目撃者 其之弐
さて、そういういきさつで大坂に舞い戻ってきた安部慎蔵だったが、あいかわらず桟橋に座りこんだまま、辻君からもらった風変わりな根付をもてあそんだりしている。
そのうち、船をもやいでいる船頭や、荷役の人扶などが、怪しそうな目つきで彼をにらみはじめた。
阿部は、とうとうそこにも居づらくなって、とぼとぼ北浜通りまで出たものの、まだ決心がつかない。
天満橋かいわいでウロウロと時間をつぶしていたが、結局行くあても思いつかず、なんとなく道場の方へ足が向いた。
しかし、松屋町筋を下って、道場の方へ折れるあたりまで来たとき、正面から一番会いたくない男が歩いてくるのに出くわした。
とっさに辺りを見渡したが、身を隠す場所はどこにもない。
「よう。阿部せんせい!」
いかにも素性の怪しそうないかり肩の男が、笑いながら手を上げている。
阿部は目をとじて、天を仰いだ。
それは借金取りの石塚岩雄だった。
どこまでもツキに見放されているらしい。
阿部はちょうど近くにあったぜんざい屋に連れ込まれ、好きでもないぜんざいを箸でかき混ぜながら、さっそく借金を催促されるはめになった。
「しかし、宝剣の話、ありゃガセだったぞ」
阿部は、まず石塚の下調べが甘かったことを責めて、この交渉を有利に進めようと試みた。
「らしいな」
差し向かいに座った石塚は、悠々とぜんざいをすすってから、こともなげに言ってのけた。
「知ってたのかよ」
「あんまり長いこと先生から連絡がないもんで、おっつけ人をやって確かめさせたんや。…おばちゃん、お代わりくれるか」
あっという間にぜんざいを平らげた石塚は、椀を高々とあげて、店の奥に声をかける。
甘いものの苦手な阿部は、顔をしかめた。
「とにかく、そういうわけだ」
「けど、それと借金の件は別や」
「なんで?あんたが、あの宝剣で借金を返せるっつーから、俺ぁ京まで…」
阿部は気色ばんで、つっかかった。
興奮のあまり、はずみで、手にした椀から小豆が二、三粒飛び散ったのにも気づかない。
「それは、返済の一つの手段として提案しただけで、借金が返せへん言い訳にはならん。これ以上またせるようなら、あの道場を差し押さえなならんで」
「おいちょっとまってくれ!」
阿部は箸を投げだして、懇願するように石塚の腕をつかんだ。
「おまちどうさん」
そこへ、主人がぜんざいを手にやってきた。
二人はその体勢のまま、話を中断せざるをえない。
主人は、二人の様子をいぶかしげに見ながら、カラになった椀をさげて、
「ごゆっくり」
と奥へ引っ込んでいった。
主人の姿がみえなくなると、石塚は、阿部の手をやんわりと脇へどけて、話しを再開した。
「まあ、ええわ。今日のところはお疲れみたいやし、借金の件はここらへんで勘弁したる」
それから、床机に両肘をついて身を乗り出した。
「なあ、先生。ところで、あの宝剣が最初っからなかったちゅうのは、ホンマやろな」
「どういう意味だよ」
阿部は、相手の言いたいことが分からず、顔をしかめた。
「例えばや。あんたが、実はあの神社で、例の宝剣をみつけたとするやろ。ほんでその時、あんたの頭をふっと良からぬ考えがかすめる。これを、バカ正直に、渡すことないんちゃうかとな」
「なにを、くだらねえこと言ってやがる」
阿部はあきれた顔で、片手をひらひら振ってみせる。
しかし、石塚はぐっと顔を突きだすと、ドスの効いた声で、忠告めいたことを口にした。
「わしを通さんと、アレ売って儲けようちゅう了見やったら、やめといたほうが賢いで。あの宝剣はな、七星剣ちゅうて、本来、二振りで一対の剣なんや。あの神社にあったんは、その片割れや」
「ふうん。で?」
阿部は、白玉をつまみあげながら、気のない返事をする。
「つまり、あれ一本じゃあ、宝剣としては意味を成さんちゅうこっちゃ。
けどな、わしの客は、そのもう一方を持っとるねん。
そやから、あれを買うてくれはる言うとるんじゃ」
「だから、なにが言いたい?」
阿部はイライラして、逆に問い詰めるような口調になった。
だが石塚も、脅すような声の調子を変えない。
「わしの客やからこそ、あれに高値をつけるちゅう話や。とかく蒐集家ちゅうのは、金に糸目をつけんもんやからなあ」
「だが、あの神社に宝剣はなかった」
「なら、ええんやけどな。とにかく、へんな出来心は起こさんことや。その件は、なんか分かったら、また連絡するわ」
石塚はそう言うと、床机に金をおいて立ち上がった。
大阪城のほうへ去っていく石塚の背中を見送りながら、阿部は情けない顔で独りごちた。
「泥棒と人殺しの二択とはね。我ながらとんでもない悪党に成り下がったもんだ」




