表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幕末カタナ・ガール  作者: 子父澤 緊
抗争之章
106/404

行き止まりの道 其之壱

例えばこれが、日本という国の、京という町以外の何処どこかであれば、事情は違ったかもしれない。

江戸、尾張おわり水戸みと

あるいは薩摩さつまはぎ会津あいづ土佐とさ

またあるいは、同じ畿内(きない)の大坂、大和(やまと)

その何れであろうが、朝、橋の上に人の死体が転がっていれば、人々はひどく驚いたはずだ。

ところが、この京という町に限っては、みなが騒ぐことはあっても驚いたりはしなかった。


壬生狂言が終わった日の翌朝、土方歳三の予言どおり、殿内義雄(とのうちよしお)は四条大橋の上で動かぬ遺体いたいとなって発見された。

人々はまゆをひそめ、今度は誰が誰にられたのだろうと(ささや)きあったものだが、昼食のころには、ほとんどの人間が全然別のことを話題にしていた。



その朝、前日に祇園(ぎおん)でハメを外しすぎた永倉新八は、日も高くなってから起き出してきて八木家の台所へのっそりと顔を出した。

「おばさん、朝ごはんまだありますか?」


隊士たちが使った大量の食器を片付けていた八木雅やぎまさは、永倉からただよう酒のにおいに顔をしかめた。

「もうお皿も直して(片付けて)まいましたんえ!いま何時やと思たはるんどす!」

「いやその、残りもんでも何でもいいんですがねえ」

永倉は武者むしゃのようなボサボサの髪をきむしりながら、もの欲しそうな目で訴えた。


壬生菜(みぶな)浅漬あさづけと、おひたしと、お味噌汁みそしるしかありまへんけど、よろしおすか?」

まさ水屋みずやから漬物つけものを出してながら、剣のある声でたずねた。

「いやあ、壬生菜みぶなかあ…あれはちょっと…」

「なんでもええうて、なあんで好き嫌いしはるんどす!ほな、もうちょっと早う起きなはれ!」

隊士たちに対してだんだん遠慮のなくなってきた雅は、たいそうな剣幕けんまく怒鳴どなりつけたが、永倉はまるきりうわの空だった。

なぜかというと、ちょうど台所に来ていた野菜売りの娘が可愛かったからである。

かごから取り出したカブやゴボウやエンドウ豆を上がりがまちの上にあるザルに移しかえるその姿を、ニヤニヤと眺めている。

格子柄こうしがら黒襟くろえりつむぎを着た、すらりとした美少女で、いかにも永倉好みの可憐かれんたたずまいだ。

もっとも食べ物とはちがい、若い女性に関して永倉にはほとんど好き嫌いというものはなかったが。

「ちょっと永倉はん!聞いてますのか!?」

「え?あ、うん。じゃ、これでいいや」

「これでええて、なんちゅう言い草や!」

まさが永倉をしかりつけるのを見て、娘はクスリと笑った。


まさ巾着きんちゃくから銅銭どうせんを出しながら、ほとほと困ったという仕草で、娘に微笑んでみせた。

「おかしやろ?近所からはケダモンか鬼みたいに怖がられとんのに、子供みたいなんばっかりや」

娘は手ずから代金を受けとって、またひとしきり鈴の鳴るような声で笑うと、ふと不思議そうに外を振り返った。

「えらい今日は皆さんさわがしいようですなあ。なんやあったんですか?」

問われたまさは、外聞をはばかるように言葉をにごした。

「…ええ。まあ、ちょっとなあ…」

娘の方も、あまり踏み込んで聞かれたくない話だと察したようで、雅にお釣りを渡すと愛想あいそうよくお辞儀じぎをして、

「ほな、おおきに」

勝手口かってぐちから出て行った。


「ご苦労さん!」

まさがその背中に声をかけて振り返ると、だらしなくニヤけた永倉の顔が目の前にあった。

「うわ!」

「『ほなおおきに』だって。おばさん、あれだれ?」

「こ、衣棚町ころものたなちょうにある八百屋さんとこの娘さんどすわ。あそこはご主人が病気がちで、お店の方は奥さんがほとんどりしたはるさかい、ああして娘のあぐりちゃんが行商に出たはるんどす。よう働くええ子どすえ?」

永倉は、あぐりが出ていった勝手口を名残なごり惜しそうに見つめている。

「ふうん、あぐりちゃんかあ。たしかに、ええ娘どすなあ。ぐふ、ぐふふふふふふふ」


原田左之助が、台所の入口にかかる暖簾のれんから顔を出したのは、そのときだった。

「奥さん、お客さん!」

その原田の後ろには、恰幅かっぷくのいい中年の男が立っていた。

雅は、その男の顔を見るなり、うちとけた様子で歩み寄った。

「あれ、中村はん。おいでやす」


男は中村小藤太なかむらことうたといって、八木家と同じく浪士組を自宅に受け入れた壬生みぶ村の郷士ごうしだった。


当初、11軒もあった浪士の分宿ぶんしゅく先も、本隊が江戸へ帰還きかんしたことで、そのほとんどが平穏へいおんな日常をとり戻しつつあった。

ただこの中村小藤太と八木源之丞やぎげんのじょうだけは例外で、ちょうど部屋を貸していた浪士が京に残ると強情を張ったせいで、貧乏くじを引く羽目ハメになった。


「おはようさん」

中村小藤太は、台所をのぞき込むようにして挨拶あいさつを済ませると、不審な目で、がりがまちに腰掛け不気味な笑みを浮かべる永倉をながめた。

まさは引きつった笑顔で、中村の視界から永倉を隠すように立ちはだかった。

「あの、こ、これは違いますのや。この人、さっき不埒ふらちな浪人どもとたたこうて、こう、ひどいことお顔をなぐられはってなあ。勝つには勝ちましたんどすけど、顔がもと戻らんようなってもうて…」


ところが、まさの苦しい言い訳をに受けたのは、原田左之助だった。

「マジかよ初耳だぞ!そんな武勇伝ぶゆうでんはきいてね…グフ!」

ニヤニヤして永倉の顔をのぞき込もうとした脇腹わきばらに、雅が肘鉄ひじてつを入れた。

「あんたは、ややこしなるから黙っときなはれ!」

つづいて永倉の耳をつねり、まさは押し殺した声でおどしつけた。

「永倉はん…分かったはるやろなあ!ほんま、これ以上ご近所の評判落とすんは堪忍かんにんえ?そうでのうても、うちは化け物屋敷(バケモノやしき)みたいに思われとんのやさかい」

「ん?なにがなにが?」

永倉は鼻の下をのばして振り返った。

「…なにがて、その鼻の下、なんとかしよし!!」


なんとなく身の置きどころのなくなった中村小藤太が、咳払せきばらいをした。

「あ、あ、そやそや、中村はん!ったらかしにしてしもて!ちょっとだけ待っとおくれやす。あんた!あんた!」

まさはアタフタして、主人の源之丞を呼んだ。

ところが中村は、手を振って雅をとめた。

「あ、あ、奥さん。違いますのや、近藤せんせは居やはりますか?」

「え?近藤先生(せんせ)どすか?」

まさは意外な顔で振り返った。


「うちとこに泊まったはった殿内先生(せんせ)の件で来ましたんや」

中村が事情を説明すると、とたんにまさまゆをひそめた。

「ほんまに、えらいことで…」

そして、こんなところへ客を連れてきた原田をにらみつけた。


さっきの肘鉄ひじてつが効いたのか、原田左之助はふるえ上がった。

「あ、近藤さ…近藤にご用なのでありますか?それじゃあ、俺、いや、わたくしめが、呼んできてやり…差し上げましょう」

めずらしく殊勝しゅしょうなことを言うと、いそいそ離れのほうに歩いていく。


殿内義雄の名前が、微妙にその場の空気を変えていた。


永倉もそれを感じ取ったのか、はしを口に運びながら、神妙しんみょう面持おももちでたずねる。

「そういや、さっきの娘が言ってた騒ぎってのは、そのことかい?」

まさは、まるで誰が聞き耳を立てているとも限らないというように声をひそめた。

「それが、殿内せんせ、昨日のばん四条大橋のとこで斬られはったらしゅうて…」

永倉は、飯盛めしも茶碗ぢゃわんを置き、まさと中村に向き直った。

「…死んだのか?」

「はっきりしたことは分からしまへんけど、今朝(はよ)うに奉行所の方がみえて、近藤はんらと長いこと話し込んだはったさかい、多分…」


永倉は顔をしかめ、何か考えるように、人差し指でひたいをおさえた。

「ふうん…この壬生菜ってえの?これ、古くなってない?」


まさは、また目を吊り上げた。

「そういう味なんや!」

「わ、わかった、分かりました」

「ほんまに!近藤先生(せんせ)は、気苦労きぐろうが多うて、今朝も食欲がないうてはったくらいやのに…」

「はあん。悪かったねえ、無神経でさあ?」

中村が、二人のやりとりに、おずおずと割って入った。

「うちの方にも奉行所から与力の草間くさま様ゆう方がわざわざ見えて、色々聞かれましたんやけど、詳しゅうは教えてもらえへんかったんどす」


京の町奉行も、さすがに会津藩旗下あいづはんきかの人間が斬られたとあって、本心はともかく、身を入れて捜査をしている姿勢だけは見せておこうというつもりらしい。


原田左之助がいつの間にか勝手口かってぐちから戻ってきて、口をはさんだ。

草間烈五郎くさまれつごろうとかいう奴だろ?そいつなら、うちにも来たぜ。近藤さんに根掘ねほ葉掘はほり聞いてたのはそいつだ。イヤな野郎でさあ」



「で?奉行所の人間は、何があったと言ってる?」

永倉がことの顛末てんまつをたずねると、つづいて姿を現した土方歳三が、後を引き継いだ。

「さあね。くわしいことを聞く前に近藤さんを連れて行っちまったからな」

「…つまり、殿内は死んだのか?」

永倉がイライラした様子で核心かくしんを突くと、土方は目を閉じ、残念そうに首を横に振った。

「たしかに、イケ好かないところのある人だったが、同志の一人だからな。まだ京に着いたばかりだってのに、惜しいことしたもんだ」


永倉の眼光がんこうは、土方の表情に現れるわずかな変化も見逃すまいと鋭さを増した。

「…ああ、そうだな。で?相手は誰なんだ。それくらいは聴いたんだろ?」


「さあね?長州の仕業しわざじゃねえかって話だが…」

土方は中村小藤太に向き直り、答えををはぐらかした。

「ま、そんなわけで近藤は不在です。ご用件は、私がうかがいましょう」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=929024445&size=135
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ