行き止まりの道 其之参
実は、このひと月というもの、中沢琴は寺田屋を拠点に攘夷過激派の動きをつぶさに調べていた。
そして、吉村の所在からさらに一歩踏み込んで、聞き覚えのある人物との過去の交友関係に行き当たったのだった。
「さて。あの男は我々とは別の宿舎に寝泊りしていたからねえ…」
井上が口元をおさえて首をかしげた。
琴は肩を落とし、あきらめきれない様子で呟いた。
「また行き止まり、か…。でも時機に、攘夷派の吉村と懇意にしていたはずの殿内が長州人に殺されるなんて、やっぱり不自然です」
薄汚い真実も知らず、項垂れるその姿を見て、また新たな罪悪感が山南の胸をチクリと刺した。
とはいえ、まだ琴の情報には半信半疑だ。
「あなたは、自分が何を言ってるか分かってるんですか?京に上るまで真意を隠し通した清河との盟約はまだしも、このうえ吉村とまで繋がっていたとなれば、殿内の本性は過激な攘夷思想の持ち主だったことになる」
井上が苦笑した。
「幕府がなにも知らず、そんな男に壬生浪士組を任せてしまったのだとしたら、これはもはや喜劇ですなあ」
「ええ。私はそう言ってるんです」
琴はそっけなく答え、先を続けた。
「おそらく殿内は…浪士組として京にやって来たんじゃない。伏見義挙の残党として戻って来たんです」
「どういう意味です?」
「一年ほど前、攘夷派の薩摩藩士たちが隠れ家として使っていた伏見の魚田屋に、殿内大次郎と名乗る男が出入りしていたのを覚えていた者がいました」
「それが、あの殿内さんだと?」
「おそらく。そう多い苗字ではありませんし、彼には身分や学歴をひけらかす癖があった…それによれば、上総国の生まれで昌平黌(幕府の学問所)を出たという来歴も一致しています」
確かに、その人物像は殿内義雄と重なる。
口には出さなかったが、山南は琴の話に少なからず真実味を感じ始めていた。
「だが、それだけでは…」
「殿内大次郎は、人斬り以蔵に殺された本間精一郎や吉村寅太郎とも盛んに交流していたようです。
そんな人間が簡単に翻意するとは思えない。
おそらく、寺田屋の一件以来、あの大疑獄をやり過ごすために一時京を離れ、ほとぼりが冷めるのを待っていたのではないかとわたしは見ています」
山南は軽く首を振った。
「…今や長州によって攘夷の勢力は息を吹き返し、時は満ちた。それで、浪士組に紛れて舞い戻った、そういうことですか?」
「ええ。例によって、果たせなかった回天の志とかいうのを胸に秘めてね」
「まさか。いやしかし…仮にその話が本当だとして、彼も清河の本意を知った上で、つまり、示し合わせて浪士組に合流したのだろうか?」
「今となっては、それを確かめる術もありませんが、あの鵜殿という旗本の指示で、こちらに残ることを選んだのだとしたら、清河の思惑とは別のところで浪士組を利用したのかもしれません」
いずれにぜよ、殿内義雄が幕府の目付だった鵜殿鳩翁から信頼を勝ち取っていたのは紛れもない事実だ。
そして薩摩藩、あるいは幕府が、未遂に終わったクーデター「伏見義挙」の闇資金を押収したのであれば、幕府の要職にあった鵜殿が、その行方を知っていたとしてもおかしくないだろう。
では、この二つの事実が意味するところは何なのか?
仮に殿内が武力による攘夷を目指す一派の人間で、わざわざ公武合体派(つまり浪士組)にもぐりこんだスパイだったとしたら、その闇資金の行方について鵜殿から何か聞きだそうと企むのは、充分あり得る話ではないか。
真偽の程はともかく、中沢琴が推理したのはそういう筋書きだった。
もっとも、殿内に会えたところで、彼が素直にそれを認めるとは琴も期待していなかったが。
「そんな、馬鹿げてる…」
山南は否定しつつも、正直それが事実であってくれればと思わずにいられなかった。
そうであれば、殿内の粛清にも名目が立ち、仲間を殺した後ろめたさからも解放されるのに。
「…何か、別のことを考えてるように見えますけど」
琴に本心を見透かされ、山南は苦い顔をした。
「し、しかし、あの二人が通じていたなど、にわかに信じがたい。殿内は上総、吉村は土佐の出身ですよ?」
「ですから、本当のところはもう分かりません。ただ、二人には清河八郎という共通の知人もある。繋がっていたとしても可笑しくはないでしょ?」
「それを言ったら、あなたも攘夷派だということになってしまうだろう」
山南はあきれて反論した。
井上が一歩前に進み出て、山南の気持ちを代弁した。
「やれやれ、お琴さん。あたしらが一番気を揉んでるのは、まさにソコなんだよ。もしあんたが、あたしたちに敵対する勢力に、つまり攘夷過激派に与するようなことがあれば、我々はあなたを斬らなきゃならん。仮にあんた自身そんなつもりはなかったとしてもね。そいつだけぁ願いさげだ」
「…今はただ、信じてほしいとお願いするほかありません」
琴は静かに訴え掛けるように、井上の眼をまっすぐ見つめた。
山南は、いつからか中沢琴の瑞々しい口元に視線を吸い寄せられていることに気がついて、邪念を振り払おうとするように、必要以上に冷たく言い放った。
「それは無理な相談だ。手の込んだ言い訳だが、あなたが我々の敵じゃないという保証にはならない」
琴は、例の真っ黒な瞳で山南をキッとにらんだ。
「だとしても、構わない。ここまで調べた以上、途中で投げ出したりする気はありません。だって、気にならないの?吉村が、何を知っていて、この京で何をやろうとしているのか」
「かもしれないが、なぜそれを調べるのがあなたじゃなきゃダメなんです?」
琴はまた答えに詰まった。
さすがに「闇資金の件を知っているのは、たぶん京で自分ひとりだからだ」とも言えない。
しかし、吉村寅太郎がその資金を握れば、時をおかず、京の人々にとって凄惨な結果をもたらすことは間違いない。
山南は厳しい表情で、もう何度目かになる言葉を繰り返した。
「この問いに答えを持たないなら、さっさと利根に帰ることだ」
「ご忠告はありがたいですけど、自分のことくらい、自分で決められますから」
琴は言い捨てると、早足に門から出て行ってしまった。
「待ちなさい!」
後を追おうとする山南の腕を井上がつかんだ。
「今は距離をおいたほうがいい。あの娘が吉村寅太郎の周辺を探ってる以上、あたしたちと一緒にいるところを見られるのは、彼女にとっても危険だ。とにかく今は屯所に帰って、金のやりくりを相談しようじゃないか」
山南は目の前の現実に引き戻されて、気が抜けたように肩を落とした。
「我々にも金勘定に明るい者が必要ですね」




