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五男の子宝に恵まれたロスタン辺境伯家。しかし、隣国の美姫と名高い母に似たのはエリアスのみ。その影響で、無骨な父に似た兄たちの婚約者は、美しいエリアスに軒並み秋波を送ってきた。視線だけならまだ良かったのだ。
けれどエリアスに婚約者候補が上がると、彼女らは嫌がらせをして辞退させてしまった。その煽りで、兄たちの婚約が相次いで解消される事態にまで発展。
なまじエリアスが武芸に秀でていたこともあって、新しい婚約者選びでは辺境伯の後継にエリアスをと担ぎ上げようとする勢力まで出てきた。
エリアスにとって、それは疎ましいものでしかなかったという。幸い五男であるため、結婚は本人に任せるという両親の言葉から、エリアスは辺境を離れることになった。
婚約者たちの醜い争いに巻き込まれた結果、近づいてくる女性に拒絶反応が出てしまうエリアスに、選べる職は少ない。理にかなっていたのが、甲冑で顔を隠せる王宮近衛騎士だったというわけだ。
「息子が婚約を申し込みたいと言った時は半信半疑でしたが……イヴェットを好いているのは先ほどで伝わったかと思います」
辺境伯の言葉に、エリアスはゆっくりと頭を下げた。〈氷の狂犬〉となった経緯には、納得せざるを得ないものがある。
けれど事情を知ったからこそ、利用されているだけではという疑念をイヴェットは拭い切れない。何故なら、王妃を姉に持つ侯爵家後継のイヴェットに、嫌がらせなどを出来る貴族が皆無だから。特段こちらと接点がないのに、拒否感なくこちらに好意を抱いたことも疑問だった。
しかし、父は真摯な態度に心を打たれたのか、すっかり絆されてしまったようだ。もう「もし婚約を結んだあかつきには」なんて話をし始めている。まだ男色の真偽は確かめられていないのに。
何とか自然に話題に出ないかと思いつつも手をこまねいていたら、母が話の切れ目で口を開いた。
「イヴェット、エリアス卿にお庭を見せて差し上げて」
ここにきて初顔合わせの定番である「若いお二人で」展開がきてしまった。これはもう、自ら本人に聞くしかないのかもしれない。
「……はい。エリアス卿、こちらへ」
「光栄です」
父にも視線で促され、イヴェットは覚悟を決めて立ち上がった。目を輝かせてイヴェットに倣うエリアスを、あまり見ないでおく。とても聞きにくくなるから。
前を歩く執事に付いていきつつ、これからの作戦を練る。最初は天気。次に庭の花のこと。好きなものを探りつつ、女性の好みもさりげなく聞く。
これだ──イヴェットが脳内で流れを確認しながら建物の角を曲がった時、強めの風が侍女の持つ日傘を揺らした。一瞬陽の光がイヴェットの頬を白く照らすと、隣を歩いていたエリアスが息を呑んだ。
「イヴェット嬢。まだ前の婚約から間もないのに性急な申し込みをしてしまい、誠に申し訳ございません」
「……え?」
突然の謝罪に驚いて足が止まる。後ろを向くと、エリアスのつむじが目に飛び込んできた。国王への謝罪でも見ないような角度で頭を下げている。
「後手に回れば他家に先を越される可能性があったので急いでしまいましたが、イヴェット嬢の心身はまだお疲れのご様子。こちらの不手際、何とお詫びすれば良いか……」
チラッと顔を上げたエリアスは、まるで叱られた犬のよう。そこで自分が、寝不足の儚げな姿だということに気付いた。ガゼボから陽光の下に出たことで、イヴェットの肌の白さが際立っている。
咄嗟に「いえ、そんなことありません。良縁に感謝しております」という言葉が出かかった。しかし、これは……相手にこちらの考えを示しておく好機なのではないだろうか。
「いえ、実は……元婚約者に気落ちするほどの思い入れはございませんでしたの。政略的な婚約でしたので、勤めを果たしていただけですわ」
まず、自分が尽くす性質だということは否定しておくべきだろう。あくまで政略。義務だったと強調すれば、姉の懸念していた『隠れ蓑にされる』人物像からは遠のくはずだ。
「家の契約に関わることですし、王太子妃殿下にも色々と相談していましたのよ。ですので婚約が破棄された今、何の憂いもございません。お気遣い、ありがとう存じます」
王家との縁をちらつかせ、暗に釘を刺すことも忘れない。イヴェットが常に後ろ盾と相談して動く人間であり、決して扱いやすくないことを強調しておく。
──完璧ね。男色家でも何でもかかってらっしゃい。
思案げに俯いていた顔を上げ、イヴェットは意気揚々とエリアスを見遣る。しかし意外にも、彼はまた眩しい笑顔を携えていた。思っていた反応と違う。
「……それなら良かったです」
ポツリと呟かれた安堵の声が、イヴェットの鼓膜を揺らした。打算まみれの自分と違う、純粋な本心。見た目の美しさも相まって、あまりに神々しい。眩しすぎる。腹の中が真っ黒な自分は、浄化されてしまいそうだ。
「ならば少し、話させてください」
浄化の光を何とか扇子で遮っていると、エリアスが予想外のことを話しはじめた。
「俺が初めてイヴェット嬢にお会いしたのは、王太子妃殿下のもとへ通われる際の護衛としてでした」
初めはただ、侯爵家の馬車から王太子妃の離宮までの道中を警護する仕事だった。まだ王太子夫妻付きではなかったエリアスとイヴェットの接点は、その往復のみ。
やがてエリアスは気付いた──姉との茶会に向かうイヴェットは、いつも頼りないほど落ち込んでいるのに、帰りは見違えるほど生き生きとしていることに。
そんな折、王宮の夜会でもイヴェットを見かけたけれど、婚約者に向ける表情はまた違うものだった。
「ますます妃殿下と何を話されているのか、興味を惹かれて……俺は王太子夫妻の護衛を志願いたしました」
中庭に着いても、計画していた花の話題なんてそっちのけで、エリアスの話に耳を傾けながら歩を進める。
念願叶って王太子夫妻の護衛になった彼は、イヴェットが婚約者という悩みの種と向き合おうと努力していることを知った。自分は有り体に言えば、辺境から逃げてきた身。イヴェットの真っ直ぐさに感銘を受けたとのこと。そうしてイヴェットを見守っていた期間は、なんと三年。
「王太子妃が夫婦の仲の良さを語るときの、イヴェット嬢のキラキラとした瞳に……いつの間にか魅入られていたのです」
「……左様、ですか」
紫の花が咲き誇る花壇の前で、エリアスは足を止める。イヴェットはその隣に立ちながらも、顔を見ることが出来ない。とてつもなく顔が熱かった。心音もとても速い。きっと淑女とは程遠い顔をしているはずだ。
いや、でも……王宮で散々そんな顔を見られているから今更だろうか。
まとまらない思考のまま、足元の花々を眺めることしか出来ないでいると、頭上で微かな衣擦れと共にフッと重い吐息がこぼれる音がした。
「……イヴェット嬢は、俺の王宮での噂を聞いたことがありますか?」
急に声を潜められて、イヴェットは思わず顔を上げた。先ほどまで自分が見ていた花を、今度はエリアスが見ている。そのことを少し物悲しく感じるのは何故だろうか。
よく分からない胸の騒めきを振り払うように、イヴェットもまた足元のアガパンサスに目を向ける。
──話に集中しなくては。
エリアスが口にしたのは、姉の手紙を読んだ時から聞きたいと思っていた話題。まさか、本人から切り出してくれるとは思わなかった。
しかし今、わざわざ彼に確認する必要がどこにあるのだろう。エリアスの言動から、もう答えは導き出されているのに。
「姉から少し、伺っております」
「ああ……そうですよね」
素直に答えると、エリアスは目に見えて落胆した。知られていて欲しくなかったと、彼の顔に書いてある。申し訳ないと思いつつも、彼に嘘はつきたくなかった。
「その噂は俺にとって好都合だったんです。好いた人は婚約していたし。でも……イヴェット嬢にだけは、誤解されたままでいたくありません」
エリアスは悲痛な声と共に、イヴェットの足元で片膝をついた。さらに右手を胸に当てて頭を下げる。それは──騎士の誓いを捧げる礼。
「俺はイヴェット嬢と、温かな家庭を築きたいと思っています。貴女が憧れる王太子夫妻のような関係を目指して、誠心誠意を尽くします」
まるで物語の一幕のような光景だった。あまりに非現実的すぎて、イヴェットは呆然とすることしかできない。
それでも、彼が「家族」と言ったことだけは、はっきりと理解できた。これでイヴェットの悩みは杞憂だったのだと。
それどころか、理想の夫婦を共に目指してくれるという。嬉しさにじわりと胸を熱くさせていたら、バッとエリアスが顔を上げた。その眼差しは、夏の陽射しのように強い。
「イヴェット嬢、お慕いしております。どうか俺と婚約していただけませんか」
熱さと暑さでくらりと眩暈がする。じっとこちらを窺うエリアスは、「待て」をされている犬のようだ。その愛くるしさに、心がもう傾いている。
ただ後継を作れる人であればと、割り切っていたのに……。今はこれ以上の良縁はないと、確信を持てる。
「よろしくお願いいたします」
体内で燻る火照りを引きずりつつも、是の答えを口にした。途端にエリアスの表情がパッと明るくなる。
「ありがとうございます。イヴェット嬢」
噛み締めるように紡がれた言葉には喜びが滲んでいて、イヴェットも少し口元が緩む。
満面の笑顔とアガパンサスが、陽射しを浴びてキラキラと輝いていた。
果実水を飲んで一息ついたところで、ガゼボへ戻ることになった。道すがら、エリアスがはにかみながらこちらを見つめてくる。イヴェットが氷だったら、でろでろに溶けてしまいそうな熱視線だ。
「次は、もっとゆっくりお庭を拝見したいです」
ガゼボが見えてきた頃にポツリと呟かれた甘やかな願いに、また頬が熱くなるのを感じた。
婚約者となれば、家を介さず言葉を交わせる。しかし、まだ当主同士がどのような結論を出したかも分からないうちに約束を交わすことはできない。
だからイヴェットは、聞こえなかったことにして返事をしなかったのだけれど──。
「ああ、イヴェット。あとは正式な書類にするだけだぞ」
すっかり辺境伯と意気投合した父の方が、酒を酌み交わす約束を先に取り付けていた。席に戻って早々、辺境伯家の執事が草案をイヴェットとエリアスに提示してくる。淀みない手際に押されるまま目を通せば、政略ではないはずなのに、双方の利が抜かりなく整えられていた。
その中には、侯爵家側から『白い結婚になった場合の賠償』もきちんと明記されている。父はちゃんとイヴェットのことを心配してくれていたのだ。その心遣いに胸がいっぱいになる。両親は味方なのだと思うと、ずっと張り詰めていた肩の力が抜けた。
正式な書類の署名は王宮でと話がまとまると、皆が席を立つ。旧知の友のように固い握手を交わす父たちの傍ら、エリアスがイヴェットに近づいてきた。
「イヴェット嬢。お手を、よろしいですか」
別れの挨拶で許可を求められたのは初めてだ。戸惑いに少し指先がぶれながらも手を差し出せば、そっと手の甲にエリアスの口付けが落とされた。
慣れた所作のはず。それなのに、エリアスの唇が触れた箇所がジンッと痺れ、その熱が全身に伝わっていく。初めての感覚に驚く間もなく、名残惜しそうに彼の手が離れた。
「手紙を送りますね」
「……はい。お待ちしております」
目元を淡く染めたエリアスに笑顔を向けられて、イヴェットも顔が熱くなるのを感じながら頷いた。
目の端で、母が嬉しそうに手を合わせているのが見える。その姿に、イヴェットの頬はますます赤くなるのだった。




