女たち 其之参
「ふん、こけ脅しか。話にならんな、これを見ろ」
殿内は懐から鵜殿鳩翁の書状を取り出し、正面に座る芹沢の前に放り投げた。
これこそが、殿内義雄をして浪士組の長たらしめる根拠なのだ。
畳の上の書状を冷ややかに見下ろし、芹沢は太夫の酌を受けている。
代わって、水戸一派の平山五郎がそれを拾い上げた。
彼はサラリと文面を読み流しただけで、その正当性に反論の余地がないと悟ったか、隻眼に憎しみをたぎらせて殿内を睨みつけた。
「拝見」
山南敬介が差し出した掌に、平山はそれを圧し潰すように叩きつけた。
山南は静かに目を通し終えると、顔を上げ、その紙を手の甲で弾いた。
「しかしここには、こうある。『京都に残りたいと申し出た者は、会津藩にその身柄を預け、同家(会津松平家)の指示に従うように伝えよ』」
しかし、その指摘も殿内には予期したものであったらしい。
「その通り。しかし、書付けの最後を見たまえ。それを“伝える”のは私の仕事だ」
たしかに、文末には鵜殿鳩翁の名で殿内、家里宛てとある。
殿内は山南が返答に窮するのを満足そうに眺め、止めを刺した
「つまりだ。京に残留する浪士の身の処し方については、万事わたしを通して、会津公のご指示を仰ぐことになっている。そもそもお前たちが幕府のあたま越しに会津藩と話をするなど、僭越だとは思わんかね」
芹沢が太夫を抱き寄せながら聞いた。
「あんたは、浪士組が会津の庇護に甘えるだけでやっていけてると思ってんのか?」
殿内は汚らわしいものでも見るような目で吐き捨てた。
「それは貴様らのやってる押し借りまがいの金策を言ってるのか?」
山南と土方は、そろって渋い顔をした。
もっとも痛いところを突かれたからだ。
しかし当の芹沢は、そんな中傷など意にも介さない。
「おもしれえ。じゃ、どなたか知らねえが、あんたと仲良しの、その幕府の偉いさんから今すぐカネを工面してきてもらおう」
殿内は芹沢の挑発を一笑に附した。
「子供じみた無茶を言うな」
「無茶だと?具足もねえ、武器もねえ、頭数も充分じゃねえってのに、どうやって攘夷派の荒くれどもと戦う?このままじゃ俺たちは、いつまで経っても烏合の衆だぜ」
熱を帯びてきた議論に酌をする芸妓たちの手も止まる。
「誰といつ、どう戦うかは、お上が決める。お前たちはそれまで、せいぜい竹刀でも振っていればよろしい。ま、これだけは言っておいてやろう。金の当てならあるから心配するな」
殿内は不遜に言い放った。
今夜の暗殺計画はいよいよ避けられそうにないと判断した土方が、末席に座る沖田総司に耳打ちした。
「じき話し合いは決裂だ。おまえは先に店を出て、粕谷と落ち合え…こっちはなるべく長く引きとめて、飲ませるだけ飲ませておく」
沖田はわずかな目の動きで了承の意を伝えた。
「…街を出る前に殺れ」
そこには、短慮な男を演じる土方歳三の姿はすでになく、本来の冷徹な策略家がいた。
ちなみにこの後、敵を酔わせて斬るのは土方の常套手段となった。
「厠にいってきます」
白熱する議論にみなの意識が集中したころ、沖田は酌をする芸妓に声をかけてさりげなく席を立った。
勘の鋭い斎藤一が、その妙な気配に問いかけるような視線を投げると、沖田はわずかに首を振って「ついて来なくていい」と目配せを返した。
沖田が外に出た頃には、すでに下弦の月が南の空に浮かんでいた。
路地の暗闇に潜んでいた粕谷に合流して、声をかける。
「…たぶん、もう少しで話し合いは終わります」
「で?」
協議の行方を問う粕谷に、沖田は首を横に振って不調に終わったことを告げた。
それは、同時に暗殺の決行を意味する。
沖田は自分を押し殺し、土方の作戦を淡々と伝えた。
「悪くない作戦だ。あの土方というのは油断のならん男だな」
闇の中に妖しく光る粕谷の目が笑っていた。
沖田はそんな事などどうでもいいと首を振った。
「それより、どうします?」
決断を迫るその口ぶりはさりげなく、
それでいて、沖田の視線には射抜くような鋭さがあった。
粕谷は軽い驚きの表情を浮かべた。
「どうするだと?今さら何を聞く。無論、今夜決着をつける」
粕谷の云う「決着」がなにを意味するか、沖田は解っていた。
「あれから…あなたの話を聞いてから、殿内をつけ回してるあいだも、ずっと考えてたんですよ…」
沖田は宙に視線を漂わせて、言葉を切った。
粕谷は、ただ黙ってその続きを待っている。
「…やっぱり、あなたに手柄を譲る訳にはいかない」
粕谷は沖田の言葉の真意を探るように目を眇めた。
「沖田くん。私を救いたいなどと思っているなら、それは思い上がりだ」
二人はしばし睨み合った。
先に口を開いたのは沖田だった。
「…逃げ出したいと思ってるのは、実はあなたの方じゃないんですか」
「なんだと」
沈着冷静な粕谷新五郎が、めずらしく感情らしきものを覗かせた。




