「幸せ」[11/13, 11/23]
生きている「幸せ」って何なのかわからない。
自分の環境、業績や経歴が恵まれた「幸せ」な「善い」外観であると感じるほどに苦しさが増してくる。
>ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。
>あれば人でなしの国へ行くばかりだ。
>人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
幸せとは自分にとっての「住むに甲斐ある世」を見つけることだろうか。
しかし望んだ「世」が「人でなし」の世界だったらどうだろう。
「人」という器がなければ住めない世界、自我を切り離した``真空''のような「思考の世界」に住み続けることを望む「人」の肉体はどこに住むべきか。
もちろん、ただここにある宇宙とそこに人の身(と歴史)で望む「ただの人が作った」学問的「思想」の世界は「住むに甲斐ある世」であろう。
悟りを開いた人はなぜ生きているのか。
本質的に生きることが修行であり、生きることを受け入れているから。
「生」はすでにここにある。
「思考」そのものが根幹に据えられると、生きるための動作・欲に執着しない。
研究のために体を整えるのではなく、命ある限り考え続ける。
体を制御している「精神」や肉体そのものが崩壊するのであれば、そこが「人」としての終着点だ。