どこからか聞こえる声
予想外の少女の捕縛から丸一日。13班はいつも通りの哨戒任務に出ていた。
「――この地域の確認は取れた。次」
指定地域一帯の確認結果をコクピットで仄かに光るスクリーン上の地図に記載して、機体を次の確認地域に向かわせる。
「この先、11班と哨戒地域が隣り合うわね」
リアルタイム通信で更新される地図を見て湯浅はつぶやく。地図上には11班の五つのブリップが表示されており、このまま次の地域の哨戒を行うと互いに近い位置を哨戒することになる。早まって誤射しないよう注意しないとならない。
「11班といえば、下品な班長がいたな」
高野は呆れた声で思い出す。11班班長とはそれほど付き合いが深いわけではないが一度13班と揉め事を起こしたことがある。
確か酒癖が悪いとんだセクハラ野郎だった。この部隊では女性隊員は湯浅一人。少しばかり嫌なことを思い出す――
「俺たち、明日には死んじまうかもしんねぇからよ――な?」
急に呼び止められたかと思えば何を言い出すのか……湯浅はため息を一つはいた。
存分に酒を飲んだのだろう。しゃべるだけの息だけでもひどく吐き気がするほどの強烈な酒の匂い――
「意味が分かりません」
「これだからおこちゃまは――お兄さんが教えてやるからな?」
いやらしい手つきが伸びてくる。隊内でのトラブルは面倒だし、何より自分より階級が上の相手なのだからどうしたものかと湯浅は硬直してしまっていた。
そこに割って入ったのは班長である由良だった。この酷い酔っ払いのと同じ曹長の略称。湯浅に触れようとしていた手を一寸手前で掴み上げ、軽くひねる。
「何すんだよ。いてえだろ」
酔っ払い曹長は由良を顔をゆがませるほど睨みつけるが、由良はどこまでも真顔で、ただ相手の腕だけをしっかり握っていた。
「うちの班員に対するあなたの行為はセクハラです。中隊長に報告させていただきます」
ただ冷静に、淡々と述べる。
しかし一つ年下とはいえ、由良と同じ東京エリアの避難所で一緒に過ごしていた時期がある湯浅から見れば、それは怒りをどこまでも押し殺している背中だった。
騒ぎに他の隊員たちが様子を見るが、夜戦部隊が酒を飲むほどの食事をする時間帯はそれほど活気のある場所でもない。
「先に手を出したのそっちだからな」
苛立ちをさらけ出しながらセクハラ曹長は掴まれていない左手を由良に向かって振りかぶる――が、由良は予想していたかのようにさらりとかわし、掴んでいた腕をさらにさらにひねり、脚をかけて床に押し倒す。
機甲科隊員は体術が得意ではないことが多く、セクハラ曹長は受け身も取れないまま、顎を強打する形で、床にたたきつけられ、死にかけの虫のようにもがくが完全に由良に拘束された状態になる。
そのあとは騒ぎが始まったころに颯爽と警務隊員を呼びに行った高野が合流し、その場は解散。セクハラ曹長は減給処分を受けたが、酒に酔っていたことと未遂であったこと、由良の取り押さえ方が過剰だったとされ、それ以上の罰は受けなかった。
11班との哨戒域の境界線付近。11班の姿は見えることはなかったが、ブリップは近くに表示されている。
「各員、味方への誤射に注――」
その時だった。爆轟とともに暗くなってきた空を再び赤く染めたのは――
ブリップが一つ消える。
「総員警戒!」
13班に犠牲者は出ていない。ブリップが表示されていた方角を高性能カメラ越しに見やると、倒壊した建物から微かに煙が出ているのが見える。暗くてとても見にくい本当に微かにみえるだけの煙。
『HQより13班。11班が攻撃を受け、救援要請を出している。直ちに迎え』
「了解――総員、救援要請だ。ついてこい」
緊急回避がしやすい歩行状態から、車輪走行へと切り替える。アクチュエータが甲高い音をたて、機体を闊歩させる。そうして向かっている間に再び爆音が鳴り響く。今度はブリップが減ったりはしなかったが、緊急事態であることには変わりない。恐竜種などが相手では隊が全滅するなんてことも不思議じゃない。
三分後、11班と合流。消えたブリップの機体は件のセクハラ曹長のものだった。
「こちら11班由良、状況は」
11班副班長と無線を交わす。
『こちら13班副班長梅原。班長が砲撃で潰された。砲撃元は不明。砲撃自体は北東方向からだと推定される』
11班の残機はその推定方向から機体を隠すように、マンションを盾にしていた。マンションには投射物と思われる塊がめり込んでいる通り、二度目の砲撃で被害を出していないのだからおそらくはその方向で間違いないのだろう。
しかし、具体的な位置がわからないのでは迎撃もできない。
「HQ、目標の位置はわかるか」
『こちらHQ。すまないが航空観測では発見できていない』
由良はチッと軽く舌打ちするとマップを開き、航空観測機から視界になり、この地点を砲撃できる地点を探す。のだが――
「候補地が多すぎる……」
このままでは救援要請に応じたこちらまで被害が拡大しかねない。11班が救援要請を出したのは班長の戦死と、マンションから身動きが取れなくなったからだろう。
このまま時間が経っても三度砲撃を行われ、マンションが倒壊すれば11班は全滅しかねない。
汗が垂れる。六月も末だし、暑さだろう。冷静に、状況に飲まれることなく、任務を遂行して、帰還する。
何か、何かもう少し手掛かりに……敵の位置がわかる確実なものは……何か――
『北東、デパート上、たぶん一キロくらい』
無線?ではない。声が直接頭に響くような――
「今のは?誰か聞いていたか」
『なんのことだ』
高野が怪訝そうに聞き返してくる。俺だけか?しかしどこかで聞いた気がする声だ。いやそんなことはどうでもいい。隠していた機体をさらけ出し、聞いたばかりの情報を頼りに、目標を探す。
確かに情報通り、北東のデバートの上にコオロギのような体格だが豪く長い尾部に何か丸い――
「第三射か!」
観測を中断し慌てて建物の陰に飛び込む。
瞬間、爆轟とともに観測していた地点にクレーターが出来上がる。ほんの一瞬の出来事。
「総員、目標北東のデパート上、距離900m、照準次第射撃」
各機がすかさず飛び出し、目標へと照準を合わせる。三一式は固定砲塔なので、がしゃがしゃと自慢の多脚を動かして――
三一式の弾道計算は搭載されるマイクロコンピュータによって瞬時にはじき出される。その一瞬の沈黙を破るかのように、各機からけたたましい閃光と轟雷が響く。
打ち出されたAPFSDSが瞬時にコオロギ型の目標の体をずたずたに引き裂き、細い手足をちぎる。
高性能カメラの望遠機能で見やると、目標に動きはない。
「こちら13班。砲撃したと思われる目標を撃破。警戒しつつ、11班を後退させます」
『こちらHQ、了解。11班の交代として12班を派遣中。10分後そちらに合流する』
「13班了解。後退支援につきます」
無線終了。12班は11班と同じ第六機動小隊なので采配は妥当だ。ついでに昨日13班後退後の引き継いで任務を受けたのが14班、同じ第七機動小隊である。
「11班、班長機の回収はできそうか」
『こちら11班梅原、無理だ。砲弾と思われる物体で地面に縫い留められているようだ。班長機の回収は諦める』
共有された低解像度の映像では、地面をえぐるように三一式が頽れていた。コクピットは砲弾で潰され、その周囲だけが血黒く染色されている。これでは遺体もかつての自分の班のように、還ってくることはないだろう。
ここ最近は平和な哨戒任務だと思っていた。しかし、つい一月前ほどにトラブルとなったセクハラ曹長は戦死し、自分がすっかり慣れによる平和ボケが始まっていたことを思い知る。
それにしても――
「あの声はいったい」
すっかりあたりは暗闇に満たされ、星々の光だけが地上を照らす。そんな空を、コクピット越しに眺め、由良は考え耽る。