表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/404

目撃者 其之壱

閑話休題かんわきゅうだい

再び文久年間、明けて三年一月下旬のこと。


大坂、八軒屋の船着場ふなつきばに、その日最初の三十石船さんじっこくせんが到着した。

三十石船とは、京と大坂の間を結び、淀川を定期就航ていきしゅうこうしている連絡船である。


この船から降り立った乗客のなかに、阿部慎蔵の姿があった。

朝の四ツ(10:00am)、船は満員だ。

(三十石というのは積載せきさい量で、約4.5t、おおよそ三十人が乗れた)

陸に上がった乗客たちが、あわただしくあちこちへと散っていくなか、阿部だけは、どこへ向かうでもなく、桟橋に座りこんで、ぼんやりと船着場から見える大阪城を眺めたりしている。

その顔は、かなりゲッソリとやつれてみえた。

船酔いのせいもあったが、ここ数日ろくに食べていないのが原因だった。


例の辻君にはすぐにも大坂へ帰るようなことを言った阿部だが、実は、その後二ヶ月あまりも京で無為むいに日々を過ごしていた。


それには彼なりの事情があった。

大坂には顔を合わせたくない人間がいるのである。



阿部はもともと出羽亀田藩の小さな村出身だが、脱藩だっぱんして各地を放浪した末、ここ大坂に流れ着いた。

この頃の大坂は、経済の中心地だったので、こういう腰のわらない浪人者が、食いぶちを得るために居ついてしまうのは、そうめずらしいことではなかった。

まして、世情せじょうは混乱を極めている。

諸国の藩邸や蔵屋敷くらやしきが集まる大坂にいれば、どこぞの役付やくづきの目にとまって、思わぬ恩恵おんけいにあずかれるかもしれない。

もちろん阿部にも、今どきの浪士なみに、「勤王」や「攘夷」のために働きたいという気持ちがあった。

そのためにも、とりあえず腕に磨きをかけることにした阿部は、南堀江にある小さな町道場の門を叩いた。


そこを選んだ理由は、これといってない。

あみだ池の遊郭ゆうかくでハメをはずした勢いで、翌朝、近くにあった道場に飛び込んだというのが正直なところだ。

道場主は松山浪人の谷万太郎という男で、剣は直心流、ヤリは種田宝蔵院流をつかった。

剣にはそこそこ自信のあった阿部にとっては、ヤリを教えてもらえるのはありがたい。


谷は人の良い人物で、上方に頼る者のない阿部の面倒を、なにくれとなくみてくれた。

だが人が良いというのは、見方を変えれば、あまりにさとくないということである。

道場は、門弟もんていの数も少なく、いわゆる経営不振にあえいでいた。


阿部は一肌ひとはだ脱ごうと金の工面くめん奔走ほんそうしたものの、しょせん、そういった方面にうといのは、谷とあまりかわらない。

けっきょく、阿部の役回りは、居留守いるすをつかう谷に代わって、おしよせる債権者さいけんしゃの追及をのらりくらりかわすことになった。


そんなとき、毎日のように道場に押しかけていた、借金取りの石塚岩雄という素浪人すろうにんが、怪しげな仕事を持ちかけてきた。

さる神社に奉納ほうのうされた宝剣を手に入れたいというのだ。

ありていに言えば、盗みの依頼である。

それを売れば、借金を返してお釣りがくるらしい。


この依頼は、なぜか谷万太郎を通さず、直接、阿部のところにやってきた。

谷という男は、もともと育ちもいいし、妻も良家の子女だったから、危ない橋を渡れと言っても、みゃくがないと思われたのだろう。

阿部にしたところで、谷へ恩を返したい気持ちはもちろんあったが、盗みをはたらいてまで金を作るのはためらわれた。

だが結局、石塚におどしたりかしたりされるうち、なしくずしに仕事を受けてしまい、割り切れぬ思いのまま京へのぼることになったのである。

その結末は、まえに述べたとおりだ。


本来なら、あのあと大坂の道場へ戻って、辻君からの連絡を待つべきだったかもしれない。

かといって、金の工面をすると大見得おおみえを切って出かけた手前、おめおめと谷万太郎の道場にも戻りづらかった。

それに、大坂へ戻れば、また借金取りと顔を合わせることになる。

道場も年末年始はなにかと物要ものいりのはずだし、そんなところへ催促さいそくみ込まれたら、ハリのむしろに座らされるようなものだ。


辻君が提示した二十両はたしかに魅力だったが、彼には、やはりどうしても金で殺しをけ負う気になれなかった。

京で人足にんそく仕事などをやって糊口ここうをしのぎながら、あれこれ金の工面に思い悩むうち、年をまたぎ、気がつけば二ヶ月が経っていた。

しかし、京に住む場所を持たない阿部に、いつまでも金が続くはずもない。

やがて、その日食べるものにも事欠ことかくようになった。

ここに至って、安部はようやく大坂へ戻るを決心をした。

もう手遅れかもしれないが、大坂で辻君からの連絡を待つことにしたのだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=929024445&size=135
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ