娘と韋駄天婆さんが戻ってくる
「五頭屋さんの屋敷って、おまえ、ゴトウ先生はそこにいるのかよ? なんだなんだ、ゴトウ組合でも組んでるのかい」
「それはわからないけど」
「だったらいけねえ」
「そいつはいけねえ。ここで待ってねえと、入れ違いでここに来ちまったらどうするんだ」
「そうそう、ここが待ち合わせだからな」
「本人から聞いたわけでもないのに? ねえ、頼りになる春兵ヱさんに、秋親さん。どうかひとつ頼むよ。絶対に損はさせないからさ。――まあ、最初はあれこれ聞かれるかもしれないけど……そこは、さっきのミズオ……さんだっけ? あの人が八丁堀だと言うのなら、彼を呼んだら二人が拐かしの下手人とは関係ないってわかるはずだし」
「拐かし?」
「そういやミズオの奴、そんなことを言っていたような……」
「何屋だ?」
「五頭屋! 五頭屋惣兵衛の家から丁稚が拐われたって話じゃない? それは」
「確かにそうだ」
「実はね、五頭屋の倅と、その丁稚の倅って言うのがとても似ているんだよ」
「へえ、六太、おまえ嫌に詳しいな」
「そう、声を頑張って寄せればどちらがどちらか、父さんでも間違えるくらいにはね。姉さんは騙せないけどね。でも、お互いに服を入れ替えっこして悪戯をよくするんだ」
「へえ、そんじゃ、丁稚たちは気が気がじゃねえな。丁稚だと思ったら主人の倅、主人の倅かと思えば丁稚の倅。よくやるよ」
「金持ちの考えることはわからんものさ、春兵ヱ」
「わからんなあ、秋親」
「しかし、それとこれとがどう繋がるのだ」
「もう! 侍の足元の汚れとかさ、喧嘩慣れしてるとか、竹刀胼胝がどうとか、そういうところは目敏いのに!」
「さ、騒ぐなよう」
「ん? つまりは、六太坊、こういうことだな? ゴトウ先生は五頭屋の関係者ってことか?」
「どうしてそうなるの! 俺が言いたいのはね――」
「人が来るぞ」
「誰だ? ものすごい勢いで駆けてくる」
「お、あれは五つ頭の五頭屋の二人だ」
「六太! 六太、近くにいるの? 声が聞こえたわ!」
「お嬢様! お嬢様、お待ちくださいませ! ……おや、そこに居るのは先ほどの……暇もここまで過ぎれば感服せざるを得ぬというもの。なんとまあ、まだ居座っているのですか?」
「五頭屋の二人こそ、なんで戻ってきてるんでい。ん? 待てよ、五頭屋だって?」
「なんだって! そういや、子拐いのあったのも、五頭屋で……あ! まさか、六太」
「てめぇ、拐かされたって言う丁稚か!」
「ちょっと当たりでだいぶ外れ、二人とも残念! ――ここだよ、みゆき姉様! おりん! 六太はここにいるよ!」
「ワッ!」
「お、おい、六太! いきなり飛び出す奴がおるか! 春兵ヱが転げただろ!」
「いてててて」
「まあ、まあ! 六太坊ちゃま、斯様な場所におられたのですか!」
「六太、六太! 怪我はない? ああ、よかった、本当に……!」
「姉様! 婆や!」
「よかった、六太、あんた無事だったのね。ああ、ああ、よかった! わかる? あんたが無事でどんなによかったか! あんたと丁稚の新太が入れ替わっていると知って、どんなに怖かったかわかる?」
「心配かけてごめん、姉様」
「無事だったから、今のところはお小言は言わないわ。きっとうんと怖かったわよね。父はまるで気がつかないし、攫った奴らも丁稚を攫ったと言うし、なのにいなくなったのはあんた。でも、下手に騒いであなたが五頭屋の倅と知られたら、もっと怖いことになるだろうって……来るのが遅くなってごめんなさい」
「俺が悪いんだよ、新太をどうか怒らないで! 俺が言い出したんだ。新太は嫌だって言うけど、誰も気がつかないし、楽しくなっちゃって……」
「新太のことは後で話しましょう。大丈夫よ、事を荒立てたりするつもりはないんだもの。それに、あの子は真っ青になって部屋に飛び込んできたの。お使いに行ったきり、あんたが戻ってないって。宥めるのに苦労したわよ」
「……本当にごめん。今日も入れ替わり遊びをしてさ、今日は町に出てみようって思ったんだ。そこまで大きくない届けものが近所にあるって新太から聞いていたからね。それで、裏から出たら、怖い人に捕まっちゃって……。隙を見て逃げ出したんだよ。それで、ずっと隠れてて……」
「このお二人ですか?」
「は?」
「え?」
「お嬢様、坊ちゃま、お下がりくださいませ。坊ちゃま、このお二人ですか、その輩は」
「はあ?」
「おいらたちが、なんだって?」
「これ、往生際の悪い。黙っていると碌なことになりませぬよ。さあ、おとなしく自身番までついてきなさいませ。六太坊ちゃまを拐かしたこと、お役人様の前できっちりがっちりお話ししてもらいましょう」
「なんでだよ! 話についていけないぞ。オレたちはゴトウ先生を待っているんだ。それで、その遣いであるっていう六太の試練を受けていたのだ」
「またそのようなわけのわからぬことを言って、翻弄しようにもそうは参りませんよ。嘘はもう――」
「待って待って、全部本当なんだ! この二人はゴトウ先生を待っていただけの人たち! 全くの無関係だよ。おりん、そんな目で二人を見ちゃだめ!」
「しかし、坊ちゃま……」
「ゴトウ先生のことはさて置き、全部二人の言う通りさ。それに、この人たちが助けてくれたんだよ。みゆき姉様、おりん、紹介するね、この人たちは春兵ヱさんと秋親さん。さっき初めて会ったんだけど、二人は親切にもね、追ってくる人たちから俺を隠してくれたんだ。お金だってないのに、気前よく食べ物まで恵んでくれたんだよ」
「まあ! 本当でございますか? 来もせぬ便りを動くともなく待ち惚けている、暇に飼い慣らされた、このお二人がですか?」
「本当だよ。なんなら、二人は姉様たちが戻ってくるのを待ってくれていたんだ。ね、春兵ヱさん、秋親さん。ゴトウ先生の他に二人、待ってたよね? 試練のこと、覚えてる?」
「ああ、確かに。みゆきと、おりんだったな。で、この二人がそうだと」
「ほら!」
「まあ、まあ、それじゃあ本当なの?」
「本当に本当だって。なんなら二人のおかげで、お役人も今回の件のお侍と仲間を捕まえられたんだ。じきに屋敷にも知らせが来るんじゃないかな。その時に俺と入れ替わった新太も相当肝を冷やしているだろうからさ、早く戻ってあげなくちゃ」
「うへぇ、本当によく回る口だなあ、六太坊。しかし、つまり、秋親、これは何が一体どういうことなんだ?」
「オレに聞くな! ええと、五頭屋の娘が探していたのが六太で、六太は拐かされていて、逃げていたのを連中が追っていて、顔のよく似た丁稚の倅が入れ替わってて……ぐぬぬ」
「まあまあ、お気になさらず、ご親切な方。事も知らずに子を助けてくれる方がいらっしゃるなら、この世の中も捨てたものではございませんね。わたし、五頭屋惣兵衛の子、みゆきと申します」
「はあ、こりゃ、親切にどうも。おいらは春兵ヱだよ」
「オレは秋親だ」
「事情もお分かりでないご様子なのにも関わらず、弟を庇護し、こうして無事にわたしの元へと返してくださったこの御礼は忘れません」
「いやあ、話にもついていけてねえのに、そんなに畏れると困るぜ、なあ?」
「う、うむ、大したことはしておらぬが……というか何が何だかわからんが……」
「いえいえ、物もわからぬのに人を助ける高貴な心をお持ちとは、このおりんも耄碌いたしました。お二人が志高き方と見抜けず、失礼三昧……都合のいい作り話に踊らされる哀れな暇人かと思いましたが、なんのなんの。老婆は目が悪うございました。お二人のなんたる立派なお姿。私からも切に御礼を」
「喜んでるならいいが、婆さん、オレらのことを散々な言い方してなかったか?」
「気のせいでございましょう」
「春兵ヱさん、秋親さん。近く、なにかの形で御礼をさせていただきますね。父がなんと言おうと、ここで御礼もせずに立ち去るなど、五頭屋の名折れです」
「貰えるもんは貰っとくが……待て。六太、お前、ゴトウ先生の件はどうなる?」
「そうだい、そうだい、試練だよ!」
「ま、まさか、お前、ゴトウ先生とは関係ないのでは……」
「ああ、そのこと。安心して、試練はもう終わり。それに、ゴトウ先生の件は置いておいて……」
「置くな!」
「まあまあ。それで、確か――損はさせない。そう言ったよね」
「言ったな」
「言った。聞いたとも」
「なら大した嘘はついてない。二人は俺を隠した。それで五頭屋に恩を売れた。これって、結構な儲け、いい話だと思うけどね」
「むう⁉︎」
「へへ、ごめんね。でも俺、二人に損はさせないって、そこだけは嘘はついてないでしょう! 残念なことに、二人の探しているゴトウ先生は知らないけど、終わりよければすべてよし。俺は安全に家に帰れて、二人は棚から牡丹餅の儲けだもの」
「な、なんだって! 本気の本当にまるきりゴトウ先生とは無関係なのかよ!」
「逆によく疑わなかったよね」
「ぐぬぬ、よくも騙しやがったな、この悪戯坊主め……!」
「……やめようぜ、秋親。まあ、驚いたけどよ。誰も傷ついちゃいねえんだし、何かいい感じっぽいし、今日のところはこれでいいじゃねえかよ」
「それはまあ……そうだな。終わりよければ……か。ちぇ、坊主、冷や水は不問に付してやる。逃げて隠れて嘘をついて、喉も乾いていたろうしな。家帰ってとっとと寝やがれ。くれぐれも気をつけるんだぞ」
「へへ、秋親さんと春兵ヱさんもね! そうだ!ウチに遊びに来たっていいんだよ。うちだって小さくないもん。いつかは本当にゴトウ先生がくるかもだしね! ――帰ろう、姉様、おりん!」
「はいはい。それでは、わたしたちはこれで……」
「また後日に御礼をさせていただきます」
「おう、じゃ、期待しとくよ」
「そいじゃあ、気をつけて!」