玉藻御前 其之弐
舞台裏で、いや、客席の裏でこうした狂騒が演じられていたころ。
壬生狂言は最終の演目を終えようとしていた。
だが、阿部慎蔵は、そのずいぶん前からソワソワし始めていた。
「さあて、いよいよ飯の時間か」
もみ手しながら辺りを見渡すが、いっこうに島田たちは戻ってくる気配がない。
彼らのコネがなければ、関係者の集まる宴席にもぐりこむことも出来ず、したがってディナーもお預けになってしまう。
「なんだよう、あいつらどこ行きやがった?」
となりに座る斎藤一が煩わし気に顔をしかめた。
「…会津のお偉方を案内するために、先に出たのかも知れん」
阿部は飛び上がるほどの勢いで立ち上がって、斎藤の両肩をつかんだ。
「そ、そりゃねえだろ?なあ、あんた!俺はこの後の宴席に招待されてるんだぜ。それどこ?あいつら、どこへ行った?」
「先斗町の瓢亭とか言ったか…」
阿部は開いた口が塞がらなかった。
「なな、なんだと?それって、俺がこないだ食い逃げでとっ捕まった店じゃねえかよっ!チクショー、島田の野郎!!!」
斎藤がめずらしく驚いた顔をすると、阿部は取り繕うように手のひらを突き出して、
「す、すまん。取り乱した。今のは忘れてくれ」
とゆっくり後退り、逃げるようにその場を立ち去った。
ともあれ、こうして 壬生狂言の特別公演は盛況のうちに幕を閉じた。
― かに見えた。
客たちが満足した顔で帰路につくなか、
奈落の底では、近藤、山南、土方、永倉、そして島田魁といった面々が、重苦しい雰囲気で顔を突き合わせて、
原田左之助失踪の真相が解き明かされようとしていた。
「…こ、此処にいたんですか?」
山南敬介が信じられないといった表情でガレキの山を見つめた。
「ええ。それも、昨日の昼から」
島田魁の報告は、なぜか残念な結果を伝えるトーンだった。
山南は眉間を指で押さえながら、事の経緯を整理しようと努めた。
「つまり、これまでの話を総合すると、原田さんが落ちたのは昨日の公演の前ってことになりますよね?で、その後ずっとあそこで寝てたってことですか?」
「まあ、寝てたのか、気を失っていたのかは意見の分かれるところですが」
山南は、何かを考えるときの癖で、あごの先を指で触れた。
「とすれば、昨日も最初の演目は『焙烙割』だったから、寝ている原田さんの上にあの皿が山ほど落ちてきたことになる」
その痛みを想像したのか、山南の眉間には深いしわが刻まれた。
「いや、だから、埋まってたんでしょ」
島田は当惑したように応えた。
「…俺が思うにですね、最初の衝撃で一度目が覚めて、そのあと焙烙の雨あられで気を失ったんじゃないかと…」
永倉新八が、島田の胸板に突っこみを入れた。
「ほんっっっとに!どっちでもいいよ!」
憔悴した永倉は、そのまま足を引きずるように何処かへ行ってしまった。
近藤はこの滑稽な問答を黙って聞いていたが、
「さっぱり分からんが、とにかく分かった」
そう言って、いきなり身をひるがえし、本堂の方に向かってスタスタと歩き始めた。
土方が驚いて呼び止める。
「よう、どこ行くんだ?本多さんたちを待たせてんだろ?」
「ひとこと寺に詫びを入れてくるから、そっちの相手は頼む」
近藤は振り返りもせず、手を振って応えた。
山南がその後を追う。
「なら、わたしも行きましょう」
「ふん、律儀なこったな。寺には、お詫びの印を明日にでものし付けて届けといてやるよ。粗品だがな」
土方は誰にともなく呟いて、自分の冗談が気に入ったのかニヤリと笑った。
近藤が庫裏(寺の居住区)に顔を出すと、すでに八木源之丞と井上源三郎が住職に頭を下げていた。
住職は立場上厳しい態度を崩さないが、吹き出すのを必死にこらえている。
「こ、困りますなあ、神聖な大念仏堂のまえで酔いつぶれて、ぷっ、埋まってるて!」
八木源之丞としては、ここで一緒に笑うわけにもいかず、まさに平身低頭で原田左之助をかばった。
「和尚はん、そら原田ゆう人はたまに非礼な振る舞いもするし、罰当たりなこと言うたりもします。そやけど、あのお方も根は善人や言うことは請け負い…」
そこへ足早にやってきた近藤が割って入った。
「お話し中、失礼。ですがこれは八木さんが謝ることじゃない」
近藤は住職に向き直り、深々と頭を垂れた。
「せっかくご好意でこのような催しをお許し頂いたというのに、このたびの不祥事、まことに申し訳もありません。とにかく、後ほど本人もここへ引っ立てて必ず侘びを入れさせますので」
近藤に倣って山南と井上も頭を下げたところに、島田魁がタイミングよく寝ぼけたままの原田左之助を引きずってきた。
土方歳三にでも言われたのだろう。
島田は申し訳なさそうにペコリとお辞儀した。
「こんな状態ですみません。まだボーっとしてるみたいなんですが」
原田は両腕を支えていないと立っていられないような状態で、まるで島田の操り人形だった。
「とにかく、謝れ!」
近藤にうながされ、原田は朦朧としながらも、なにかブツブツと申し開きを始めた。
「ど、どうもどうも…え…え~、『寝た間は仏』なんて諺がございまして~…」
「おまえは落語家か!」
近藤が後頭部を平手で思い切り打つと、原田はまた気を失った。
井上源三郎が、頭を抱える近藤の顔色を窺った。
「な?あたしの言った通りだったろ?想像してごらんよ。もし八木さんが舞台で踊ってる最中に、左之助が奈落からヒョッコリ顔を出したりしてたら、何もかも…」
近藤は井上に手のひらを突き出し、延々と続きそうな最悪のシナリオを遮った。
「も、もういい!もうそれ以上聞きたくない!とにかく!この兵六玉には水でもぶっかけて、宴席までに、使い物になるようにしといてくれ!」
そう怒鳴ると、ゲンナリした様子で引き揚げていった。
「じゃ、我々もそろそろ…」
井上が目で合図すると、島田魁が原田の抜け殻をヒョイと担ぎ上げた。
山南と八木源之丞は、何とも気まずい雰囲気のまま、住職の前に取り残された。
何か言わねばとマゴマゴする山南を見かねて、また源之丞が弁明を始めた。
「えーと、あの~…と、とにかく聞いとくれやす。つまりその…ご覧になった通り、あのお方も根は善人どしてな?え~…私が成り代わって、その、申し開きをさせていただけるんならばどす!う~…あ~…。そうそう!そや!つまり、人よりもほんのちょっとだけ寝起きが悪い…その、まあ、そういうことどすな」
言い訳は、そのまま尻すぼみに終わった。
100話です…。終わんねえなあとか思わないで、お付き合いくださいね。
※当時の壬生寺の住職さんの名前が分かんないんですよ。残念。
※寝た間は仏:誰しも眠っている間は、仏のように無心で幸せな気持ちになれるということ




