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婚約が決まったら決まったで、やることが山積みだ。各所への連絡はもちろん、新たな衣装や装飾品の準備、婚約者との交流と、あれもこれも同時進行。時間がいくらあっても足りない。
そんな最中に、姉から呼び出しがかかった。父が王宮で婚約の署名をした時も、頑なに反対していたというから気が重い。
父の後を追うように王都へ向かい、姉の離宮へ足を運ぶと──そこには同じく呼び出されたらしきエリアスの姿があった。
突然のことに目を丸くしたエリアスとイヴェットは、しかし、照れながらも挨拶を交わして微笑み合う。
そのことに目を剥いたのは、姉や王宮の侍女たち。姉からの「話が違うじゃない」という視線を受ける侍女たちは恐縮するばかりだ。
「さあ、お二人とも。お座りになって」
何とか表情を取り繕った姉によって、その後は滞りなくお茶会が進む。
その中で、エリアスが結婚後は職を移すつもりであることが判明した。フォファナ侯爵家の護衛騎士隊に入るつもりで、王宮に話を通しているところらしい。
「イヴェット嬢の側に居たいのです」
柔らかな笑みをイヴェットに向けるエリアスに、姉は淑女の仮面を保てず絶句してしまっている。領地と王宮で離れた結婚生活を送るつもりだったイヴェットも、彼の判断に驚きを隠せない。
それだけエリアスの気持ちが大きいのだと思うと、胸の奥がきゅぅっと締め付けられる。少し息苦しさも感じているイヴェットに追い打ちをかけるよう、エリアスが口を開いた。
「イヴェット嬢。手紙で許可を取るつもりでしたが、良い機会ですので直接伺いますね」
「はい。何でしょう?」
「俺の非番の日は、侯爵家にお邪魔しても良いでしょうか?」
「ぇ、えっと……?」
満面の笑みで迫るように問われ、イヴェットの口から淑女らしくない声が少し漏れた。それも無理はない。側に居たいと言ったばかりの口で、休みのたびに領地へ来たいと続けられれば、愛の告白ほどの破壊力がある。
「……エリアス卿。妹が困っておりますわ。貴族なら、建て前を用意しておかないと」
「これは失礼致しました、王太子妃殿下」
姉は扇子で口元を隠しながら助言をしているけれど、その視線は呆れていることを隠せていない。これではまだ婚約反対を覆せないかもと、イヴェットが助け舟を出すことにした。
「お披露目に向けて、揃いの衣装を作らなくてはなりませんものね。いつでもいらしてくださいな」
「っ、はい。イヴェット嬢、ありがとうございます」
またキラッキラの笑顔を向けてくるエリアスに、イヴェットも扇子で表情を取り繕う。相変わらず眩しい。
そんな二人を交互に見ながら、姉がふぅと小さな溜め息を吐いた。
「仲が良いみたいね。久しぶりにイヴェットの明るい顔が見れて良かったわ」
噂とは違うエリアスに安心したのか、姉がやっとイヴェットに笑顔を向けてくれた。彼の良さが伝わったようで、イヴェットも安堵に胸を撫で下ろす。
姉から更に「今度は王太子殿下も交えてお話ししましょう」とまで言ってもらい、お茶会は大成功に終わった。
のちに姉は、侍女にぼやいたらしい──「あれでは〈氷の狂犬〉ではなく〈妹の忠犬〉よね」と。それが爆発的に王宮内で広がることになる。
休みのたびに侯爵邸を訪れるようになったエリアスは、馬車ではなく騎乗でやってきた。一日かかる道のりも二刻ほどで済むから、泊まりで翌日の朝に王都へ帰っていく。
滞在中は無闇に過ごしているわけでもない。イヴェットの仕事を手伝ったり、領地の騎士団と訓練をしたりと、エリアスは驚くほどの早さでフォファナ侯爵領の空気に馴染んでいった。
それでは休みがないも同然だと、気遣って声をかけることもあった。しかし「貴女に会えることが英気です」と、甘やかな微笑みが返ってくるばかり。そんなことを言われたら、イヴェットの方が胸の高鳴りで倒れてしまいそうだ。
出会いたての頃はスラスラと出ていた褒め言葉も、今では口にしようとすれば心音が邪魔をしてなかなか出てこなくなった。
そんな様子さえ、エリアスは嬉しそうに見つめてくるから始末が悪い。手を握って「そんな姿も愛らしい」と囁いてくるエリアスは、とんだ人たらしだ。
イヴェットの心の中で急速に存在感を増していくエリアスに翻弄される日々を送っていたら、あっという間にイヴェットの誕生日を祝う夜会の日になった。
誂えた揃いの衣装と、互いの色を取り入れた装飾品。それを見ただけで口元が緩んでしまう。
エリアスは昨晩から滞在していて、準備は万全だ。招待客も入り、両親が挨拶回りをしている最中だった。
「イヴェット。歩き回っていたら後で疲れてしまうよ」
落ち着きなく部屋をうろうろしていたら、エリアスがそっとイヴェットを引き留めた。ただのエスコートなのに、腰に手が回っているだけで心臓が跳ねる。
「わ、分かっていますわ」
「ほら。少し髪飾りがずれてる」
急いで離れようとしたのに、エリアスが髪を整えてくれているから動くに動けない。トクトクと逸る鼓動を鎮めるために呼吸を整えていると、それを妨害するかのようにエリアスが顔を覗き込んでくる。
「これで良し……うん。綺麗だ」
とろりと蕩けた彼の瞳に、自分の真っ赤な顔が写っているのが見える。近い。このまま唇が触れてしまいそう。
「……イヴェット」
少し掠れた囁き声が、口元を撫でた。その色気に、クラクラしてしまう。
エリアスの瞳が細められ、ぐっと、腰に回された手に力がこもった──その時。
トントントンと部屋の扉が控えめに叩かれ、一瞬にして現実に引き戻された。当主の挨拶回りが終わるにはまだ早い。出番はまだ先のはず。
「お嬢様、不測の事態でございます」
しかし扉越しに聞こえてきたのは、焦った執事の声だった。冷静な彼らしくない声色に、慌てて「入って」と声をかける。
「失礼いたします」
「どうしたの?」
「お嬢様……それが……」
執事が言い淀むなんて、初めてのことだ。何故か門番の騎士までいる。招待客は全員揃ったと報告を受けたのに。
「その……アドリアン卿がおいでなのです」
一瞬「誰?」と言いそうになった。イヴェットが思い出すより先に、隣でエリアスが「元婚約者の?」と答えを導き出した。
「そうなのです。門の前で騒いでおりまして……」
「え? アペール伯爵家に、招待状は送っていないわよ」
橋の共同事業を手がけた仲とはいえ、伯爵家にイヴェットとの接触禁止が出されているため今回は招待を見送った。首をかしげるイヴェットに、執事は言いにくそうに口を開く。
「それが……卿はお一人で、辻馬車にてお越しです」
「え?」
執事の言葉に耳を疑う。伯爵家の子息が街で辻馬車を拾うなんて、前代未聞だ。
「オスカー。彼を敷地内に入れてきてほしい。外で騒がれては、領民の目に触れる」
「はっ!」
「トマスは伯爵に伝言を。こちらで対処してから夜会に向かうと」
「かしこまりました」
エリアスの指示に、門番と執事が駆け出していく。イヴェットとエリアスも、アドリアンのところに急ぎ足で向かった。
二人にとって晴れの日に、まさかこんな騒動が起こるなんて……。
「エリアス様、申し訳ございません。わたくしのせいだわ」
王都の庭園で彼と最後に会った時、あるいは伯爵家から謝罪の手紙が届いた時。煩わしくても、きちんと話といれば良かった。
「イヴェットは何も悪くないよ」
「いいえ。わたくしが対応を誤ったのです」
「イヴェットがどう動いていても、彼のことは伯爵家が責任を持つことだ」
エリアスの落ち着いた声に、イヴェットはハッと目を見開く。確かにそうだ。
いつもアドリアンの不始末は、全てイヴェットが処理をしてきた。どうやらその癖が抜けていなかったらしい。
もうアドリアンは、何の繋がりもない赤の他人。それを本人にも、理解してもらわなくてはいけない。
「わたくしから彼に、きちんと話をつけますわ。エリアス様は見ているだけにしてくださいませんか」
イヴェットの決意に、エリアスは少しだけ目を伏せた。その横顔から心配していることが伝わってくる。
それでもイヴェットの気持ちを尊重するように、眉尻を下げながらも微笑んでくれた。
「……分かった。でも危ないことがあれば、俺が前に出る。いいね?」
「はい。ありがとうございます、エリアス様」




