通りがかるは冷や水売り
「来た来た、やっと来たな。オレはもう喉が渇いて渇いて仕方がない」
「良いお日和で、お二人さん。しかし茶屋にいるお二人が、冷や水売りに何の御用で?」
「それがさあ、この茶屋の店主がうっかり者のとんだおとぼけ屋でさ、茶はない、湯もない、甘味もなけりゃ、何もない。で、おいらたちに店番を任せて買い物に出ちまった」
「出せるものが何一つないんだと。そういうわけだ、水を売ってくれ」
「へえ、そういうわけで。しかし茶もない茶屋とはこれは一体なんの冗談なんでしょうねえ。いいですとも、お二方は運がいい。コイツはウチのカミさんが作った特大白玉団子の入った、とびきり美味い冷や水なんですよ」
「嬉しいねえ。ちょうど腹が減っててさ。少し多めに盛っておくれよ」
「へい、そんじゃ、二杯分よそえる大きな器がありますからね、こいつに入れてやりましょ。隣のあなたも同じで?」
「おう。お代だな。ひとつ四文、それがふたつ分がふたつで……」
「十六文! ヒュウ、余裕だぜ! 韋駄天婆さんに感謝だな」
「感謝!」
「へい、確かに十六文。お二方は初めての――今日初めてのお客さんですからね、多めに入れておきましょうか」
「売れてないのか? 苦労をするなあ……それななにまけてもらって悪いな」
「買ってくれる人がいるだけ有難い、ええ、構いやしませんとも。はい、どうぞ」
「へへ、本当に大盛り特盛りときたもんだ、気前がいいねえ!」
「ところで、お二人は朝からこちらにいらっしゃるんで? どなたかとの待ち合わせですか」
「なに、おいらたちのことが気になるのかい」
「或いは、オレたちが相当に怪しく見えているかだ。そういや、韋駄天婆さんも言っていたしな」
「そういや怪しいって言われたな。しかし、聞いてくれよ、水売りの兄ちゃん。おいらたちは人を待っているのさ」
「へえ! そいつは朝も早よから大変ですねえ……。それで、待ち人ってのは来そうですかい」
「ううん、どうだろう。もう来てるのかも知れねえし、まだ来てないのかもしれねえけどな」
「謎かけですか?」
「いやいや、そういうのじゃあない。丁度いいや、水売りの兄ちゃんは怪しいやつを見てないかい」
「ううむ、そう言われても漠然としていますねえ。どんな人なんです、待ち人とやらは」
「まずは一刀斎と那須与一と胤栄と春信と一休と業平を掛け合わせて」
「え?」
「ついでに商売人と、蘭学者を足し込んで、えーと、なんだっけ、そうそう、役者みたいな美人で高貴な感じの人」
「今度は混ぜこぜしすぎと来たもんだ! 謎かけ? それとも冗談?」
「なにも冗談じゃない。オレと春兵ヱはゴトウ先生を待っているのだ。なあ、あんた、本当に知らないか、かの有名なゴトウ先生だぞ」
「……なぜじっと見つめるのです。そんなに見つめられても、私はゴトウ先生なんて方、露ほども知りませんよ」
「本当かい?」
「嘘をつく必要がありますか。しかし、本当にその方を待っておられるので?」
「そうだとも」
「問題かよ?」
「問題も何も……いいですか、要するに剣と弓と槍の名手で、優れた歌人で絵師で書家で、商売上手で蘭学に通じている高貴な美しい方……そんな人が町を出歩くもんですかねえ。実際、この江戸の何処かにいたとして、ならば本人ではなく使いの者が来るでしょう。……お二方、どなたかに流石に騙されてません? きっと、楽して美味い話があると言われたんでしょう」
「ゴトウ先生は恐らくきっとそんな人ではない!」
「そうだそうだ! 多分な!」
「二人声を揃えて叫ばずとも……しかし、いや、今のは失言でした。それで、お二人はどうなんです。来たか否かもわからない、しかし怪しい人はいたかも知れないでしょう。いましたか、それらしい人は」
「ううむ、そいつはどうだろうな。変なのは山ほど見たぜ。例えば、屈強な男の操る爆走する舟だろ、朝も早よから誰かを捜している婆さんと娘さんはいるし、茶屋の店主も怪しいほどに不慣れ者ときたもんだ! さっきまでそこらに集まっていた男衆も怪しいし、ちと前にいた優男も怪しいと言えば怪しいな」
「へえ、なるほど、なるほど。しかしゴトウ先生だけは現れないというわけだ。――時に、お二人は、今朝の風聞堂の読売は読みましたかい」
「読売? 今朝のは買ってねえな」
「金ねえもんな」
「第一、オレは文字が三行以上連なっているのを読むとあちこちが痒くなるからな」
「お前のそれは洗ってねぇからだよ。ちゃんとした風呂行こうぜっていつも誘ってるだろい。ちぇ、まったく秋親は文字を毛嫌いしすぎだっての。お前、文字になんの恨みがあるんだい。お前が悪筆なのは文字のせいじゃねえだろ」
「ええい、オレが悪筆だからこそ嫌いなのだ! オレに書けぬのに、巷の奴らは何故ああもそれっぽく書けるのか、それもあんなに長々と、真っ直ぐと! 考えただけでむず痒い!」
「ははは、要するにお二人ともお読みでないと。いえね、さる商家から子どもが一人拐かされたって話なんですよ。丁稚らしいんですがね。お二人の探すゴトウ先生の他にも、この辺りには拐かしの下手人がいるやもしれませんから、お気をつけて」
「なんだい、おいらたちをじっと見て。まあ、確かにそいつはおっかねえなあ。まだ見つかってないってことかい?」
「見つかったと言う話は聞いてませんねえ。見つかればお縄について、厳しいお裁きを受けることになるでしょうし、そうなればまた噂になるでしょうからね。とにかく、ゴトウ先生かもしれぬ人がその実胡乱な犯罪者……ということもありますから、お気をつけてくださいよ」
「おう。ゴトウ先生に限って悪に手を染めるなどないだろうが、忠告は聞いた」
「それで、おいらたちのことはいいけどよ。兄ちゃんはこんなところで油を売っていていいのかい。あんたは油売りじゃなくて水売りのはずだろ。呼びつけたのはおいらたちだけどよう」
「ははは! こいつはいけない。元が話好きなもんでね、ついつい話に興じちまうのが悪い癖なんです。そろそろいきますけどね、今日はこの辺りをぐるぐる回るだけのつもりなんで、また見かけたらもう一杯でも二杯でも買ってくださいよ」
「おう、こいつが美味かったらな」
「それでは後ほど。待ち人が早く来るといいですね」
「後ほどって、お前また来るつもりかよ……ああ、行っちまった。身軽なやつだなあ、見た目に反して。まあいいや、秋親、早く食おうぜ」
「ううむ、なあ、春兵ヱよ」
「なんだい、秋親」
「先ほどの水売り、あれがゴトウ先生でないかなと思ったのだ」
「ええっ! いや、ううん、そうかなあ? 流石に誰でも彼でも疑いすぎだろうよ」
「とりあえず聞け、とにかく聞けよ。あれは生粋の侍だぜ、春兵ヱ。それもかなりの使い手と見た。にこにこ細めた目の奥でオレらを観察していたが、その鋭いこと! 悔しいが、アリャ只者じゃないぞ」
「お侍がなんだって水なんか売ってるのよ」
「知るかよ、侍とて懐が寂しいことはあろうし、何やら事情があるのだろう。しかし、腕前だけは確かだぜ。アリャ、名人だよ」
「お前がそういうなんて珍しいや」
「それに、この団子だ。デカくて歪で、色も悪い。うん、歯応えもイマイチだ。凡そ、あの水売りが不慣れな手つきで作ったんだろうよ。多分そうだ。作ったのがカミさんなら、もう少し格好のつくものになるだろうしな。……ううむ、なるほど。味付けに関しては文句ないが」
「おいおい、そいつはどうだろう。男にもおいらみてぇに手先の器用なのもいりゃ、女でもお前みてえにぶきっちょもいるだろうよ。……ふむふむ、団子自体はおいらは好きな感じだぜ。柔っこくて、全体的に甘すぎるけど」
「甘さはこいつくらいがちょうどいいだろう」
「お前はいっとう甘ぇのが好きだからな!」
「とにかく、オレが言いたいのは、あの冷や水売りは生粋の冷や水売りじゃあねえってことさ! 誰かの目をくらませるための変装よ。それで、やむを得ず作り慣れぬものを作ったのではないかな。ここの茶屋じゃあるまいし、物売りに変装して売るものがないなんて有り得なかろう」
「そうなのかねえ。おいらとしちゃ、職を変えたばかりで不慣れなだけにも見えるが、お前から見て強者ってぇ話なら無視は出来ねえな。冷や水売りもゴトウ先生候補に入れておくかい」
「入れておいて損はないだろうよ。得があるとも限らんが……。しかし、あの水売りは有用な情報をくれたぜ」
「ああ、子ども拐かしの件だろ。うへえ、嫌な話だぜ。……待てよ、たとえば、さっきのがゴトウ先生だとして……」
「あの男はまた来ると言った」
「言った!」
「その上で、わざわざ俺たちに謎めいた話を聞かせたのは何のためだと思う? しかもオレたちはたまたま読売を読んでないと来た」
「お前はいつもだろ」
「話の腰を折るなよ。いいか、単なる世間話か? いいや、きっとあいつはオレたちの反応を伺っていたに違いない」
「つまり、子ども拐かしの件も、弟子入りを見極める為の謎かけかもしれねえってことか!」
「さすが春兵ヱ、話が早い! しかし、肝心の何を問いたかったかも分からんし、何を答えにすればいいかもわからんが……」
「あれ?」
「ん? どうした?」
「おい、秋親、お前の椀はどこにやったんだい? ついさっきまでそこに置いてただろ。あんだけの量をいつの間に飲み干したんだよ」
「なんだと! 有り得ん! ま、まだ一口しか食べてないぞ!」
「なんだって! そいつは確かか?」
「確かだ! 中途半端に口つけて、まだ空腹だというのに!」
「誰だ、店主か? いやいや、まだ帰ってねえな」
「誰がオレの飯を取ったのだ! ええい!」
「突然立ち上がるなよう! おいらのがひっくり返っちまう!」
「わ!」
「ん? おい待て、子どもの声がしたぞ!」
「むむむ、お椀を落としたような音もする。近いぜ――ここだ! 床机の下に誰かいる!」
「こら、見つけたぞ! 秋親、そっちの布を持ち上げてくれ! こら、この悪戯坊主、後ろに回るなって」
「痛たたた! わかったよ、おじさん、痛いって! そう乱暴に腕を掴まないでよ!」