オープニング 点と線
使用教科書 【第一学習社 数A】
さて、今回は【集合論】についてのお話、第1回。
突然ですが【点と線】。
芥川賞作家・松本清張先生の作品に同名のミステリー小説がありますが……
数学の世界にも【点と線】にまつわるミステリーがあります。
まず【点】についてですが、数学で扱うこの【点】、実は大きさを持たないのです。この事実は【ユークリッドの原論】にまでさかのぼる事が出来るのですが、今回、そこまで深くは踏み込みません。
※ 時々出てくる「よくわからない専門的な言葉」はスルーしても大丈夫です
数学ではこのように点Aを図示したりするわけですが、実際の点は大きさを持たないので
ホントはこのように、【点】自体は見えないはずなんですね。でもそれじゃぁ、図形の勉強をしようとしてもワケわからないし(そもそも図を描く意味がないので)
図形として【点】を表示する時は、大きさを持たせて描く事になるのです。とりあえず
【点は大きさがない】
という事だけ覚えておいて下さい。
さて、お次は【線】。「線とは何ですか?」と聞かれた場合、みなさんは何と答えるでしょう?
【線】とは【点】の【集まり】である
このように答える人、私の経験上、けっこう多いです。
異なる2つの点が与えられた時
その2点を通る直線を1本ひく事が出来ます。直線とは両端がなく、無限に続く真っ直ぐな図形の事ですが、今回は
このように両端が存在する、いわゆる【線分】という形を考えてみましょう。上の図は【線分AB】と言います。この時、この線分には【長さ】が存在しますよね。例えば
線分ABの【長さ】が5になるとしましょう。
さて、ここで1つのミステリーに遭遇するんです。もし「線とは点の集まりである」としたならば、大きさを持たないハズの点を集めたところで、大きさ、すなわち長さなんて出来ないはずです。
例えば点を1000個集めたところで、大きさをもたない連中の集合にすぎないわけですから、どのように点を並べようと、その集まりの大きさは
0×1000=0
0のハズです。仮に点を1億個集めても、やはり大きさはゼロ。ではもっともっと遙かに多い、無数の点を集めたら?
確かに直線(線分含む)には、無数の点があります。
しかし
【大きさ0】の点を集めたところで、【長さ】(大きさ)が出来るハズがない
いや、無数にあるなら【大きさ】が出来る
どちらが正しいのでしょうか? 実際のところ、線分には長さが存在するので後者が正しいような気もします。しかし点を集めて線が出来たというならば
大きさを持たないものでも、無数にあれば大きさが出来る?
という話になるわけで、そこが1つ、数学的ミステリーとなるわけです。
線には無数の点がある。言い換えると【無限個】の点があるという言い方になります。
この【無限】という概念は非常にやっかいで、時に直感的でない結果が現れる事があるのです。
例えば中学校で習う、循環小数の話を。【0.9999……】と、小数点以下に無限に9が続く数と、【1】はどちらが大きいでしょう?
0.9999…… < 1
と思う人もいるでしょうが不正解。正解は
0.9999…… = 1
です。何故かというと
x = 0.9999…… ①
とおきます。それを10倍した式を①の上に書きます。
10x = 9.9999…… ②
x = 0.9999…… ①
②-①をすると
9x = 9
となり、【x=1】を得ます。x=0.9999…… でしたから
0.9999…… = 1
というわけです。このように【無限】が絡むと、直感的に【おや?】と思うような事が起こりえるのです。
一昔前の数学界ではこの【無限】を曖昧に扱った時代もあり、それが大論争のきっかけとなる事もしばしば。
有名どころでいうと、ニュートンやライプニッツの創始した【微積分】における【無限小】の概念も大論争を巻き起こした1つの事例です(その話は【微分積分】のところでしたいと思います)。
話を戻します。
大きさを持たない点を無限個集めたら、大きさが出来る?
この疑問に答を与えたのが【カントール】や【デデキント】など19世紀後半から20世紀初頭に活躍した数学者達になります。【デデキント】は自らの生み出した【デデキント・カット】(デデキントの切断)と呼ばれる手法で【実数の連続性】を示し、【カントール】は自然数が無限にあるという【無限】と、実数が無限にあるという【無限】では、その度合いが違う事を示しました。
※自然数 → 1,2,3,4,……
※実数 → -3,0などの整数、1/3 や -7/3 などの有理数の他、√2(ルート2)や、円周率のπ(パイ)なども含めた数
中学時代の数学を覚えている方なら、自然数は実数の中に含まれる数なので、自然数の無限よりも実数の無限の方が大きいのは当たり前と思う人もいるでしょう。ところがそう単純な話ではないんですね。
自然数 1,2,3,4,……
偶 数 2,4,6,8,……
「自然数と偶数、どちらが多い?」と聞かれた場合、専門的に数学を学んでないと「自然数が多い」と答える人がほとんどでしょう。だって、自然数の中に偶数が全て含まれているのですから。
ところが数学の世界では、自然数と偶数は同じ数だけある。正確に言うと、集合としての【濃度】が等しいという言い方になります。ちなみに自然数と整数、自然数と有理数も同じ数だけある(同じ【濃度】となる)のです。それが何故かについては、後半語りますので。
自然数と整数は同じ数だけあり(同じ濃度であり)、自然数と有理数も同じ数だけある(同じ濃度である)。そこまできたら自然数と実数も……となりそうですが、不思議な事に自然数と実数はそうならないんですよね。
こと【実数】になると一気にその個数が跳ね上がります(濃度が違う)。ここらへんの話も、後半していきますので。
【無限】が絡むと、直感的でない結果が多々得られる
という事なんですね。
集合を構成している1つ1つのものを【要素】と言います。無限個の要素を持つ集合について、深く研究したのが集合論の創始者【カントール】。
19世紀の後半、カントールは【集合論】、そして【無限】という概念を深く研究し、後の数学界に大きな影響を与える事になります。
数学においては、どの集合をベースにして話を進めるのかは大事な話。
例えば高校数学では【有理数の範囲で因数分解しなさい】とか【実数の範囲で因数分解しなさい】、あるいは【複素数の範囲で因数分解しなさい】といった問題が出題される事もあります。
他にも、自然数の世界で考えると素因数分解は1通りですが、代数的整数において素因数分解は1通りとは限りません(※)。
カントールは自然数や実数の集合について、驚くべきいくつかの事実を証明しました。しかしどうしてもある1つの問題だけは解決できず、そのまま亡くなってしまいます。
【連続体仮説】
後にヒルベルトやゲーデルらがのカントールの意志を引き継ぎ、彼の死後45年にして、コーエンが連続体仮説について解決を与えます。
しかし……
コーエンの示した結論は、カントールや多くの数学者の予想に反する結果となります。
また、カントールが【連続体仮説】の問題に直面するまでに、【対角線論法】などの画期的なアイディアが使われるのですが……
そのアイディアは数学界を大きく揺るがす【ゲーデルの不完全性定理】にまで繋がっていきます。そしてそれこそが、【連続体仮説】の意外な結末を導く事になるのです。
集合論を巡る議論の中、カントールは精神を病み、晩年は精神病院で過ごすことになります。そして退院する事無く、亡くなってしまいました。
連続体仮説がどのようにして生まれ、そして意外ともいえる結末はどんなものだったのか?
カントールは何故、精神病院で生涯の幕を閉じたのか?
この章では、そういう話をしていきます。
後半、ちょっと難しい話をしてしまいましたが、難しそうな所はスルーして下さい。
それでは……
今宵のドラマティックな数学の世界は
【集合論】
その世界を覗いてみましょう。
※ 6の素因数分解について
自然数の世界なら 6=2×3 の1通りのみ。
代数的整数の世界(例えばm+n√-5の整数の世界)では
素因数分解の仕方は必ずしも1通りではありません。
コーシーやラメがフェルマーの最終定理の証明に挑戦した際、虚数を含む素因数分解で一意性が成り立たない事をクンマーに指摘され、2人は最終定理の証明を諦めた経緯があります。
クンマーはその証明の穴を補うため、理想数 (ideale complexe Zahl)なるものを考案。後にデデキントがイデアル(ideal)の概念を生み出しました。【イデアル】は、プラトンの【イデア】が語源です。これらの話は、【数A:整数論】でやる予定です。