拾七、幸福論
幸福論、其の弐
ふわりふわり、ふわふわり。
「見てご覧」と指を差され、男は野原に目を向ける。綺麗な菜の花がふわふわりと優しい風に揺れている。
「何故だ」と問うと、その女は「それが幸せなのさ」ところころと微笑んだ。
「ここでこうして菜の花を眺めているのが、幸せなのか」
「いいや、違うよ」
「どうも俺には分からんな」
「そうだろうよ、あんたみたいにしがらみに絡み取られていると、見えないものさ」
女は菜の花の中に座り込んで、その綺麗な香りを胸いっぱいに吸い込んだ。そして唇からの吐息は甘い女の色香に変わる。なんと美しく麗しい光景か。女はただそこに座り息を吐いているだけだというのに、その吐息にすら色を感じてしまう。
「私はここでこうしているだけで幸せよ。どうもあんたは金だの名誉だの権力だの、そういうくだらないモノを追い掛け回している。いえ、追い掛け回されているのかしら」
「幸福論など水掛け論ではないか」
「そう思うのならば、どうして私のところにおいでになられたのかしら」
柔らかい言葉で追求され、男は苦笑してしまった。いや、どこかで自分の追い求めている幸せが歪んでいると気付いていた。だがそれを認めてしまえば、きっと何かを失ってしまうと怖れていたのだ。
いや、きっと手に入れるよりも失うことが何よりも恐ろしい。この世界は全て金と名誉と権力が支配している。だが、それを追い求めて何が悪かろう。世知辛い世の中でそれが幅を利かせているのは、その世の中にとってそれがとても大切だからこそ、そうやって求められるのだろう。
「あんたは見えるものしか信じないんだね。見えるものだけが全てなら、今あんたがここにいる理由すらも捨てるのかい」
女は菜の花を一輪摘み、それを男に差し出す。男はゆっくりそれを受け取ると、鼻先から香る。なんという愛しき香りか。摘まれても摘まれてもきっと、この菜の花は香ることをやめないだろう。
「なるほどなるほど、これもまた幸福と言うことか」
「そうさね、あんたが幸せに思えるそれが幸福なのさ」
男は女の隣に座り込むと、女の肩を優しく抱き締めた。幼馴染の女が伝えてくれたのは、正しさではない小さな幸福論だった。
香り漂いふわふわり。