行き止まりの道 其之弐
同じころ。
件の与力、草間烈五郎に伴なわれ、東町奉行所に向かった近藤勇は、門前まで来ると突然立ち止まって山南敬介を振り返った。
「ここまででいい。山南さんは戻って下さい」
「え?いや、しかし…」
近藤ひとり置いていくことに不安を覚えた山南は食い下がったが、
「呼ばれたのは私だけだ。別に捕まったわけじゃないんだから、そう深刻な顔しなさんな。今度のことで隊内には動揺もあろうし、山南さんは戻って、おかしな憶測が飛びかう前に収めてください」
近藤は笑顔で取り合わなかった。
与力の前でこう出られては、引き下がるほかない。
しかしこの場合、隊士たちが思い描く最悪の筋書きが、おそらくもっとも事実に近かった。
ちなみに近藤は後日、この一件を「殿内に天誅をくわえた」と故郷に書き送っている。
昨夜の一件から、近藤の中で何かが変わったのかもしれない。
悠然と奉行所の門をくぐる近藤の後姿を、山南は複雑な気持ちで見送った。
近藤だけではない。自分たちも京の熱気、いや、狂気とでもいうべきものに飲み込まれつつあるのではないか。
そんな不安を覚えながら、大宮通を南に引き返した。
やがて「六角獄舎」と呼ばれる牢屋敷を通りかかったとき。
突然背後に人の気配を感じて、山南はとっさに抜刀した。
振り向きざま身構えると、そこには町娘に身をやつした中沢琴が立っていた。
肩口に突き付けられた刀身を凝視しながら、琴は唾を飲み込んだ。
「…さすが、勘は鈍ってない」
「!」
山南はすばやく刀を引き、サヤに納めた。
「お琴さん。いったい、なんのつもり…」
山南に文句を言う暇もあたえず、
「いいから。ちょっとこっち」
琴はいきなり腕をつかむと、通りの至るところにある小さな古寺の一つに引っぱり込んだ。
「…ひと月も姿を眩ませておいて、他に言うことはないんですか」
山南は怒りと諦めの入り混じった眼で琴を睨んだ。
琴は、何かこの場に相応しい謝罪の言葉を探すように小さな手振りを数回繰り返したのち、諦めたように肩を落とした。
山南は仕方なく先を続けた。
「私が聞きたいことは、分かりますね?」
「ええ。どう言い訳しても納得してもらえないでしょうから、正直に答えますけど、私は清河八郎の依頼で動いています」
山南は深いため息をつき、琴の言い分をはね退けた。
「馬鹿なことは止めて、利根へ帰るんだ」
しかし琴も、その忠告を瞬きひとつで黙殺した。
「で、今日はお願いがあって来ました。殿内さんに会わせてほしいんです」
不意討ちのようにその名前を突きつけられて、山南の頭から今までの会話は消し飛んでしまった。
なぜ中沢琴の口から殿内の名が出てくるのか。
混乱して、口をパクパクさせていると、
寺の本堂から、なぜか井上源三郎が歩いてきた。
「やあ、お二人さん。ずいぶん抹香臭い場所で逢引きだね?」
山南は、なにやら救われたような、しかし不味いところを見られたような、妙な気分にさせられた。
「い、井上さんこそ。こんなとこで何してるんですか?」
「あたしゃ殿内さんの密葬の手配だよ。気は重いが、これも仕事でね」
「では、このお寺に?」
「それがねえ…」
井上が顔をしかめて振り返った方角からは、くぐもった木魚の音に合わせて、唸るような読経の声と、線香の香りが漂ってくる。
「断られちまったよ。通りにはこれだけ寺が建ち並んでるってのに、なかなか引き受け手がなくて、困ったもんさ。坊主どもは何やら小賢しい理屈をこねるが、要するに金次第ってこったろ。この分じゃ、次に誰か死んだら、あたしゃ信仰を失くしちまうね」
井上は落胆した様子で頭を掻いた。
「縁起でもない」
苦笑する山南と井上の顔を、琴は目を丸くして交互に見比べた。
「ちょ、ちょっと待って。殿内さんは死んだの?どうして?」
「斬られたのさ。たぶん、長州の連中に」
井上は、なぜ琴が殿内義雄の件でムキになるのか腑に落ちない様子で答えた。
「嘘。あり得ない」
その妙に確信めいた響きに、山南は眼を細めた。
「…なぜそう思うんです?」
「それは…」
琴は口ごもった。
「お琴さん、あなた、いったい京で何をやってるんだ?殿内と会って何を話すつもりだったんです?」
琴は掌で、矢継ぎ早の詰問を押しとどめた。
「…ま、待ってよ。まず私の話を聞いて」
「それは、里に残してきたお父上や、良之助くんよりも大事なことなのか?」
詰め寄る山南と、興味深げな井上の視線に気圧され、琴はついに観念して宙を睨んだ。
「…分かったわ。殿内さんと、京に潜伏している吉村寅太郎の関係を知りたかったの」
今度は山南たちが驚く番だった。
「吉村寅太郎とは、土佐勤王党を飛び出した、あの吉村?」
土佐で投獄されていた吉村が赦され、ひそかに入京したことは、まだ一部の人間にしか知られていないはずだ。
「ええ。彼はこの京で、より過激な攘夷集団を立ち上げようとしている」
琴の話しぶりには迷いがなく、それは山南が幸運にも知りえた事実とも合致していた。
彼女が何らかの方法で、吉村寅太郎の動きを掴んでいるのは、もはや疑いようもなかった。
「ねえ。殿内さんが、攘夷派と接触していた形跡はありませんでした?」




