P11 【連続体仮説】の意外な結末
さて。今回は集合論の最終回となります。
正直今にいたるまで、結構マニアックな話を続けてきたなと反省しております。
初心者にわかるようにと思っていたのに、つい……
でもまぁ、ここまで来たら行くトコまで行きます。笑
「P4 カントールの言葉」のところで、カントールの言葉
【私にはそれが見える。だが、信じる事が出来ない】
を紹介しました。
数直線上には無限個の点が存在します。そして
平面上にも無限個の点が存在します。この平面上には
数直線上の点も全て含まれているはず。
カントールは数直線上の点と平面上の点が同じ個数だけある事を自ら証明してしまいます。
例えば、整数の集合Zの中に自然数の集合Nも含まれていたハズですが(N⊂Z)、ZとNは同じ個数(濃度)の要素を持っていました。
同様に数直線上の点の集合が平面上の点の集合に含まれていたとしても、それぞれの点が同じ個数だけあるのですが……
果たしてカントールはいかにしてそれを証明したのか?
集合論の濃度の考えに則って、数直線上の点の集合から平面上の点の集合への全単射が存在する事を示したのです。くだけて言うと、数直線上の点と平面上の点が、全て漏れなく手を繋げるという事になります。
数直線上の点は1つの実数に対応しています。そして平面上の点は2つの実数の組で表す事が出来ます。
そこで数直線上の点に対応した1つの実数をaで表し,平面上の点を2つの実数の組(x,y)で表す事にします。
前回、どんな実数も無限小数で表せると言いました。実数aを無限小数で表す事にします。例えば
a=721.3859712746……
この時、平面上の点として
(71.89176…… ,2.35724……)
を対応させます。対応のさせ方は
a=【7】2【1】.3【8】5【9】7【1】2【7】4【6】……
このように実数aに現れる数字を先頭から1つとびでとって(x,y)のx座標へ。そしてその間に現れる数字をとって(x,y)のy座標へ対応させるのです。
この対応の仕方だと、数直線上のどんな点も平面上の点へ1対1で対応出来ます。1対1の対応というのは、異なる2つの実数 a,b に対して、平面上の点も異なる点として対応するという意味です(よくわからない時はスルーしてOK)。
またどんな平面上の点(x,y)を考えても、必ず数直線上の点aが対応します。例えば平面上の点(Π,√2)は(円周率とルート2のペア)
(3.1415926535……,1.4142135623……)
このように考え、それに対応する数直線上の点として
実数 31.14411452912365……
を考えるのです。この実数、よく見ると
【3】1.【1】4【4】1【1】4【5】2【9】1【2】3【6】5……
3【1】.1【4】4【1】1【4】5【2】9【1】2【3】6【5】……
このように1つとびで数字を見ると、ちゃんと円周率とルート2が現れてきます。
上記のような対応を考えれば、なんと数直線上の点(実数)と、平面上の点(実数のペア)は全て手を繋ぐ事が出来る、すなわち全単射が存在する事が言えるのです。
かくしてカントールは
直線上にある点と
平面上にある点とは同じ個数だけある(同じ濃度である)事を証明しました。ちなみに上記の対応で1つの実数に対し2つとびや3つとびを考えると、直線上の点は空間上の点や4次元空間上の点への全単射も作る事が出来ます。
つまり直線上の点と空間上の点も同じ個数ある(同じ濃度である)んですね。
直線上にある点が、平面や空間にある点と同じだけある……
カントールは自分の証明を見て
【私にはそれが見える。だが、信じる事が出来ない】
という言葉を、友人のデデキントの手紙の中で語ったといいます。
無限がからむと、我々の直感が狂う1つの例ですね。
……。
当時、数学の世界では謎の多かった【無限】。その【無限】に立ち向かい、いくつかの謎を解き明かしたカントールは、後の数学界の発展に大きく貢献しています。彼の次にはヒルベルトやゲーテルといった数学者達がバトンを受け取り、多くの実績を残しました。
カントールの遺した【連続体仮説】。自然数濃度と実数濃度の間にくるような濃度は存在しないだろうという仮説ですが……
1940年に天才数学者ゲーデル(アインシュタインの同僚としても有名)が
【連続体仮説】の否定は証明できない
という、ちょっとややこしい事を示しました。連続体仮説は
自然数と実数の間の濃度はない
でしたから、その否定は「自然数と実数の間の濃度がある」となります。ゲーデルはこれを証明する事は出来ないと示したんです。
だとしたら「自然数と実数の中間にある濃度はない」事を示せた……
と言いたい所ですが、実はそうもいかないのです。
ゲーデルの証明から20年以上後、1963年
【連続体仮説】を証明することは出来ない
これをコーエンという数学者が証明しました。これをもって【連続体仮説】の証明に決着が付けられた事になるのですが、よくわからない……
もう少しくわしく話してみます。
実は1940年にゲーデルが「【連続体仮説】の否定を証明出来ない」事を示した数年前、1931年
【不完全性定理】
という大きな定理を証明していたのです。この定理
矛盾のない(無矛盾)公理系において、
真である事も偽である事も証明出来ない命題がある
というもの。先ほどゲーデルは
【連続体仮説】の否定は証明できない
事を示したと言いました。これをもう少しだけくわしく説明します。
集合論はカントールの創始した【素朴集合論】から【公理的集合論】へと発展します(ZF公理に選択公理を加えたZFC公理系)。ゲーデルはZFC公理系の中に【連続体仮説】を加えても矛盾は生じない事を示したのです。
つまり連続体仮説が正しいとしても集合の世界には矛盾がないわけですから、連続体仮説の否定を証明する事は出来ないという結論になるんですね。
一方コーエンはZFC公理系に連続体仮説の否定を加えたとしても矛盾が生じない事を示しました。という事はゲーデルの時とは逆に、連続体仮説が正しくないとしても集合の世界に矛盾はないわけですから、連続体仮説が正しい事を証明出来ないという結論になるのです。
※ より正確には「ZF公理系に、選択公理と連続体仮説の否定を加えても無矛盾である」事を示した。
ゲーデルとコーエンの結果を合わせると
連続体仮説は正しい事も間違っている事も証明出来ない
となるのです。コーエンはこの業績で1966年にフィールズ賞(数学界のノーベル賞)を獲っております。
カントールの遺した【連続体仮説】は
証明する事も否定する事も出来ない
という、当時の数学者達が全く予想だにしなかった結末を迎える事になったのです。
……。
カントールの集合論は現代数学の基礎的な位置づけになっておりまして、彼の業績は後の数学界を大きく発展させるきっかけとなった……これは間違いありません。
例えば上であげたゲーデルの不完全性定理。これは20世紀の数学において【最も重要な発見】と言われています。ちなみにゲーデルはこの定理の証明において、カントールの用いた【対角線論法】を用いています。
実はこの【不完全性定理】。当時の数学界だけでなく、論理学や哲学の世界にまで大きな論争を巻き起こした定理なんです。
紀元前から哲学者・数学者など多くの人々が追い求めてきた【真実】。数学だけが正しい事を証明出来る絶対的な学問だと思われていたのですが、ゲーデルの定理はまさに「数学も不完全」という事を世に知らしめたのです。
この定理により、完全無欠の世界を構築しようとした「ヒルベルトプログラム」は打ち砕かれ、「フェルマーの最終定理を始め、未解決問題を本当に証明出来るのか?」と数学者達は不安に陥り……
などなど、この定理にまつわるドラマは色々在ります。これらのお話は、いつかの機会にさせていただきます。
とにもかくにも
ゲーデルの不完全性定理
数学の絶対神話を崩したとして、またいつかどこかでお話する機会があればなと思います。
……。
そろそろここらへんで、集合論の話は終わろうと思うのですが……
「カントールが精神病院で死を迎えた」という話、完全に忘れてました。笑
彼が精神を病むに至るまでの話はですね、「ラッセルのパラドックス」だとか「クロネッカーとの確執」だとかの話になるので……
数Ⅰの集合論でお話ししたいと思います。笑
では……
今宵ドラマティックな数学の世界
【集合論】
これでお開きとさせて頂きます。
次回のテーマは……
【場合の数】
「インド人が0を発見した」という話は聞いた事あるでしょう。ひょっとしてみなさんは
5,4,3,2,1,
このように数を下っていき、1の次の0を発見したと思ってませんか?
インド人の発見した「0」の本当の意義とは、物を数える事にあった……
という話をする予定です。
※
集合論ではマニアック路線に走ったと反省(これじゃ、タイトルに偽りアリ?)
次回からは易しい話をします!