Solitude Standing Pt.1
とにもかくにも、 首尾よく当面の活動資金を手に入れた近藤たちは、その日のうちに大坂を立つことにした。
試衛館一門にとって、この選択がもうひとつの小さな不運を招いた。
日も暮ようとする頃。
八軒家の船着場に戻ってみると、驚いたことに、近藤たちと同郷の井上松五郎という男が桟橋に立っているのに出くわした。
近藤たちは、慌てて船着場にたまった待合客の雑踏に身を隠そうとしたが、松五郎は大勢の中から目敏く近藤たちを見つけ出した。
「カッちゃん!歳!おっ、総司もいるな!」
土方は近藤のわき腹をつついてささやいた。
「ちぇ、嫌なところを見られたもんだ」
松五郎は井上源三郎の実兄で、井上家の家督と「八王子千人同心」のお役目を継いだ地元の有望株である。
「八王子千人同心」とは、近藤たちの故郷多摩一帯に住む半士半農の集団で、有名な十津川郷士と同じく、普段は百姓を生業とし、ことあらば剣をもって戦わねばならない。
ただし、十津川郷士は天皇の私兵的な役割を担うため、年貢などを免除されるのに対して、徳川将軍家に仕える八王子千人同心の方は、平時は普通の農民と同じ扱いを受けている。
損な役回りだが、井上源三郎の家系はこのお役目に誇りを持ち、代々剣の腕を磨くことを怠らなかった。
このような集団は、幕府にとって重要とされる日本各地の拠点に置かれていて、八王子千人同心もまた、江戸西方の備えとして甲州街道を攻めてくる仮想敵から多摩の地(つまりその先にある江戸)を守護してきたのだ。
そして、源三郎らの代になって世はまさに幕末の動乱を迎え、井上松五郎は将軍上洛に帯同、ついにその真価が問われる時がきたのだった。
将軍徳川家茂の上洛以来、近藤たちは松五郎と都での再会を喜んで何度か酒を酌み交わしていたが、大坂での鉢あわせは予定外だった。
聞けば、この日は公用で大坂に出て来たという。
借金のため下坂(京から大坂にいくこと)した近藤たちからすれば、なんとも決まりが悪い。
折り目のついた羽織袴を着こなした松五郎は、まるで別世界の人間にみえた。
近藤が芹沢たち水戸出身の浪士たちを紹介すると、松五郎は挨拶もそこそこに、
「あのカッちゃんが煙草を吸う年になったか」
と目を細めた。
煙管を燻らす近藤の姿が滑稽に映るらしい。
カッちゃんという呼び名は、近藤勇が養子に入るまえ「島崎勝太」を名乗っていたころの名残で、松五郎にとって彼らはいつまで経っても近所の悪ガキだった。
意外なところで見知った顔に会えたことを素直に喜んでいたが、近藤と土方はまるで悪さを見つかった子どものような気分にさせられた。
「煙草は嫌いかい?」
いきなり下坂の理由を問われなかったことに少しホッとして、近藤は愛想笑いを浮かべた。
「でもないが、キセルなんて尊王攘夷のご時世に前時代的じゃないかね?」
田舎育ちの松五郎も、いくらか都の空気というものに感化されたようだ。
近藤はフーッと細い煙を吐いて胸をそらせた。
「これでも俺は浪士組の幹部だからさ。風格ってもんが必要だろう?」
「こんなあぶれ者の集団に風格もヘッタクレもあるもんか」
土方があいかわらずひねくれた茶々を入れる。
もっともこの場合は、松五郎に大坂へ来た目的を悟られないために話を交ぜ返しただけだったが。
ところが、真に受けた近藤は、めずらしく大風呂敷を拡げた。
「松五郎さんには大樹公を間近でお守りするという名誉なお役目があるかも知れないが、俺たちだって前線に立って大樹公の敵と戦うんだぜ?風格なんてものは、それらしく振舞ってりゃ自然に身につくもんさ」
ついさっき押し借りの片棒を担いだばかりの男がよくも抜けぬけと言えるものだと、土方はなかば感心して肩をすくめた。
「…そんなもんかね」
「そんなもんさ」
近藤も、おどけて同じように肩をすくめて見せる。
松五郎は、近藤の手からキセルを受け取って吸い口の部分の手触りをたしかめた。
「それにしても、この彫金はなかなか見事なもんだ」
土方はそう言われて初めてしげしげとキセルを見て、近藤がいつからこんなものを持ち歩いていたのかと訝った。
「近藤さんそれ、どこで手に入れた?」
「例の夜、四条大橋の上で別れたあと、殿内を待つあいだ、時間つぶしに買った。橋の袂にタバコ屋があったもんでな」
やはり罪悪感が拭いきれないのか、近藤は急に捨て鉢な言い方になった。
松五郎は何のことやら分からずキョトンとしている。
永倉新八ひとりが、やっと腑に落ちたという顔で土方と沖田を睨んだ。
「なあるほど、そういうことだったのか」
ふたりは気不味そうに目をそらした。
しかし近藤は、後ろ暗い行状を隠そうともしなかった。
「ま、箔づけというか、ハッタリみたいなものも時には必要だって話さ。で、キセルや紋付もいいが、市中見回りのときの隊服をあつらえようと思ってな。今回の金はそっちに回すつもりだ」
「そういうの好きですねえ」
沖田の返事もどこか空々しい。
「あれはどうだ?ほら、芝居で赤穂浪士が着ているダンダラのやつ」
近藤にドンと肩を叩かれて土方は渋い顔をした。
その妙な浮かれぶりは、単に気分の高揚からくるものではなく、なにか良くない兆候のように思われたからだ。
ただそれが、慢心なのか、自暴自棄なのか、あるいはもっと別の何かなのかは土方にも分からない。
「…ガキが。松五郎さん、何とか言ってくれ」
「いいんじゃねえか」
松五郎はダンダラの羽織を思い浮かべて小刻みにうなずいた。
「そりゃ、あんたは着ずに済むからな」
土方は適当に話を合わせながら、なにか思いつめた目で近藤の顔をじっとみつめている。
近藤たちにとって幸いなことに、井上松五郎は同行者と一緒に一本早い便に乗ることになっていた。
「また京で飲みにいこう。源三郎の奴にもよろしくな」
名残り惜しそうに言うと、松五郎は颯爽と(すくなくとも近藤たちにはそう見えた)去っていった。
沖田がその後ろ姿を見送りながら、うらめしげに呟いた。
「よりによって、こんなときに同郷の親戚にバッタリ会うとはね。やはり悪いことは出来ないもんだな」
ちなみに沖田総司の義兄林太郎は、井上家から入り婿として沖田の姓を継いだので、この松五郎や源三郎は沖田にとっても親戚ということになる。
江戸生まれの沖田が大坂の船着場で親類縁者とたまたま出会うなど奇跡のような確率だ。
これには土方も素直に同意した。
「どうにも情けない気分だよ。あっちは幕府の公用。で、こっちの用事ときたら、金の無心、いや、ゆすりなんだからな」
再会の様子を冷ややかに眺めていた新見錦が、不興げに口元を歪める。
「ふん、関東のゴロツキをひとまとめにして、体よく追い払う口実に集められた我々と、将軍警護の数合わせに動員された八王子千人同心に、どれほどの違いがある?」
永倉新八が新見の胸先に指を突きつけて、その疑問に答えた。
「どう違うか、おれが教えてやろうか?向こうはちゃんと給金をもらってんだよ!」
「では、俺たちが罪悪感に悩む理由はないってことさ。やつらが金に困らない身分なら、我々にも同じ待遇を受ける権利がある」
新見たちは、まさにこうした理屈で不法な金策を正当化していたが、会津からろくに資金供与がない今、現実問題としてほかに方法がないのも事実だった。
結局、近藤勇は見て見ぬ振りをして芹沢のかき集めてきたカネに頼ることを潔しとしなかったのだろう。
「あーあー、その通りかもなあ」
永倉もそれを理解すればこそ大坂までついてきたが、やはり理屈で割り切れるものではなかった。
「だが平野屋は、そんな屁理屈知ったこっちゃねえだろ」
土方は、新見に詰め寄る永倉の袖を引っ張った。
「もうやめとけ。言えば言うほど惨めになるだけだ」
「…もっともだ」
永倉も渋々うなずくしかなかった。




