5th,program イヤシイヤス
別段大したことはなかった。
米原さんが舞についていた余分な霊気を祓い、簡単な手当てをし、体力回復に努めさせるだけでよかった。霊気に関する事件において、舞に勝る人材はそうそう見つからないだろう。
しかし、だからこそ、舞が勝てなかった霊はほかの誰も戦えない相手ということになり、全ては舞の復活を待つことになる。
朝日がリノリウムの床で反射している病院の廊下を中野は歩いている。向かいから歩いてきた米原から声がかけられた。
「中野くん」
「米原さん……舞は?」
「今、目が覚めたわ」
言って、米原は振り返る。中野も視線を同じくして扉の開いている病室を見る。
顔を見合わせて、どちらからともなく歩き出した。
病室のなかは小ざっぱりとしている。やや手狭な角部屋の個室で一つきりのベッドのうえで舞が体を起こしていた。
いつものツインテールを下ろしているせいか、やけに細く見える。
窓から日が差しこみ、ホコリが輝いていた。
「あ、はよっす」
舞は入り口に立つ中野に気づいて、ひらりと手のひらを見せる。
いつも通りの舞の様子に中野は苦笑して、手のひらを見せて返す。
「はよっす」
病室に入り、横の棚にフルーツの缶詰が入ったビニール袋を置きながら中野は尋ねた。
「どうだ、体の調子は」
「問題なし。次の検診が終わったら帰っていいって。検査入院したほうがいいんだろうけど、まあ受肉のほうが大切だからね」
肩をすくめて興味なさそうに舞が答えた。手はビニール袋に伸び、モモの缶詰を取り出す。
ベッドにテーブルを立てて缶を載せて、それがプルタブ付のタイプだと気づくと笑ってベりべりと蓋を開けた。
「それで、所長はなんて?」
「ああ、連盟に報告もし終わって、今は葬儀屋の手配をしてるってよ」
中野はビニール袋に手を突っ込み、小袋に詰められたフォークを探り当てて舞に手渡す。
舞は礼を言って受け取り、モモを立てたフォークで潰すように切り分ける。
「そりゃ、受肉してるならそうなるよね。どれくらいぶりだっけ?」
「まあ"あの件"を除けば、何年か振りっつったかな」
「六年ぶりね。六年前は、酷かったわ。とても」
米原が補足し、目を伏せる。六年前には葬儀屋と何の関わりもなかった二人は言葉に詰まる。
しかし米原はすぐに目を開けて二人を見据えた。
「でも、今回は六年前とも"あの件"とも違う点があるわ」
舞はモモをフォークで刺して、口に運ぶ。その動作と同時にうなずいた。
「受肉するのが早すぎる」
見舞い客用のイスを米原に譲った中野は手持ちの鞄を開き、紙束を取り出す。事務所のファイルに収められている今回の資料のコピーだ。
「今回の故人、佐藤美由紀はつい五日前に亡くなった。いくら葬儀屋で霊気が強いといっても、一週間も経たずに受肉するのは妙だ」
「受肉するには当人の血液型、誕生月齢、霊質の近い体がなければならない。霊気が強ければある程度無視して受肉することもあるけど……無差別に受肉できるほどの霊気なら今頃街一つ壊滅してるわね」
米原は顎に手を当てて前提から辿り、片目を閉じて笑った。
強すぎる霊気は触れるだけで生物に影響を与える。しかし舞がじかに見てきた霊気は、確かに強いものではあったが、そんな異常な強さのものではなかった。
中野はめくっていた資料の束をばさりとまとめて米原の横顔を見る。
「つまり、今回の受肉には……」
「黒幕がいる。ま、そういうことでしょ」
舞が言葉をさらって、フォークに刺したモモを食べた。
その後、舞の見た女の特徴を書き留めたり情報を整理したりしていると、扉がノックされた。
「失礼します。武藤さん、検診の時間です」
中性的な声が響き、ゆっくりと扉を開けて入ってきた。その人物を見て、中野と米原は思わず声を上げる。
入ってきたのは依頼に来た院長に引っ付いてきていた部下だった。
部下であり医者だった彼は二人を見て会釈をした。
扉を閉めてゆっくりと舞の隣に立つと、見舞いに来た二人に一言断りを入れて検診を始める。
検診といっても外傷も少ない舞は問診を軽く行うくらいだ。たいした事をするわけでもなく、病室のまま行い、医者の荷物もほとんどない。
「先生、医者でしかも舞ちゃんの担当だったんですね~」
米原が検診を進める医者の手に余裕があることを確認して話しかける。
彼は問診を書きとめながら押しの弱そうな苦笑を浮かべた。
「ええ、まあ」
「先生は葬儀屋の"こちらの仕事"にもお詳しいんですか?」
「ええ、まあ」
曖昧な返事にも米原は愛想のいい笑いを浮かべて手を合わせる。
「やっぱり。だから舞ちゃんの担当になったんですね~」
「ええ、まあ」
「……えぁ~……」
米原の笑顔が引きつって固まった。話が途切れた。
世間話をなんとか続けようと努力する女性の姿はさておいて、中野が途中で話を引き継ぐ。
「先生は佐藤美由紀さんとは知り合いでしたか?」
手が止まった。
中野の目が曖昧な笑みを浮かべる医者の横顔を射止める。
「……ええ、まあ」
彼はすぐに手を動かしてボールペンで書き込み続けた。
中野は見つけた傷にさらに手を入れる。
「親しかったんですか?」
「ええ。……一応、交際していましたよ」
米原と目を合わせた。
声は平常を保って言葉を続ける。
「なるほど。それはご愁傷様です」
「いえ」
検診する音が空々しく病室に消える。今は、なんだろう、脈拍を確認しているのだろうか。
中野は少し言葉を迷った後に、口を開いた。
「仮に、彼女が取り戻せるとしたらどうしますか?」
「なんでそんなことを聞くんですか?」
医者は中野の言葉尻に重ねるようにして問い返した。下手に声を荒げるよりもよほど烈しい怒りが見て取れる。
米原は身も蓋もない中野の言葉とそれに対する医者の反応に慌てふためき、中野の腕を何度も叩いて促す。
中野は多少驚いてはいたが、落ち着いたまま頭を下げた。
「……失礼」
「ご、ごめんなさい」
米原も中野に続いて頭を下げる。
しばらくはボールペンの走る音だけが聞こえた。さすがの舞も雰囲気が悪いことを感じ取ってむすりと唇を引き結んで黙り込む。
ボールペンの音が消えて、ぱちり、とペンをノックしてヘッドを収納する音が聞こえる。
医者は静かに口を開いた。
「受肉のことなら、彼女から聞いています。安定して受肉させることができれば、記憶も取り戻して生前と全く同じように生活できるんですよね」
「……そうですね。ですがそれは」
「それは霊気のとても強い場合に限られる。……葬儀屋といっても、その状態になれるほどの強さの霊気を持つ人はいないそうですね。もちろん、美由紀はそれほど強くない」
中野の補足も必要がないと言うように言葉を重ねる。医者はゆっくりと振り返って中野を正面から見た。
曖昧な力のない笑みを浮かべる。
「霊気のない者が受肉すると、正気を失ってしまうというではありませんか。未練や衝動から、どんな行動を起こすのか分かったものではありません。受肉すると霊気の影響で身体能力が単純にとても強くなる。誰かを傷つけてしまうことも多いでしょう。無差別に誰かを傷つけるような、そんな美由紀は見たくありませんよ」
肩をすくめて立ち上がり、舞に一声掛けて病室をゆっくりとした足取りで後にした。
扉が閉まり、足音が離れていく。
唐突に米原が中野の頭にチョップを叩き込んだ。
「いてぇ」
「いてえ、じゃないでしょう。あんなに不躾に質問して、失礼でしょう!?」
「それは思ったんですが、ほかに聞きかたが思いつかなかったんすよ」
眉を逆立てて言い募る米原に、ひらひらと手を振って弁解する。
無頓着な中野を見て怒りの削がれた米原はため息をついた。
代わりに困り顔で思案げにうつむく。
「まったく。美由紀さんとは結婚も近かったって話なんだから、さぞ傷心でしょうに。あまり気にしてないといいのだけど」
「え、そうだったんですか」
知らなかったな、と中野は頭をかく。
舞がにやにやと揶揄するような笑いを浮かべながら言った。
「中野は空気読めないからね~」
「自己中のお前にだけは言われたくねぇ!」
舞がモモを頬張るのを指差して中野は叫ぶ。再び米原にどつかれて病院で騒ぐなと注意された。
モモを嚥下して、フォークについた果汁を舐めながら舞は目を細める。
「ま、どちらにしろ、あの先生に受肉させる動機はないって事だね」
「そうね。あれだけ知っていれば、やるメリットはないでしょう」
受肉というのはその性質上、個人情報を詳しく知っていなければ出来ない。その意味で婚約者だったというあの医者は第一級の容疑者だが、受肉について知っている以上、それを避けるだけの理由がある。
受肉というのは、死者の顔に泥を塗るような行為だからだ。
んっ、と声を上げて舞はフォークを口から離す。
「そーいえば、そもそもさ、なんで美由紀さんは死んだの?」
「さあな、そこは警察が頑張ってるんじゃないのか?」
「今はまだ原因不明の変死っていうことまでしか分かってないわね。状況的には毒死の線が強そうだけど、毒は検出されなかったそうよ」
米原がまた補足した。ふんふん、と缶の底に残っていたモモの欠片を口に放りこみながら舞は頷く。
ぴ、とフォークを立てて声を低めて言った。
「殺した犯人がそのまま操ってる! とか」
「あるかもしれないけど、私たちにできることなんてなくなっちゃうわよ」
米原が苦笑して答えた。
葬儀屋は言葉通り死者を弔い送ることが仕事であり、真相解明などお門違いもいいところだ。
「霊媒は証拠にならないって公的に決まってるんだから」
「まーそうなんですけどねぇ。私たちは死霊を祓うことだけが仕事だしね」
舞は空になった缶にフォークを立てかけて頭の後ろで腕を組む。
明らかにつまらなそうな態度の舞に中野は苦笑して、荷物をまとめた。
「とりあえず、今は受肉に使われた死体の身元と出所を調べる必要がありそうだな」
「イマドキ、死体泥棒なんてやったらあっという間に割れそうだけどね」
笑って、舞は足を滑らせて横座りになってから立ち上がる。その動作と同時に残りの缶詰の入ったビニール袋を取り、空になったモモの缶詰とフォークを少し迷った後にビニール袋に放り込んだ。
中野は少し眉を寄せて舞の手元を見た。
「べとべとになるぞ」
「しょうがないじゃん、ほかに入れ物がないんだから」
くちびるを尖らせる舞はさほど気にしたようすもなく袋を提げて先頭に立って廊下に出る。振り返って中野と米原を見た。
「じゃあほら、さっさと帰ろう」
中野と米原は顔を見合わせてお互いに苦笑を見せ合ったあと、歩き出す。
肩で鞄を引っ掛けて背負うように持ちながら、舞の隣に並んだ中野が笑う。
「お気楽だな」
「そりゃね。真相なんて分からなくても、要は祓えばそれでいいんだから」
「そうね。黒幕が分かっても、受肉しちゃったのがどうにかなるわけでもないしね」
同じく舞の隣に並んだ米原が笑いながら言った。
エレベータを使って一階まで下りる。ボタンを押して扉が閉まり、動き始める独特の浮遊感が過った後、階数表記が点滅して下がって行く。
ふと、米原が中野に尋ねた。
「そういえば中野くん、なにで病院まで来たの?」
「なにって、車っすよ」
「そうじゃなくて、いややっぱりそうだと思ってたけど、えっと……もしかして、ウチの車で来てる?」
米原が微妙に切羽詰った表情になりながら中野の顔を見上げる。
中野は米原の表情の意味に微塵も気づかずに、軽く答えた。
「ええ、そうですけど」
キンコーン、という音がして一階についた。
同時に中野の額にチョップが炸裂した。
「ぐあぁっ」
「舞ちゃん、急ぐわよ!」
「え? ああ、はい」
エレベータを待っていた看護婦が驚いている脇をすり抜けて、米原が中野を引っ張って早足で行く。
その後を追いながら舞が尋ねた。
「どうしたんですか?」
「一般の来院者用駐車場に霊柩車が止まってるなんて信用問題でしょう?」
舞の先を歩く米原が早口に答える。中野はわけが分からないといった顔でされるがままになっている。
その二人を眺めるでもなく眺めて、舞はなにか悟りきったような平坦な表情を浮かべてつぶやいた。
「――ああ。中野が空気読めないから」
「一般常識です!」
ピシャリと言い返された。
私の回りは健勝な場合が多く、入院やお見舞いの経験がありません。色々適当です。
モモ缶うめぇ。