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お姉さまの嘘つき!  作者: 沢野みら


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1/6

 イヴェットの姉は、第二王子の婚約者だった。王子はいずれフォファナ侯爵家に婿入りし、姉とともに領地を盛り立てていく。……そのはずだった。


 第一王子が不貞に走るまでは。


 元々第一王子とその婚約者は仲が悪かったらしい。姉曰く、優秀な婚約者に劣等感を抱いていた第一王子は、自身を成長させることよりも、正反対な平民上がりの男爵令嬢に懸想する方向へ逃げた、とのこと。


 その代償は高くついた。第一王子は、廃太子のうえ幽閉。優秀な婚約者は、他国の王族に嫁いでいった。

 繰り上がりで次期王太子夫妻の座に据えられたのが、第二王子と姉だ。


 急遽王太子妃教育を施されることになった姉は、少しでも時間を捻出するため王宮に上がった。

 たまに侯爵家に帰ってくる姉が、王宮の暮らしに不満を漏らすことはない。その代わり、第一王子のことは、ボロクソにこき下ろしていたけれど。


「いいこと、イヴェット。婚約者が出来たら、謙虚でいなさい。決して殿方の矜持を傷つけては駄目」


 王宮に上がる前では考えられないほど鬱々とした姉は、よくそう零していた。


「あとね、相手の庇護欲を刺激するような……『貴方がいないと生きていけない』ような顔で殿方を立てなさい。それが幸せへの道筋になるわ」


 第一王子の不始末で苦労した姉の言葉には、説得力があった。第一王子とその婚約者が、上手くいかなかった原因でもある。

 その教えをイヴェットは、深く、深く胸に刻んだ。


 姉が次期王太子妃になったことで、侯爵家の後継はイヴェットに移った。婿を選ばなくてはならなくなり、婚約者選びも一からやり直しだ。

 けれど以前とは心持ちが違う。婚約を結んだら、すぐに姉の教訓を活かすと意気込んでいた。

 

 イヴェットが十二歳になった頃。父が婚約者に選んだのは、川を挟んだ隣領、アペール伯爵家の末子であるアドリアン。領地を繋ぐ橋の建設のためという、完全な政略婚約だ。

 互いに気持ちはないという状況が、第一王子の例と重なる。対応を間違えた末路が、イヴェットの脳裏にちらついた。

 幸いにも、アドリアンとの初対面は良好。その勢いのまま、イヴェットは即座に彼を褒めちぎる作戦を決行した。

 これで末永く円満な関係でいられる──そう信じて。



 それから五年。姉と王太子は「国で一番のおしどり夫婦」と呼ばれるほど、仲睦まじく過ごしている。イヴェットはそんな姉に励まされながら、婚約者を立てて、褒めて、持ち上げてきた。


 その結果──夏の日差しが容赦なく照りつけるなか、イヴェットは婚約者とその腕に絡みつく少女と対面している。


「イヴェット。結婚したら、そっちに愛しのリナも連れていくよ」


 あれほど尽くした婚約者が、愛人を連れて我が侯爵家に婿入りしようとしている。


 その事実に、くらりと眩暈がした。何度も心に刻んだあの教えが、イヴェットの胸を掠める。


 ──お姉さまの嘘つき!


「親に言ったら怒られそうだからさ、イヴェットからうまく伝えておいて」


 イヴェットが心の中で毒づいているとは露ほども知らない婚約者は、さらに信じられない要求を突きつけてきた。

 腕にくっつけている、リナという少女の紹介も挨拶もない。イヴェットを見もせずに指で髪をクルクルいじっているだけの彼女は、どう見ても貴族の令嬢ではなかった。


「アドリアン様、お戯れが過ぎますわ」


 婚約者の願いをなんでも受け入れてきたイヴェットにしては、辛辣な声が出た。けれど、それも無理はない。今日は朝から、アドリアンにイライラさせられっぱなしだったから。

 まず、今から王立庭園へ来いという強制召喚によって、予定が全て台無しになった。呼びにきたアドリアンの従者も、来て当たり前という態度だ。今まで婚約者の言うことをホイホイ聞いてきたのだから、それはそうだろう。


 指定先の庭園入り口に着いてもアドリアンは姿を見せず、一日で最も暑い時間に待たされること半刻。リナを伴って庭園から出てきたアドリアンに、淑女の笑みを向けるのも辛かった。人を待たせておいて、なにを呑気にイチャついているんだと、怒鳴らなかっただけ自分を褒めてあげたい。

 必死に笑みを保っている最中に、あの爆弾発言を放たれれば辛辣にもなる。


 しかし眉をひそめるイヴェットを見ても、アドリアンはいつものようにシッシッとこちらに手の甲を振ってきた。


「そういうのはいいよ。言う通りにしてれば、お前をそばに置いてやるから」

「えぇ〜。アディ、あたしがいるじゃない」

「もちろん、俺の心はリナのものだ」


 なんだろう、この茶番。チラリとアドリアンの従者を見ても、イヴェットを呼びつけた時と同じ顔をしている。


 他の女に愛を捧げる婚約者。こちらの存在を無視する無礼な少女。それを止めようともしない従者。


 三者を目の前に、イヴェットはかんかん照りの空を見上げた。


 雲ひとつない、青。


 その晴れ晴れしさに、心がフッと軽くなる。


 ──あ〜。も〜、や〜めた!


 この婚約者が良い顔をしてきたのは最初だけ。学問も武芸もからっきしで、何から何までイヴェットがアドリアンを支えてきた。

 それなのに尽くしても見下されるだけなら、もうこの婚約者は捨ててしまおう。侮られるために相手を立ててきたわけではない。

 この五年間、よくやった。両親もきっと褒めてくれるだろう。


 そう見切りをつけると、イヴェットは何も言わずに馬車へと歩き出した。

 アドリアンが追ってくる気配はない。どうせこちらが了承したと、勝手に思い込んでいるのだろう。


「もう好きにやっててちょうだい。わたくしは、もう無関係だわ」


 元婚約者となる彼へ、馬車の扉を閉める直前に最後の言葉を吐き出した。わざわざ向き合って一悶着起こすことすら煩わしい。


 タウンハウスに帰ったら、早々に領地へ戻った両親に婚約破棄の知らせを送ることにしよう。

 婚約の要だった橋の共同事業は、昨年無事に完了した。事後処理で忙しくしている両親には申し訳ないけれど、今なら何の憂いもなく婚約を破棄できるのが幸いだ。


 隣領のアペール伯爵家も橋が完成したことで忙しいのか、今期は社交場に姿を見せなかった。アドリアンが家族不在なのをいいことに、イヴェットをエスコートするだけの社交すら手伝わずに遊び回っていたことも、一緒に暴露してしまおう。


 社交期が終わったから明日領地へ帰るはずだったのに、アドリアンのせいで明後日になりそうだ。


「本当に最後まで迷惑な人だったわ」


 今日何度目かになる溜め息をつき、イヴェットは馬車の背もたれに体を預けながら目をつむった。






 イヴェットが領地に着くと、すでに父の手には婚約破棄の書類が整っていた。


 イヴェットの補佐が全く出来ないアドリアンを、父はずっと腹に据えかねていたらしい。実際、アドリアンは基本的な書類整理すら出来ない無能ぶりで、父から早々に戦力外と判断されていた。


 イヴェットには優秀な側近が揃えられ、もはやアドリアンに出来ることは世継ぎをもうけることだけ。

 それなのに愛人を連れ込もうとしたのは、その役目すら蔑ろにしたも同然だ。父も「もう要らん」となるのは、至極当然の成り行きだった。


 父はタウンハウスから早馬が届いてすぐに、アペール伯爵家へと先触れを出して話をつけに行ったらしい。

 父が提示した承諾書の内容は、アドリアンの侯爵領への立ち入り、およびイヴェットとの接触を禁ずることを条件に、違約金を一切免除するという破格のもの。アペール伯爵家側に、異を唱える余地などなかっただろう。



 イヴェットと入れ違いで、父は王都へ向かった。姉経由で王太子から承認の判を直接もらえば、早く関係が断てるという算段らしい。


 父が急ぐのには理由があった。ふた月後に、イヴェットの誕生日を祝う夜会が侯爵邸で開かれる。父はそこで、新しい婚約者のお披露目も済ませたいと考えているようだ。

 相手と揃いの衣装を作るとなれば、婚約者を選定する猶予はひと月ほどしかない。


 ──どう考えても無理よね。


 アドリアンの色に合わせて作った装飾品を片付けながら、イヴェットは眉間に皺を寄せた。

 アドリアンが社交期間に言い出してくれていたなら、すぐに伝手を頼れたかもしれない。けれど、みんな領地へ帰ってしまっている。新しい婚約者をそんなすぐに見つけられるわけがない。


 父の帰宅に合わせて、知り合いに手紙で事情を知らせること。もし縁をもらえるなら、絵姿を送り合って顔合わせの日にちを決めること。それを何人か繰り返す……考えただけで気が遠くなりそうだ。

 それよりも、誕生日の夜会で相手を探す方が早く終わる。しかし家の矜持から、エスコートなしの入場は許されないのかもしれない。

 アドリアンがもっと時期を考えてくれたらと、ありえないことを嘆きつつ、イヴェットは止まっていた手を動かした。

 


 しかし、その憂いは思いがけず解消される。父が王宮から縁談を持ち帰ってきたのだ。






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