最強言霊使いが、己の無力を知るまで
『多元宇宙の管理者』という作品も投稿しているので、興味があればご覧下さい。
日本の山奥。地図の空白地帯に、その集落はひっそりと息づいていた。
そこに生まれた者は、等しく《言霊》という呪い――あるいは祝福を宿す。
命令形で紡がれた言葉は、問答無用で現実を縛る。
「立て」
そう命じられれば、膝が砕けようと、血の涙を流そうと、効果が尽きるまで直立を強いられる。
「私はお前の兄だ」
その一言で、記憶は静かに書き換わる。偽りの絆が、真実として脳に刻まれる。
だが、この力には絶対の欠陥があった。
言霊が届くのは“精神”のみ。肉体そのものを変えることはできない。
老人に「女になれ」と命じれば、心は乙女として震えるだろう。
だが、刻まれた皺も、衰えた四肢も、無情にそのままだ。
それでもなお、《言霊》は神に近い権能だった。
ゆえにこの村では、言葉は毒のように忌避される。
不用意な一言が他者を縛り、放った本人さえも絡め取る。
言霊は他者にも、自分自身にも作用する。
人々は必要最小限の音しか発さない。
沈黙こそが、この村の安寧だった。
――その静寂の中で、透は異質だった。
村一番の言霊使い。
幼い頃から、彼の言葉は異常な“重さ”を帯びていた。
冗談めかして放った「笑え」の一言で、相手は呼吸困難になるまで笑い続けた。
自分に向けて「眠れ」と囁けば、意識は一瞬で奈落へ落ちる。
強すぎる力は、孤立を生む。
誰も透と目を合わせず、誰も彼に話しかけない。
ただ一人を除いて。
「ねえ、透!」
華蓮。
太陽をそのまま形にしたような少女だった。
沈黙を美徳とする村で、彼女の明るさはあまりに眩しい。
彼女だけは、透を恐れなかった。
人目を盗み、山奥の獣道へ。
そこだけが、二人がただの子供に戻れる場所だった。
禁じられた“おしゃべり”こそが、何よりの宝物だった。
――その日も、いつも通りのはずだった。
華蓮が木漏れ日の中で振り返った、その瞬間。
低く湿った唸り声。
飢えと狂気に濁った瞳が、二人を射抜く。
牙が閃いた。
「透……っ」
華蓮の足首に食らいつく、狂犬。
「止まれッ!」
透の叫びが森を震わせる。
言霊の暴力的な強制力が、野犬の筋肉を硬直させた。
二人は逃げた。
川辺で傷口を洗い、泥を落とす。
「……大丈夫。これくらい、平気だよ」
青ざめた顔で、華蓮は笑う。
大人に言えば、密会が露見する。
禁じられた会話が明るみに出れば、どんな罰が下るか分からない。
二人は黙った。
数か月後。
華蓮は倒れた。
高熱。喉の痙攣。水を恐れる症状。
村の大人たちは、何も言わずに顔を曇らせた。
致死の病。
透は、枕元に膝をつく。
「……とお、る……?」
掠れた声。焦点の合わない瞳。
透は、言った。
「生きろ」
魂を削るように、最強の言霊を叩きつける。
華蓮の瞳に、かすかな光が宿った。
「……うん。生きるよ、私」
精神は命令に従う。
だが、肉体は――従わない。
痙攣が彼女の身体を跳ね上げる。
見えない毒が、脳と神経を容赦なく蝕んでいく。
「治れ」
何も起きない。
「治れッ!」
沈黙。
理屈では知っていた。
言霊は物質に届かない。
それでも、透は叫び続けた。
「死ぬな! 行くな!」
華蓮は、震える手で透の指を握る。
「……怖く、ないよ。透が……そう言ってくれるから」
それが、最後だった。
三日後。
華蓮は息を引き取った。
村は静まり返っていた。
誰も泣かない。沈黙だけが広がる。
透は立ち尽くす。
最強の言霊使い。
神の如き言葉を持ちながら――
たった一人の少女を、救えなかった。
知らなかった。
噛まれた直後に傷を徹底的に洗えばよかったこと。
村の外には、ワクチンというこの病を防ぐ方法があること。
自分は、無知だった。
無知だったから、救えなかった。
透は森を見上げる。
――知ろう。
この村の外を。
言葉ではなく、知識で守れるものがあるのなら。
透は村全体に、静かに命じた。
「僕は旅に出る。探すな」
干渉は最小限。
ただ、自分を追わないように。
水と食料と、家に残されていた金を持つ。
両親は数年前、流行り病で死んだ。
買い出し役のために残されていたその金を、今度は自分のために使う。
道は教わっている。
街まで三日。遭難はしないはずだ。
不安はある。
だが、それ以上に。
「華蓮。立派な男になってくる」
森は静かだった。
透は歩き出す。
もう二度と、大切な人を失わないために。
『アマツツミ』という作品を参考に書きました。
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