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無秩序からの手記 -Notes from disordered phases-  作者: morley
思考・思想の傾向
2/14

人生の価値(定義)[11/10]

結論、人生に価値はない。

ヒトの個体の生き方に重要性は特にない。

生物の種が継続して存続するための要件として、個体ごとの生存・生殖本能などがある。

逆に、そういった能力が自然環境に適応し続けることで種が存続する。


人生の価値は心情的な欲求とは別の問題である。

個人が生命活動を続けること、あるいは終えることに意義はない。

生活の満足度、生きがいによって生命活動が維持されているわけではない。

生命がある状況下において、やりたいこと、やるべきこと、楽しみ、苦しみ等々が生じるだけでしかない。


ヒトも他の動物(野生、家畜)も等しく「生きる」ということ自体に価値はない。

また、種が絶滅することが「悪い」ことでもない。

これらは現象としてそうあるだけのことで、それ自体には価値を付加できない。

当然だが、これらの現象を理解したいという類の学問的価値はある。


死にたいと考えるだけで生命活動を終えることができる人間はいない。

自殺は何らかの困難を打壊・回避するための行動の一つである。

(基本的には。知的好奇心の対象としての自殺衝動の存在も認める。)

費用対効果を考慮した上で自殺が必要ならば、それ自体に問題はなく、

一方的な嫌悪感といった心理的傾向も必要ない[3]。


地位や成果による個人の社会的価値は認める。

ただしそれによってその個人の人生が他と比べて特別な価値があるとは考えない[4]。

彼らは(主観的には)特殊な権利を行使できることに価値を見出し、その対価として義務・責任、また周囲の注目・期待を許容する。

反対に、例えば、ある分野で優秀な人物が死亡した場合、社会的価値を基準に「残念」であるという感情はおこりえる。

これは他者視点での「人生」の価値を付加しているが、実際のところどう生きているかは問題ではなく、結果として(小さい、または直接的でないか自分以外の人間に対して)利益を享受することに期待する感情によって付けられた価値である。

もう一例として、死後に業績を評価された人物の場合、後世の人々はその「人生」に価値があるというかもしれない。これは歴史上の重要度が高いという意味での「人生」の価値を見出すわけだが、成果自体の価値をその人生の価値とすり替えて議論しているだけである[5]。


------

[3] 性善説と性悪説の議論に意味があるとは思わない。

初期状態として善も悪もない。

成長過程で社会構造・規範に順応してどの行動により利があるかを学び判断する。

例えば、純粋な生物的欲求に従うことが「道徳」的に悪である(ことが多い)社会ならば、性悪説に寄っている、とも言える。

[4] 何らかの成果を出し、他人から評価されたい、そういう生き方が目標だという結果至上主義的な性向を

否定するつもりはない。

成果が出たなら、「幸せをつかみ取ったすばらしい人生」だともてはやしてもらえるので、満足度の高い自己肯定感が得られて精神衛生上良いのだろうとは思う。

[5] 結局は人間は他人の心情・生き方を想像することしかできず、最高でもできることは限りなく正しい虚構を生み出すことしかない、ということに類似している。

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