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第三話「新天地」

 トワネットはトワ、アルデリヒドはアロアに性転換し、貴族の令嬢と貴公子ではなく何者でもない者になった。そういうわけでサンマルク公国の首都ルナリウムの街中に埋没していた。

 瀟洒(しょうしゃ)な煉瓦造りの建物が並ぶ街並みは宮殿の豪華さと比べると数段見劣りするがそれでも美しかった。その街中をトワとアロアは彷徨(さまよ)う。アロアの世話をすると言い出した手前案内しなければならないトワだったが彼にも地理などわからない。今まで移動する時は馬車に乗ってふんぞりかえっていれば良かったのだから。

 日はすっかり暮れていたが、最近はガス灯が街の至る所に備えられていて、夜でも明るかった。迷いながらもトワは探す。本屋と宿屋を。

 宿屋は大通りに何軒かあるのを確認したのでトワは優先して本屋を探した。ようやく一軒見つけるとそこで店主に地図がないかと尋ねた。店主は棚から地図を探してきたのでそれを買った。


「何故地図を買ったんだ?」

「俺もニッキーニ家しか知らないから実を言うと土地勘がないんだ。これから何処に行くにも地図は必要ですから」


 アロアの質問にトワは正直に答える。アロアは納得して話はそれで終わった。

 それからトワはアロアを連れて宿に入りひとまず一泊することにした。そしてこれからのことをよく考える――金はまだ余裕があるがこれで住む家を買ったりということはできないし、仕事を探さないと生きていけない。さしあたっては住み込みで働ける職場を探すべきだろうか。

 アロアを部屋に残してトワは階段を降り、宿のフロントで主人に尋ねた。


「ちょっと聞きたいんだけど、この辺で住み込みで働けるところを知らない?」

「知らないねぇ。そういう情報は酒場で聞くといい。この近くにヴァルハラって店がまだやってるよ」

「ありがとう」


 トワは一旦宿を出て教えられた酒場に向かった。そこはゴロツキの吹き溜まりだったが、生憎トワの人相は似つかわしくて誰も(とが)める者はいなかった。

 ビールを一杯頼んでから、トワはマスターに話を聞く。


「ここら辺で住み込みで働けるところってない? 知ってたら教えてほしい」

「兄さん、プー太郎か? それならシェンエイ紡績(ぼうせき)工場ってところが万年人手不足ですぐ雇ってくれる。ただしあそこはキツイぞ。()を上げたって俺を恨むなよ」

「わかった。ありがとう」


 トワはビールを一気に飲み干してから、酒場を出て宿屋に戻った。


「トワ、どこに行ってたんだ? 酒臭い……」

「ちょっと情報収集に。それよりアロア、シェンエイ紡績工場ってところに行ってみましょう。もしかしたら雇ってくれるかも」

「そうか、トワ、私のために色々と気を回してくれているんだな。ありがとう」

「そんな、当然のことですよ」


 アロアに感謝されると嬉しくなるトワだった。彼女のためならどんなことでも頑張れる気がした。

 しかし頑張りにも限度というものがあった。




「トワにアロアとか言ったか、数は数えられるな」

「はい」

「見たところ健康そうだ。うちは常時人手不足だからほぼ採用することに決めているが……」


 面接官は値踏みするかのようにトワとアロアを凝視した。

 翌日、二人は早速シェンエイ紡績工場にやってきた。最初は自分だけ働くつもりのトワだったが、アロアもトワだけに働かせて自分だけのうのうと暮らしていくことはできないと働く意思を見せたので、二人して面接を受けることになった。

 工場は煉瓦造りの立派な建物で威容を誇っていた。二人は働きたいと言うと工場内の一室に通されて、こうして面接官と向かい合っている。だが話に聞いた通り、やはり人手不足で即雇用されるらしかった。

 面接官はねっとりとした口調で言った。


「うちで働くうえで大事なのは何か……わかるかねぇトワ君」

「な、何でしょうか……一生懸命頑張ることとか」

「違うねぇ。従順であること、だよ。わかったかね?」

「はい!」


 背筋が凍るような感覚を味わいながらも元気よく返事するトワ。もし面接官の機嫌を損ねでもしたら大変だとわかっているから。


「じゃあ、明日の朝六時から出勤ね。今日はこの後仕事の説明するから、一回で覚えるように」


 面接官はそのまま案内役になった。彼は工場内の実際に作業しているところに二人を連れて行き、精紡機の使い方を説明した。

 その途中、トワとアロアは何度も汗を拭いた。工場内は()だるように暑かったのである。通風や換気などの設備もなければ扇風機なども何もないまま大量の機械を動かしているから当然である。夏場は大変だろうという感想を抱いた。

 説明が終わると面接官兼案内人は二人を社宅の前で解放した。社宅が五階建てのマンションになっていて、トワは渡された鍵の通りの部屋番号を探す。ようやく見つけると部屋の中に入って一息ついた。しかし部屋は殺風景で狭く、まるで監獄のようであった。


「アロア、大丈夫?」


 トワは心配になって聞く。面接官の口ぶりでは酒場のマスターが言っていた通り「キツイ」仕事らしいのが窺えた。アロアには大変な目に遭ってほしくないというのがトワの思いだった。しかしアロアの決意は固い。


「やってみせるさ。心配いらないよトワ。自分のことは自分でできる」

「アロア……」


 そこまで言われたらトワには止められなかった。




 シェンエイ紡績工場での労働は過酷を極めた。

 朝六時から夜六時まで。規則ではそうなっているが残業は基本で実際には夜八時まで働くのが常だった。それを月から土曜まで。日曜も何かと理由を付けて出勤させられたので実質休みなしだった。

 工場では立ちっぱなしで座って休憩することなんてできない。トイレに行くことすら休む口実にされるからと制限された。作業中に与えられる食事は揚げパン一本だけ。空腹と疲労に常に襲われた。

 さらに遅刻したり騒いだり居眠りしたりなどしたら罰金などの細かい罰則ががんじがらめにする。工場内での自由はなかった。ここでの労働者は奴隷に等しい。

 トワの精神は確実にすり減っていた。このままこんな生活を続けていたらおかしくなる、という確信があった。そして何よりも帰ってから一言も発さず疲れて寝てしまうアロアを見るのが辛かった。

 一ヵ月ぶりに出勤しなくて済む日曜を迎えた時、トワは遅くに起きてきたアロアに告げた。


「アロア、ここを出よう」

「トワ……?」

「こんなところに長居しちゃいけない。ここを出て田舎で麦でも作ってのんびりと暮らそう」

「でもどこへ……当てはあるの、トワ?」

「南のアボイデ村なんてどう。昔絵画で見たことがあるけど美しい農村なんです。きっとアロアも気に入ると思いますよ」

「アボイデ村か……」


 アロアは少し考えていたが、いいんじゃないかとトワの案に乗っかった。そういうわけで二人は荷物をまとめて監獄を後にした。

 しばらくはルナリウムの街を放浪していた二人だったが、馬車を捕まえると乗車賃を支払いアボイデ村まで連れて行ってくれるよう頼んだ。丸一日かかるし夜は宿に泊まると言われたがトワもアロアも構わなかった。

 そうして馬車の旅が始まる。車内は多少揺れるがそれでもそれこそ馬車馬のように働かされる日々と比べたら快適以外の何物でもなかった。久々にゆっくりとした時間が過ごせるとトワは心を落ち着かせる。

 ルナリウムの外に出ると途端に景色は緑色に染まった。自然の中でリラックスして、トワは呟く。


「ルナリウムの外はこんな風になっていたなんて知らなかったな。こんなにも世界は広かったのね。何も知らない井の中の(かわず)だった」

「そうだねトワ。それを君が気付かせてくれた」

「えっ、ああ」


 アロアが反応したのは予想外でトワは顔を赤らめた。アロアは感謝の言葉を続けて述べる。


「ありがとうトワ。いつも私によくしようとしてくれていることはわかってるよ。ニャックに命令されたからだけではできないことだろう?」

「それは……」


 まだ正直にアロアのことが好きだからとは言えないトワだった。もっと親密になってからの方がいいだろうと考える。だからこの機会にもっとアロアと話してみようとトワは試みる。


「アロアは……アロアになったことを後悔してる?」

「いや、そんなことはないよ。確かに工場の労働はしんどかったけど、でもアルデリヒドのままでいるより進歩があったと思う」

「そうなんですか……」

「トワ、そろそろ敬語はいいんじゃないか? 君の主人はニャックであって私じゃないし、今は同じ平民だろう?」

「そんな……いいんですか? じゃなくて……いいの?」

「ああ」

「それならそうするよ」


 トワはアロアとの距離が縮まった気がして内心喜んだ。その上で聞きたいんだがと前置きして、アロアは尋ねる。


「トワはどうしてニッキーニ家に仕えるようになったんだ? 私はトワのことをもっと知りたい」

「あー、えっと、ずっと昔にみなしごだった俺をニャック様が拾ってくださってそれ以来……たいしたことはしてなかったんだけど、魔法の研究の手伝いとかちょっと」


 適当な嘘をトワは並べる。自分がトワネットであることはアロア――アルデリヒドには知られてはいけない。そのためにこういった質問に答えられるような設定をある程度考えてはいた。


「トワはニャックに恩があるからこんな仕事まで請け負ったのか……」

「仕事? 違うよアロア。ただ俺がアロアの傍にいたいだけなんだ」

「トワ?」


 ここは正直に言ってしまって、すぐ恥じて後悔するトワだった。案の定アロアは困惑してしまっている。

 苦し(まぎ)れにトワは強引な話題転換を試みた。


「そんなことより本当にいい景色だよね。今日は晴れていて良かったよ。ほら、アロアも見て。あ、あそこに牛が」

「え、どこに?」

「ごめん、見間違いかも」

「いや、よく探してみるよ」


 アロアはムキになって外の景色を凝視する。気を()らすことには成功したようだった。




 夜になって、馬車は道中の宿場町(しゅくばまち)に寄った。そこで一旦宿に泊まることになり、トワは手続きを済ませるとアロアを連れて今日の寝室に入った。

 ふかふかのベッドに飛び込んで、子供みたいにはしゃぎながらトワは言った。


「明日が楽しみだね、アロア」

「アボイデ村だっけ。どんなところだろうな」

「きっと楽園だよ。あの地獄と比べればね」


 トワはシェンエイ紡績工場での日々を思い出し、身震いした。流石にアレが最悪でそれ以下はないはずだと。

 向かう先は黄金の麦畑。優しい人々に囲まれのんびりとした美しい日々が待っている――彼はもうスローライフの妄想に夢中だった。

 しかしアロアは一抹(いちまつ)の不安を感じていた。全てが上手くいくというような万能感は彼女にはない。シェンエイ紡績工場のような落とし穴に引っかかるかもしれない――それが怖かった。だがトワの浮かれ具合を見ると自分の心配など馬鹿馬鹿しく思えるのも確かだった。

 その日は早めに寝て、早朝起きて再び馬車に乗り込んだ。

 車窓から見える景色の色合いは次第に黄金に変わっていく。

 一面に麦畑が広がる農村に入った。そこはまだアボイデ村ではなかったがもう近かった。トワはワクワクする気持ちを抑えきれず、おおっなどと歓声を上げる。

 跳ね橋を渡ると、ついにアボイデ村に着いた。そこでトワ達は馬車を降りる。彼らを出迎えたのはどこまでも黄金色の畑が広がっている光景だった。


「すごい……俺達本当に来たんだ……あの絵画の世界に……」


 トワは興奮して言った。口には出さないがアロアも感動している風で辺りを見回している。

 旅の果てに辿り着いたのは楽園か、それとも――

次回「暗転」

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