通し、言い漏らしたことを見つけたらしく、手を打って付け足した。
「あ、そうそう!さきほど面談で入隊を許した馬詰信十郎殿の御子息です」
その馬詰信十郎という中年の浪士こそ、本日ただひとりの合格者だった。
沖田は、なにか重いものでも背負わされた心持ちにさせられた。
「…親子連れの浪人ですか?なんだかもう、それだけで生活臭が漂いまくってるんですけど…」
土方の眉間に皺が刻まれた。
「だが、あいつはな…ちょっと他の連中とは訳が違う」
意外な答えが返ってきて、沖田の言葉は俄然熱を帯びた。
「へえ?歯応えありそう、とか?」
「バカ、そういう意味じゃねえ」
「じゃ、なにが他と違うのさ?」
「つまりその、隊にとって必要な人材なんだよ」
土方の返事は、めずらしく歯切れが悪い。
沖田も次第にイライラしてきた。
「だからなんで」
「事務方が得意なんだそうだ」
「へえ…なるほどね」
浪士組は金勘定に明るい人間を喉から手が出るほど欲していた。
それは沖田も承知している。
まして、今朝の井上源三郎の姿を見てしまっては、土方が彼を望むのも無理はないと思った。
ところが、土方は言い訳めいた口調で、おかしなことを言い始めた。
「だから、やつだけは面談の時点で合格させたんだ」
急に話が見えなくなった沖田は、考えを整理しようと斜め上に視線を漂わせる。
「ん?あれ?それって親父さんの方の話?」
「俺はいま、親父の話をしている」
土方は妙に強調して言った。
「…話が噛み合わないな。わたしの相手の話じゃないんですか?」
沖田は訳が分からないという風に腕を組んだ。
土方がもどかしげに首を振る。
「ちがう!親父の信十郎の話だよ!ただし、隊に入るにあたって、奴には条件があるんだそうだ」
沖田はの嫌な予感は確信に変わりつつあった。
「…なんです。その条件ってのは」
「息子も一緒に浪士組に入れろとさ」
「…入れてやりゃいいでしょ。めんどくさいなあ、もう」
「とはいえ、特別扱いはできん。息子にも入隊試験に合格してもらわなきゃならん」
朝から逃げ回っていた沖田は知らなかったが、土方としては、試衛館の仲間たちにもっともらしい訓辞を垂れた手前、例外を作るわけにはいかなかった。
「なるほど。で?息子の方はそこそこ使えるんですか?」
「…まあその、なんだ…ありゃダメだな」
「さっきからナニ言ってんの?そんなの、私にどうしろっていうんですか」
土方は苛立たしげに沖田の胸ぐらを掴んで、とうとう開き直った。
「だから、おまえに頼んでるんだろ!」
「ええっ!?まさか手心を加えろってこと!?」
「しーっっ!声が大きい!」
「だって、たった今、特別扱いはしないって言ったばかりでしょ!」
「特別扱いをしていないって体裁が必要だと言ったんだ!ちっとは大人の事情を察しろ!ガキが!」
沖田はそっぽを向いて口元を引き結んだ。
「とにかく、わたしはご免ですから。他の人に頼んでください」
「他の人って誰だよ!あ?言ってみろ!永倉や平助や斎藤にそんな気の効いた真似が出来ると思うか?あいつら、下手したら殺しちまうぞ?」
沖田は三人の顔を順番に思い浮かべると、土方の取り越し苦労と笑って済ますこともできなくなった。
「ホントにもう…しょうがないな…。で?相手はどれです」
土方は無言のまま、鐘楼(鐘を突く場所)の脇に立つ二人連れへ沖田の視線を誘導するように目配せした。
五十に手が届きそうなみすぼらしい男と、華奢で色白の青年が並んで立っている。
「…あの~。お父さんの方、刀の差し方が逆さまなんですけど…?」
そのなんとも所帯じみた佇まいを見て、沖田はさらに気乗りしなくなった。
土方は荒っぽく沖田を突き放し、
「ソロバン弾けりゃいいんだ。刀の差し方は関係ねえ!それにお前がやんのは息子の柳太郎だろうが」
と、投げやりな口調で若い方の男を指差した。
しかし肝心の息子の方も、どう見ても強そうには見えない。
「ホントにやるんですか?あのフニャフニャのと?」
「育ちが良さそうと言え」
「だって、女みたいですよ」
「あれはな、美少年と言うんだ。だいたいツラが女みてえとか、お前が言えた筋合いじゃねえだろ」
土方はあくまで馬詰親子の擁護に徹するつもりらしい。
「美少年なんて呼んでもらったことは、ついぞありませんがね」
沖田も、揶揄い半分に反抗的な態度で応じると、
土方はあからさまに不快な顔で吐き捨てた。
「よせよ、キモチ悪い!なあにが美少年だ」
「気づいてないでしょうけど、土方さん、さっきからメチャクチャなこと喋ってますよ」
「ああそうさ。今じゃ俺は浪士組の副長で、おまえは副長助勤だ。道場にいた頃とは立場が逆転したんだよ。部下は上司の理不尽な要求にも従うべきだろ」
土方はそう言って、人の輪の中央に沖田を突き飛ばした。
「ちぇ、よく言うよ。それじゃまるで、昔はわたしの指南に大人しく従ってたみたいに聴こえるだろ!」
沖田はブツクサいいながらも、すでに所定の位置に立つ馬詰柳太郎に向き合った。




