3話『戦略』 (1999年2月12日)
「ほい、先輩、チョコっすよ。義理の本命というやつっす」
ボードゲームを物色していた際に、ミフユから唐突に小さな包み箱を渡された。
5センチメートルの立方体をキラキラ光る紙で巾着状に覆い、上の方を紐で縛っているものだ。
まぁ、何かは判る。
14日は日曜なので今日渡してきたのだろう。
「なんだ、義理の本命ってやつは。まぁ、ありがたく貰っておくが」
「先輩は良い人っすけど、付き合うにはちょっと……。もっとがっしりした方が好みと言うか。そもそも、先輩には本命の義理をくれそうな人がいるじゃないっすか」
がっしりだと、ヤスタカ程度だろうか。
ミフユ――小日向ミフユは、俺と異なりその苗字に入っている漢字の通り、身体が小柄だ。
小学生とまでは言わないが、中学生だと主張すれば誰も疑問には思わないだろう。
本人も意識しているのか、恐らく身長を稼ぐ為に頭の高い位置でポニーテールにしている。
但し、顔付きも身体付きもまだそこまでではないので、効果があるかは疑問だ。
服も制服を着用しており、1年下の赤いリボンを付けている。
「今度は、本命の義理か? 変な言葉を作るなよな」
「ほら、言いそうじゃないっすか。あ、あー……こんなイベントなんて某お菓子メーカーの策略であるのだけれど、抵抗する意味もないから乗ってみることにするわ。はい、これ、一応本命よ……なんて、感じで」
「誰の真似だ、それは」
その答えが判らないわけでもないし、ミフユもそれを察しているので、ニヤリとした笑顔のまま答えは返ってこない。
正直、似てねぇよと返そうと思ったが、謎のクオリティで言いそうと思ってしまったのが腹立たしい。
実際似た感じで現実に成りそうな気配すらある。
「さてと、今日は王道のリバーシにするか」
あまり深掘りされたくないので話題を変えるために、棚の中から有名なボードゲームを取り出し、ミフユの前に置く。
この部活は化学部ではなく、囲碁・将棋・その他部だ。
その他に分類されるのは、チェス等のボードゲーム全般だが、『ゲーム』とは部活名に付けづらいためにぼかした表現になったらしい。
部活の掛け持ちは自由なため、他にも何個か所属しているが、ここの部活は暇潰しに丁度良い。
専ら火曜と金曜には顔を見せている。
ミフユに関しては教室の窓際で将棋の熱戦を繰り広げている女子2人の付き合いで4月に部活の見学に来ていた。
その際は2人の対戦を暇そうに観戦していたので、他のボードゲームに誘って遊んでいたところ、懐かれた上にそのまま入部してきた。
「あれ? 別の名前付いてなかったっすか? それ」
「あぁ、俺も最近知ったんだが、そっちは商標名らしい。少なくともこいつは石が赤と白に塗り分けられているからリバーシの方が適切だ。まぁ、結局ルールは基本同じなんだが」
この辺りの雑学もナズナから教わった話だ。
いったいどこで仕入れた知識なんだか。
「じゃ、先輩強いから先手は戴くっすよ」
そう言ってミフユは白い石を置いて、白い石で挟まれた赤い石をひっくり返して白い石に変える。
うーむ。ミフユが色々間違えているが、大きな違いは無いので指摘せずそのまま進める。
「そういえば、天文部の表彰なくなったってな」
赤い石を置いて、1石ひっくり返す。
「あー、そうなんっすよー。と言っても、ほぼナズナ先輩1人の功績なので、私としたらどちらでも良かったと言うか」
ミフユも1石置いてひっくり返す。
「あながち直撃コースにでも乗っていたんじゃないか?」
赤い石を置いて、1石ひっくり返す。
「そして7月頃に直撃っすか? ノストラダムスの大予言通りってことっすね」
俺と同じように部活の掛け持ちで、ミフユはナズナと同じ天文部に所属している。
その天文部――実際はナズナの功績らしいが、公的に表彰される大発見をしていた。
それが、地球方向に向かう小惑星の発見だ。
数多ある小惑星の中で、専門家を差し置いて先に発見できたのには理由がある。
太陽方向から来る小惑星であったためだ。
つまり昼にしか観測出来ないし、太陽に望遠鏡を向けることもできない。
まして、小惑星の大半は火星と木星の中間にある小惑星群から弾き出されたものであるため、夜の方に注力されているのも自然な話だ。
「今太陽付近だとすると、タイミング的には合ってしまうがな」
真っ白になりつつある盤面から逃がすように赤い石を置いて、1石ひっくり返す。
「え? そうなんすか? 怖いっすね。……あれ、置くとこ無いのでパスっす」
地球と太陽の距離は約1億4000万キロメートルだ。
小惑星の移動速度はその要因によって変化するが、平均的にはおおよそ秒速で10キロメートルらしい。
日速にすれば3600倍の24倍で約85キロメートル超。
つまり、距離から速度を割った160日程度――後5ヶ月といったところだろう。
「まぁ、予言なんて非科学的だから只の偶然だろう」
赤い石を置いて、5石程ひっくり返す。
「…………パスっす」
「表彰が無くなったのも、想定より軌道が近かったとかがあったのかもしれんが、そうそう命中するなんてこともないだろうさ」
赤い石を置いて、6石程ひっくり返す。
「…………」
ミフユが無言で白い石を置いて、1石ひっくり返す。
「仮に直撃したとしても、海に落ちることの方が多いから、そんな心配することでもない」
6石程ひっくり返す。
「……」
2石ひっくり返される。
5石程ひっくり返す。
パスなので、3石程ひっくり返す。
どうやら、またパスのようなので赤い石を掴む。
「交通事故に合う確率なんかより格段に低いから、そんな不安にならんでも――」
「うわー! なんなんっすか、虐めっすか? わざとっすよね。どうやったらこんなんなるんすか」
判っていたことだが、ミフユが騒いでいるのは未確定の将来の大事件ではなく、確定している目の前の些事についてだ。
つい先程まで真っ白だった盤面は、今やほぼ赤で埋め尽くされている。
「まぁ、戦略性というか、勝つためのコツのようなものがあるんだ。それを覚えるだけで素人には負けなくなるぞ。あいつらにも勝てるんじゃないか? ほら、教えてやるから一旦寄せるぞ」
顔を横に向けると、ミフユの友達である2人の真剣勝負は丁度勝負が付いたようだ。
負けた方がミフユと何かで対戦し、ほぼ全てでミフユが蹂躙されるまでが一連の流れだ。
「おー! 流石先輩。そんな重要情報まで開示してくれるなんて。まさに神っす!」
尚、彼女らは将棋のガチ勢なだけあって、リバーシの定石まで修得済みだった。
当然、多少コツを掴んだ程度では話にならない。