空き地のベルが鳴る
カランコロンとベルを鳴らして扉が開く。
何処か薄汚れた印象を抱かせる様に薄暗い部屋の中に明かりが差し込む。
安物の椅子に腰掛けた彼女は本を閉じて顔を上げた。
『やあ、どうしましたか?こんな夜分に訪ねて来るなんてね。朱鷺君』
「一つ、教えてほしい。妹は、美空は何処にいる」
彼は険しい顔で彼女に問い掛けた。
存外落ち着いているようだ。彼女は少し意外に感じる。以前此処を訪れた際には今にも食って掛からんという剣幕だったのに。ここ数日の間に何かあったに違いない。興味深い。
でも何が起きたかは予想がつくので、矢張どうでも良い。興味は無い。
『おやおや、また何かあったのですか。それで状況を教えて貰っても?朱鷺君』
一瞬で自己完結した彼女は、何事もないかのように平然と、おちょくるような調子で彼に尋ねた。
「昨日、美空が公園で消えた。学校から帰ってこなかったから電話をしたが繋がらない。何かあったのかと思って捜しに出たところ、家の前の公園に美空の携帯と一緒にこんなものが落ちていた。」
彼は米神をひくつかせ、眉間に少しの皺をつくりながら、上着のポケットから皺のよったジップロックを取り出す。中には、血に染まってヌラヌラと輝く指が一つ入っていた。
『驚きました。まさかこんなものを持ってくるとは。しかし面白い。本当に面白い。大変愉快な事らしい。君もそう思いませんか?朱鷺君』
それを受け取り、彼女は少し興奮したように口元を歪める。面白い。面白い。彼な自分の手にしたモノの正体を知ったとき何を思うだろうか。そこまで妄想して彼女は愉しげに腹を抱えて嗤った。
その様子を見て遂に堪忍袋の緒が切れたのか、彼。否、朱鷺と呼ばれた青年は鬱陶しげに彼女を見遣り、明らかに怒気を孕んだ声で彼女の名を呼んだ。
「沙伊!いい加減にしろ!!」
やれやれと彼女は口を閉じて肩を竦める。
しかし口角は依然として上がったままで、未だ面白そうに嗤っているのは誰の目から見ても明らかだった。
『短気はいけない。急いても事を仕損じるだけと昔から云われているでしょう?朱鷺君』
嘲笑いながら彼女は彼を眺めて瞳を細める。
彼の身体は僅かに震え、怒りを抑えるかのように拳は堅く握られている。
拳の隙間から覗く爪が僅かに赤く濡れている。
今、彼の胸のなかに渦巻く感情の名は明らかだ。
それに気付いていないのか、そ知らぬ顔で彼女は言葉を弄ぶ。
『リラックス、リラックス。握りこぶしは止めましょう。爪が刺さって血が滴れば、困るのは私ですから。ねえ?朱鷺君』
暗い部屋の中、確かに歯軋りが鳴る。
彼女は困ったように、やれやれと肩を竦めながら薄ら笑う。困ったものだ。
どちらが困ったものかは置いといて、そろそろ出掛けるかな、と彼女は思う。
久々にスーパへ買い出しに出掛けなくては。
蓄えのカップラーメンが無くなりかけている。
相談所の真似事は趣味であって本職ではないのだ。
とはいっても他に仕事が在る訳でもないし、相談所の真似事だって真面目に取り組んだことは一度もないのだけど。
しかし、相手をするにも馬鹿馬鹿しく面白い案件をよくも持って来てくれたものだ。
気でも狂っているのかね?
狂人の戯言の相手にも疲れてきたので、彼にはお帰り願おうか。
彼女は面倒になって、彼に適当な暗示を掛け始める。
『明日の朝、四時ごろにその公園に行きなさい。貴方の待ちわびた人が待っていますよ』
彼は様子を一転させ、憑き物が取れたような顔で軽快に頷いて帰っていった。
さて、問題だ。
本が溢れた埃だらけの暗くて狭くて安っぽい、閉ざされた部屋の中で彼女は考える。
彼が自分の妹の正体に気付いていない事には驚いたが、アレは気付いた方が人間的に問題な代物か。
彼は頭のネジが外れた狂人だから、それくらい思い付いても良い気がするのだけど。
それはともかく、自分の妹の正体が一から十まで他人の妄想の産物だなんて、誰が予想できるだろうか?
否、それが可能な人物は最早変態としか言いようがない。自分は主犯だから別として。
『あーあ。明日、貴女の妹が居なくなるから居場所を聞きにおいで。なんて言わなきゃ良かった。異常者の相手は好きじゃない』
とんだ外れだ。と独り呟いて、彼女は彼から手渡されたジップロックの中身を覗き込む。
そこには何の変哲もない一掴みの砂と一本の木の枝が入っているばかりだった。
『嗚呼、でも妹がいるって暗示。かけたのは私で彼が狂ったのも暗示をかけすぎたからだし、責任くらいは取りますけども』
人間を唆し、世界を奇天烈に錯覚させて弄ぶ道楽者は薄ら笑いをしながら、椅子から立ち上がりドアノブに手を掛けた。
『二度と逢いたくないなぁ」
笑顔で毒を吐きながら彼女はスーパーに向かった。
翌日、俺は公園の砂場に一人佇む妹を見つけた。
何があったのか暫く呆然としていたが、家に帰ると途端に糸が切れたように泣き出した。
あの腹が立つ女は、それでも仕事だけはきっちりこなす奴らしい。
しかし何故、俺はあの女の事を知っていたのだろうか。あの女は何だったのだろうか。
思い出せそうで、思い出せない。
背筋に悪寒を感じたのでそれ以上考えるのを止めた。
それはともかく問題は解決したのだから、一応あの女に報告と礼をしようと昨日の場所まで行ったが、そこには一本の大きな木が立っているだけの空き地で、いつぞや見た怪しげな洋館の姿は、その隣にひっそりと立つ小さなハイツは、影も形も見当たらなかった。




