雨上がりの午後 其之弐
一方、寺からわずか数間を隔てた八木家では。
斎藤にやられた候補者のうめき声を塀ごしに聞きながら、山南敬介が自分のみぞおちを突かれたように顔を歪ませていた。
「ほうら?またひとり減った…」
井上源三郎は沖田総司の目を見て、あの苦悶の声はおまえのせいだと言わんばかりに眉根を吊り上げる。
祐も井上の肩を持って加勢した。
「そお言たら、あんたが実技試験の相手サボってどこぞへ逃げよったて、土方はんがえらい怒ってたで?」
沖田は心外そうに、この場にいもしない土方に抗弁した。
「別に遊んでた訳じゃない。市中の見廻りに行ってたんだ!」
祐は、鬱憤を晴らすかっこうの標的を得て、ここぞとばかりにまくし立てた。
「半日もどこを見廻って来たんか知らんけど、取り締まらなあかん相手は身内におるんとちゃうか?」
「…いったい、なんの話さ?」
沖田はキョトンとして問い返した。
祐は芹沢の部屋をアゴでしゃくる。
「筆頭局長さんの部屋に腰巾着が入って行きよったで?きっと、またなんか悪巧みしとるんや」
「…バカ…」
沖田が口元に人差し指を立てて声を落とすように注意するのを無視して、祐は三人の顔を見渡した。
「浪士組が都の人間から嫌われてるのは知ってるやろ?このままやったら、悪い噂がホンマゆうことになってまうで?」
祐の指摘には、山南敬介も返す言葉がなかった。
つい先日、芹沢鴨の共犯になった沖田に至っては、ただただ俯くことしか出来ない。
「とにかくこれ以上、腕っ節ばっかり強うてアタマ空っぽみたいな連中の世話すんのは、うちもゴメンや!」
この場にも脛に傷持つ者がいるとは思っていない祐の言葉には遠慮がない。
井上は、気まずい空気を察したものか、祐の暴言に託けて話を引き戻した。
「だが、その腕っ節の方も怪しいもんだぞ。日に何人かはカラッキシのが混じってるから、そういうのに斎藤が大怪我させなきゃいいが…いやむしろ、怪我で済めばいいがねえ」
そう言って、ジットリとした眼で沖田を睨む。
どうやら、ただ助け舟を出したわけでもないらしい。
「ちょっと!それ、脅しですか?なんでわたしがそんなことで責めらんなきゃ…それにいくら斎藤さんでも…ねえ?」
沖田は救いを求めて山南にすがった。
山南は真面目な顔で首を横に振る。
「…早く行った方がいいな。彼ならやりかねん」
沖田は目を閉じ、両手をあげて、降参の意を示すと井上に向き直った。
「やれやれ。分かりましたよ、行けばいいんでしょ?…で、その前にちょっと聞きますけど、お寺に子どもたちはいましたか?」
井上は唐突な問いに怪訝な顔をしてから、足元の水溜りに目を落とした。
「いや?見かけなかったぞ。今朝はずっと小雨が降ってたからな」
すると沖田は、なぜか急にやる気を見せて、井上が縁側に立て掛けていた野太い木刀をつかんだ。
「よっし。じゃ、軽く身体を動かしてくるか!」
「おいおい!考試は木刀じゃなくて竹刀でやるんだぞ!」
井上が慌てて声をかけたが、沖田は耳も貸さずに行ってしまった。
山南と井上は不安げな顔を見合わせた。
「なんだ、あいつ?本当はやりたかったのか?」
そもそも手加減を知らないことにかけては、沖田も藤堂や斎藤に引けをとらない。
「やはり山南さんに頼むべきだったかなあ…」
早くも後悔して頭を掻く井上に、山南は芹沢の部屋を見ながらこたえた。
「いえ、私も仕事を思い出しましたから…お祐ちゃん、ありがとう」
「は?えっ?なにが?」
戸惑う祐に、山南は何か決意を秘めた目でうなずいてみせる。
「われわれは不逞浪士云々をとやかく言う前に、自ら襟を正す必要があるようだ。近藤さんのところに行って来ます」
そう言いおくと、前川邸にある近藤の居室へ足早に向かって行った。
祐は、山南を見送りながら腕を組んだ。
「…あのひと、たぶん解ってへんなあ」
「え?だって…」
井上が驚いて祐の顔をのぞき込む。
「うちは、真っ当に働いとる人にチョッカイ出すのはあかん言うただけや。金なんか、悪いことして儲けとる奴から、絞れるだけ搾り取ったったらええねん」
「おいおい物騒だな。最近、みんなどうかしてるぞ」
実は土方だけでなく、井上も、このところ近藤勇の様子がおかしいことを気にかけており、
土方や山南がこのまま何も諫める気がないなら、自分が苦言を呈さねばなるまいと覚悟していた。
期せずして山南の決意を知った井上は、内心、出しゃばらずに済んだことを喜んだ。
「ま、前途洋々とはいかんが、あの二人がいる内はなんとかやってけるだろ」
「え?…どの二人?」
祐は顎を擦りながらニヤける井上を気味悪そうに眺めた。




