3rd,program ワライワラウ
「で、そのホシは? さっさと始末するんでしょ?」
客の帰った事務所で、舞が身も蓋もない物言いで切り出した。
所長は苦笑を浮かべながらも頷き、霊質を知るための媒介、今回は故人の頭髪を手にする。目を伏せて数秒ほど黙祷を捧げると、すぐに目を開いて米原に放り投げた。
「米原さん、お願い」
「ええ、お任せ」
米原は頭髪を受け取ってウィンクすると、体を翻して事務所の外に向かう。
それを見送って、中野がつぶやいた。
「米原さんはすごいな。霊質を見るだけでなく、類感で場所まで探るのはなかなか出来ないぞ」
はっ、と鼻で笑って、ソファに腰掛けて足まで乗せる舞がそっけなく言い返す。
「あんたの腕が足りないだけじゃないの?」
「否定はしない」
あっさりと認めた。
所長は自分のデスクで渡されたファイル類に目を通しながら二人に声をかける。
「ほら、二人とも準備を始めといて。見つかったらすぐに始めるんだからさ」
「まだ時間掛かるでしょう。今五時だから、夜まで掛かるんじゃないですか?」
舞はソファの肘掛にもたれるだらけた姿勢で反論した。所長は少し笑って首を振った。
「強い霊だからすぐ見つかるだろうし、街中で被害出されたら最悪だ。騒ぎになることを覚悟してでも飛び込みで除霊しなきゃいけないかもしれない」
うげ、と舞は舌を出す。自分の高校の制服を見下ろして改めて顔をしかめた。
「街でなんて立ち回りたくないなぁ。噂になったらどうすんのよ」
「仕事なんだから仕方ないだろ」
「葬儀屋なんて無免許の仕事で威張ってみてもね、説得力ってものがないわ」
「……まぁ、そうなんだけどな」
手をひらひら振りながらの舞の言葉に反論できない中野はつぶやいた。
うだうだ言い合っている二人に所長が少し声を大きくする。
「いいから準備始めなさい!」
「はーい」
舞は返事をしてひらりとソファから起き上がり、事務所から外に出た。
向かいの部屋も葬儀屋が借りてる部屋で、女子更衣室と神域を兼用している。神域といっても神棚を 中心に注連縄でくくって結界を作っているくらいのもので、特別たいした意味はない。
更衣室の扉を開くと、米原が着替えを終えて支度を始めているところだった。
塩と神酒を持っている巫女服姿の米原は、舞と目を合わせると微笑む。
「あら、もう準備を始めるの?」
「はい、所長がはりきっちゃって」
舞が笑って言うと米原も少しおかしそうに笑って、場の清めを続ける。舞も米原に背を向けて、ロッカーを開いて中の服を戸の裏についているフックに掛ける。黒いパンツスーツに黒いネクタイ。喪服。
制服のブレザーを脱いだ。続いてブラウスも手際よくボタンを外し、一気に脱ぐ。
ロッカーに貼り付けられた鏡に舞の姿が映る。
上半身にブラを残してあらわになった肌の 、へその少し横に十センチ弱ほどの縦に裂けたような傷跡があった。
その傷跡を人差し指でゆっくり撫でて、目を伏せる。
目を開く。すぐに喪服を手に取って、羽織る動作と同時に袖を通す。右腕も通し、慣れた手つきで前を留めていく。スカートのホックを外して下ろし、ボトムスを履き、ジャケットを着る。ものの数分で着替えを終えた。
制服を折りたたんで喪服を掛けていたハンガーに掛け、ロッカーに戻す。そしてブレザーのポケットを探り当てて鍵束を取り出した。
「米原さん、横失礼します」
「はい、どうぞ」
声をかけて注連縄の横を歩いて、奥にある南京錠の掛かっている大きいロッカーの前に立つ。
頑丈なつくりはロッカーというよりも金庫に近い。
鍵束からひとつの鍵を取って持ち上げた。その他の鍵が金輪の下に滑り落ちて音を立てる。
つまんだ鍵を南京錠に差し、ひねる。
がちん。
音を立てて錠前は外れた。もう一つ鍵を探り当て、ロッカーに備えついている鍵を開ける。かちん。
手を掛けて、ロッカーを開いた。
中には大雑把に布に巻かれた長物が立てかけられている。舞の身長より長い。
舞は開いた戸に手を掛けたまま、静かにその長物を見つめる。
微笑んだ。
「よし」
長物をつかみ、ロッカーから取り出す。自分の肩に立てかけてロッカーを閉め、元通り二つの鍵を掛ける。
鍵束を手でくるりと回し、内ポケットに突っ込んだ。
外から鍵の入った場所を手のひらで叩き、感触を確認する。頷いた。
「準備完了」
振り返って米原を窺う。
米原も場の清めが終わっていよいよ儀式に入ろうというところだった。榊の枝を持って神棚に祈りを捧げている。
舞は邪魔にならないように足音を忍ばせて更衣室を出た。
事務所に戻ると、ジャケットを着ていないだけで支度を終えている中野がソファに座ろうとしている。
「せいっ」
そのケツを手に持っている長物で叩いて座らせず、代わりに滑り込むようにソファに足まで乗せて座り込んだ。
叩かれたケツをさすりながら顔をしかめて舞を見下ろす。
「いって、お前、わざわざ横取りするこたぁねーだろ。だいたい二人掛けなんだから……足どけろ」
「やーだよ」
舞は笑いながら長物を抱え込み、中野に向かって舌を出す。
まだファイルに目を通していた所長が苦笑して二人を見た。
「いつも思うけど、随分余裕だよね」
舞と中野はそれぞれ所長を見返した後、少し笑って肩をすくめた。舞は自分の抱える長物を軽く叩いてみせる。
「まぁ、葬儀屋の仕事と言っても"こっち"のほうなら私の得意分野ですからね」
「そんで俺はコイツを運ぶだけっすからね」
中野はソファに寝転がる舞を指差してにへらと笑った。
舞は自分が指差されてるのを見て、中野の足を長物で軽く叩く。
「いてっ、スネに当てるんじゃねえ! いてえだろ!」
「はいはいごめんごめん、それよりコーヒー淹れて来てよ」
「頼むなら普通に頼めよ……」
ぼやきながらも給湯室に向かう中野を見て、満足げに笑う舞。そんな二人を見て所長は苦笑を濃くする。
「うわっ、いけね、忘れてた! 俺たちコーヒー淹れてたんじゃん! うわぁ、もったいねぇ」
給湯室のほうから中野の悲鳴が響く。
舞は体を起こし背もたれに顎を乗せて、給湯室で渋面を浮かべながら冷めたコーヒーを飲み下している中野を見やる。
「あー。そっか、客が来るって片付け始める前にコーヒー淹れてたんだっけ」
「そーそ、すっかり忘れてたな。舞もコレ飲め、勿体無いから」
「嫌だ、バカ。淹れなおしてよ」
緊張感の欠片もないやり取りを続け、コーヒーも飲み終えて夕食は誰が作るかという話が脱線して酢豚にパイナップルはありかなしかになり、それがまた脱線して目玉焼きの味付けは何かになり、一周回って舞が夕食を作ることになったころ、事務所の扉が開いた。
「佐藤美由紀さん、見つかりましたよ」
巫女服姿の米原が、微笑む。
よしきた、と舞がソファから飛び上がるように立ち上がり、長物で中野の後頭部を殴打した。
「いって! なにすんだコラ舞!」
「ボーっとしてるから。米原さんへいパス!」
後頭部を押さえる中野を尻目に長物を肩に乗せて米原に駆け寄りながら手を出す。
米原はおかしそうに笑って、印をつけた地図を舞にパスする。
中野は舞の後姿に手を伸ばしながらも、丸めた地図をへっぴり腰で両手パスする米原に目を向けたままで叫ぶ。
「ちょっと待てよ、巫女姿の米原さんレアなんだぞ、もう少し拝んだっていいだろ!」
扉の前で振り返って長物を半身に構える。
「ほらほらバカ言ってるともう一発いくよ?」
「あーもーくそ、待てよ舞っ」
わずかな葛藤を乗り越えて、イスに掛けてあったジャケットをひったくるように取って中野も走り出す。舞はそれを見越して身を翻して先に事務所から出て行った。
扉の脇にどいていた米原は穏やかに微笑んで「いってらっしゃい」と中野に手を振る。すれ違いざまに中野は手を上げて答え、扉を閉めながらターンを決めて事務所を後にした。
地下にある駐車場まで階段を駆け下りると、すでに舞は長物を霊柩車のなかに放り込んだあとだった。
助手席の扉を開いて乗り込もうとしているところに駆け寄り、鍵を開けて運転席に滑り込む。
「場所は?」
「えーっと、ちょっと待ってー?」
キーを回してエンジンをかけながら尋ねる。
助手席でガサガサと地図を開く音とエンジンの震える音が重なる。
地図に目を落とした舞がまず大雑把に場所を口にする。
「山? 二丁目の裏手の山だね」
「へっ、そいつは好都合」
「誰にとってもね」
ギアを変えながら中野が笑い、舞が微笑んで後に続く。
アクセルを踏み込んで、葬儀屋の霊柩車は走り出した。ミラーに吊り下げられた交通安全のお守りが揺れる。
街中を霊柩車が走るなど縁起の悪いこと甚だしい。そのため中野は人通り車通りの少ない道を選んで走る必要があった。
現在時刻や信号待ちの車の数、道路工事の有無などをもとに目的地までの距離と人通りを計算して逐一最適なルートを考え出して走る。
迷いのないルート選択に窓の上にある取っ手に捕まりながら舞は笑う。
「さすが、元タクシー運転手。道のことは詳しいね」
「いちいち地図を開いてたら商売にならないからな。あいにく、道を覚えた頃にクビになったが」
どこも不景気だ、とぼやきながら中野はハンドルを回す。
現役学生である舞にはあまり実感のない話だし、興味もない。適当に流して、膝の上の地図に目を落とす。
等高線の流れと地勢を頭の中に描きながら、つぶやく。
「今日の風向きと星、月齢と雲の量からしーたーらー」
声を伸ばすところで目まぐるしく計算しつつ、地図の上を視線が走る。「ら」の音が完全に「あ」なり、息も三分の二くらい切れてきたところで声を止めた。
一度深呼吸してから地図の山の一点を指差す。
「霊気が定着しやすいのはこの辺じゃない?」
「ん……了解」
信号待ちの隙に舞の指差す場所を覗き込んで確認し、中野は目的地までのルートを最適化していく。幸い、ひと気が少ない時間に住宅街を突っ切ることが出来そうだ。霊柩車が通れそうな幅の道はいくつあったか。どう組み合わせていけば最短で着けるだろうか。
集中するあまり強い笑みが浮かんでいることに中野は気づいていない。
ややもするとその山が見えてくる。カーブに振り回されながら、舞は目を細めて山を見た。
米原のように遠い場所の霊気を感じ取るような器用な真似はできないが、肉眼で確認できる距離まで来れば舞にも霊気を探ることはできる。
人の目が錯覚を起こすように、舞の目もまた精度はいま少しだが、それを補うために身につけた知識と掛け合わせて考えれば十分見分けることが出来る。
だから、
「いるね」
「そうかい、そらめでたい」
目を細めてつぶやく舞に即座に返す。ハンドルを切ってまた角を曲がり、住宅地を抜けていく。山を正面に見据えて、かなり近くなってくる。
中野もわずかに眉間にしわを寄せた。
「ここまで近付くと、霊感のない俺でも分かるな」
「霊気がだだ漏れてるからね。ずいぶん優秀だったのかな」
「さてな」
ゆっくりと減速させて山の手前で車を止める。
舞は扉を開けてすぐに外に出た。扉を閉める舞と窓越しに目をあわせ、中野は笑みを抑えて言う。
「気ぃつけてな」
「うん」
からかわずに頷き、小走りで霊柩車の後ろに回った。
扉を開けて長物を取り出し、巻きつけている布を解く。
するりと衣擦れの音とともに姿を現すのは、穂先に朱墨で文字の書かれた槍だ。布を車の中に放り込んで閉める。
槍を肩に担ぎ、鋭く一息吐いて気合を入れて、舞は山へ向かって駆け出した。
「そういえば、この山って誰かの所有地なのかな」
敷居を飛び越えて緩やかな斜面を駆け上がりながらつぶやいた。
「……どうでもいいか」
耳に神経を集中させて、霊気の核が奏でる、音とは微かに違った感覚の共振を探る。
導かれるように走る。
木の根を飛び越え、深い落ち葉を踏みしめて、霊気の濃い場所強い場所へと進んでいく。
すでにそこは異界だった。
解き放たれた霊気が濃密に絡みつくような。御伽噺で異形の者に出会うかのような。
常識とはかけ離れたもう一つの現実。
物語の登場人物は、回帰するまで自分がどこに足を踏み入れたのか気づかない。
木々の間を抜けて、開けた場所に踏み込む。
そこには白いもやのようなものが立ち込めていて、間違いなくそこに祓うべき魂があった。しかし、舞はそこで足を止めて、目を見開いた。
言葉が出ない。
異界。
白いもやに包まれている人影が闖入者に、舞に気づいたのか、ゆっくりと振り返った。
長い前髪が掛かった顔は、誰のものか判別できない。
人間のものなのかどうかすら。
「……だれ?」
髪の間から口が開いた。口の中の赤がやたら強烈に目に焼きつく。
ぬめった光を放つ瞳が、ぎょろり、と舞を捉えた。
「だァれ?」
体ごとゆっくりと振り返る。霊気が流れて、生ぬるくて底冷えのする風が吹いた。
女は笑った。
「私を……」
歓喜に。
狂気に、絶望に、悔恨に、復讐に、憎悪に、恋慕に、感嘆に、憤怒に、慈愛に、快楽に、怨嗟に。
「私を殺しタのハ、だァれ――?」
女は笑う。
狂気笑い、好きです。
でも、ただ哄笑するだけが狂気笑いじゃないと信じています。こだわり。
着替えというサービスシーンや、ぎりぎりお姉さんの巫女服など、私の趣味がボロボロと出ておりますが、お楽しみいただけたでしょうか。
そして、巫女服は、若い女の子だけのもんじゃない、ということがお分かりいただけたでしょうか。
書きたいものを書く、それが私のジャスティス。