2
王宮で父が王太子に謁見し、承認の判を得た時のこと。背後に控えていた王宮近衛騎士が新たな婚約者に立候補したのだという。
「……北のロスタン辺境伯の、ご子息……ですか」
思ってもみない良縁に、イヴェットは母とともに驚きの声を上げた。父自身、まだ腑に落ちていない顔で腕を組んでいる。
「うむ……。ずっとイヴェットを慕っていたそうだが、知り合いなのか?」
父が訝しむのも無理はない。ロスタン辺境伯家は地方貴族。中央貴族であるフォファナ侯爵家とは、これまで縁がなかった。
問われたイヴェットも、困惑を隠せないまま首を横に振る。王宮へは姉との茶会のために登城していたけれど、甲冑姿の騎士を見分けられるはずがない。ましてや名乗られた覚えも、特段に会話した覚えもなかった。
当主の辺境伯が秋の狩猟大会の視察のため、現在王都に滞在しているという。この機会に、親子で挨拶に伺いたいと子息から申し出があり、断る理由もなく父は了承したらしい。
「まぁ! 良かったわねぇ、イヴェット」
母は娘が慕われていたことに、ニコニコと手を合わせて喜んでいる。しかも相手は王宮近衛騎士で、その中でも殊更優秀とされる王太子夫妻の護衛だ。経歴も身辺も王家が保証しているも同然で、親としてはこれ以上にない良縁だと思ったのだろう。
しかし母とは対照的に、父の表情は硬いままだった。
「うぅむ……それがな、テレーズがやめておけと言うのだ」
「……お姉さまが?」
王太子夫妻に付く護衛。その妃殿下である姉が反対することに、一抹の不安を覚えた。
それが顔に出ていたのだろう。父はやっとのことで表情を和らげて、イヴェットに頷いてみせた。
「テレーズの話を聞いて、先入観を持つのは相手に失礼だ。先方に会ってから諸々判断しよう」
「はい、分かりました」
父の言葉は正論だ。まあ、どんな評判でも元婚約者より酷いことはないだろう。
そうイヴェットが結論付けたところで、その場は解散となった。今日は自室でゆっくり休もうと、早めに部屋へと下がる。
しかし、話がまとまったのを見計らったかのように、王宮からの早馬がイヴェット宛の手紙を届けてきた。姉からだ。読まないわけにはいかない。
手紙はまず、婚約破棄の労いから始まった。元婚約者のことは第一王子の時以上に腹を立てているようだ。『献身に応えなかった彼は、婚約者以前に人として失格』とまで書いてあって、イヴェットは苦笑するしかない。
次いで本題とばかりに、ロスタン辺境伯の子息について綴られていた。
彼は辺境伯の五男で、かなりの美貌の持ち主だという。しかし色恋には一切興味を示さず、剣の腕は群を抜いて優秀。その実力に加え、王宮の侍女たちには軒並み冷淡であることから〈氷の狂犬〉と呼ばれているらしい。
それだけならまだよかった。
とにかく女性を寄せ付けないことから、男色家ではないかと、侍女の間でまことしやかに噂されているというのだ。
イヴェットの献身ぶりは、夜会を通じて王宮にも伝わっている。彼がそれに目を付け、イヴェットを隠れ蓑にしようと企んでいるのではないか──そう姉は危惧していた。
姉の手紙は『父に訴えても無駄だったから、イヴェットが断固拒否する姿勢を見せるように』と締められている。
「これは……お父様が言葉を濁すわけだわ」
呟いた言葉とともに、重いため息が部屋に落ちた。
正直、婚約者に冷たくされるのには慣れてはいる。けれど後継ぎを望めない婚約は結べなかった。
ということは、だ。顔合わせの時に、「子作り出来ますか?」と聞かなくてはいけない、ということ。
難題が浮上し、イヴェットは頭を抱えた。
しかし、時はイヴェットを待ってくれない。辺境伯を迎える準備をしていたら、あっという間に面会の日が近づいてきた。
その間に、隣領の当主からイヴェット宛に手紙が届いた。あの後アドリアンはすぐさま領地に戻され、屋敷で軟禁状態にあるという。
愛人はやはり王都で料理屋を営む平民の娘だった。『責を負わせた』との記述を見るに、もう店は潰れてしまっただろう。生きているかも怪しい。
謝罪とともに、『アドリアンにもう一度だけ会ってやって欲しい』という願いも綴られていた。あれほど尽くしていたのだから、会えば気が変わるだろうという、伯爵家の思惑が透けて見える。
けれど、もう一切関わりたくなかったので、父に丸投げしておいた。イヴェットは〈氷の狂犬〉のことで頭がいっぱいだったのだ。過ぎたものと関わっている場合ではない。
そして、とうとう訪れた顔合わせの日。
緊張のあまりよく眠れなかったイヴェットは、図らずも庇護欲をそそるような、儚げな雰囲気を醸し出していた。
これならば、もし相手が男色家だったとしても、良心が咎めてあちら側から婚約を辞退してくれるだろう。イヴェットの武器は、今のところこれしかない。
刻一刻と約束の時間が迫る。室内は夏特有の熱気がこもるため、話し合いの場は中庭のガゼボに設けられた。
落ち着かずに深呼吸を繰り返しているところで、執事が来訪者を告げる。
晴れ渡る青空の下、夏の涼やかな風とともに現れたのは──日差しよりも眩しい笑顔を放つ〈氷の狂犬〉らしき男性だった。
親同士の挨拶が終わると、彼はサッと紳士の礼を執る。両親へ向けられていた彼の視線は、やがてイヴェットで止まった。
「ロスタン辺境伯家が息子、エリアスと申します。本日はこのような機会をいただき、至極光栄に存じます」
優しげな声が、イヴェットの耳に柔らかく届いた。
──お姉さまの嘘つき!
心の中で、今季二度目となる叫びがこだました。だって〈氷〉のコの字もない。眩しさに思わず目を細めてしまったけれど、なんとか笑みを浮かべつつ淑女の礼を執った。
「フォファナ侯爵家が娘、イヴェットと申します。本日はお越しいただき、光栄に存じます」
手慣れた挨拶を披露しつつも、頭の中は大混乱だった。もしかして替え玉か、もしくは姉が別人の噂と勘違いしていたのか。
ぐるぐると考えがまとまらないまま席につくと、イヴェットはもう一度エリアスを盗み見た。
風に揺られてふわふわと舞う金髪は、確かに犬っぽい。にこりと微笑んでいる目元が垂れているからか、人懐っこさを醸し出している。あるはずのない尻尾を振り回している幻覚まで見えてきた。
──……狂犬? いえ、愛犬よ。愛犬にしたいわ。
狂犬に見えるのは、どちらかというと辺境伯の方だった。なかなかに厳つい。エリアスは母親似なのだろう。父子の共通点は、瞳の色くらいだ。アクアマリンのような美しい水色で、それはもう、氷のような──。
「あらあら、イヴェット。そんなに見つめて、何か気になるの?」
イヴェットの思考は、おっとりとした母の声で遮られた。はずむ声は思いのほか通りがよく、父同士の会話さえ遮ってしまう。みんなの目が一斉にイヴェットに集まり、エリアスと視線が合わさった。
彼に氷を連想させるのは、瞳の色も関係しているかも──なんて考えていたとは言えない。
「いえ、その……珍しい瞳の色でしたので、綺麗だなと……思っておりました」
無難な褒め言葉が、つい習慣で出てしまう。しかし、そんなありふれた台詞にエリアスは目を見開き、ほんのりと頬を染めた。絶対言われ慣れているはずなのに、なぜ。
あまりの初々しい反応に動揺しているのが伝わったらしく、エリアスは誤魔化すようにコホンと咳を一つした。しかし顔の赤みは引いていない。
「失礼いたしました。純粋に色だけを褒められることがなかったものですから」
それは、美貌も一緒に褒めてほしい、ということだろうか。
顔を褒めるのは得意だ。元婚約者は、顔だけは良かった。顔だけは。
「お顔立ちも整っていらっしゃると存じます。まるで生きる彫刻像のように美しいですわ」
「……貴女にそう言ってもらえるなら、この顔に生まれて良かったです」
甘い。表情も声も言葉も、甘すぎる。氷なんか削って甘い蜜をかけ、食べてしまえそうだ。
エリアスは照れに照れて、耳まで真っ赤にしている。元婚約者のように「当然だ」とふんぞり返る態度しか知らないイヴェットは、返しの言葉が思い浮かばずにいた。
助けを求めるように父を見たけれど、エリアスが姉の話と全く違うことに、父も驚いたように固まってしまっている。何故か辺境伯まで同じ様子だ。
誰もが口を閉ざすなか、母だけが嬉しそうにウンウンとしきりに頷いていた。
「ねぇ、旦那さま。二人はとっても相性がよろしいのではありませんこと? 辺境伯閣下も、そうお思いになりません?」
母の無邪気な言葉に、男二人はハッと表情を正した。貴族然とした顔は、しかし、少し強張っているけれど。
「そう、ですな、夫人……ああ、失礼。こんな息子を初めて見たものですから、少し言葉が出ませんでした」
ワハハッと快活に笑う辺境伯は、まだ顔の赤いエリアスの背中をバンバンと叩いている。見た目通り、豪快な性格らしい。
「息子は女性に対して、少々難儀な性質でしてな……」
辺境伯の言葉に、イヴェットの背筋が伸びる。初めて姉の話と関係のある話題が出た。
エリアスは辺境伯の言葉を否定せず、静かに視線を下げている。
「婚約を申し込むにあたり、少しエリアスの事情をお聞きいただきたい」
そう口火を切った辺境伯は、苦渋の表情で語りだした。




