第一話「入れ替わりの魔法」
サンマルク公国、チューリヒ宮殿。豪華絢爛な舞踏会は今宵も開かれる。
煌びやかなドレスで着飾った貴婦人が食って歌って、素敵な殿方と舞い踊る。ここはこの世の贅を尽くした宴。そしてそんなパーティーには絶対的なスターが存在した。
「見て見て、あちらにおわすのはトワネット・ブルゴーニュ様ではなくて?」
「新作のドレス、素晴らしいわ。今日も一段とお美しいことですこと」
「聞いた? また一人求婚した貴公子が振られたんですって」
「高嶺の花! それが男心をくすぐるのですわ」
若い令嬢達が囃し立てる。容姿端麗、ファッションも常に最先端、麗しい銀髪に碧眼の紛れもない貴種の血を思わせるトワネットはいつも衆目の的であった。
しかしトワネットは周囲の目線を全く気にも留めず、辺りをキョロキョロと見渡していた。何かを探している風に。結局目当てのものが見つからないとなると、彼女は来た道を戻り始めた。
すると恰幅のいい紳士が立ち塞がって行く手を阻んだ。
「そちらは出口だよ。来たばかりではないかねトワネット」
「カール叔父様」
彼はトワネットの叔父であった。トワネットは呼び止められたのを煩わしいと思いながらも表情は微笑みを絶やさぬようにして告げた。
「ニッキーニ邸に向かうところでして。通していただけないでしょうか」
「ニャック・ニッキーニ……あの魔女に随分ご執心なことで」
「ただの友達なだけですよ」
トワネットは友達という語句を強調して言った。しかしなおカールはふんぞりかえっているので、トワネットは少し強引に彼を押しのけて通った。
「トワネット! 全く……」
カールの小言はトワネットの耳には届かない。彼女は足早と自分の馬車に乗り込み宮殿を後にしていた。
ニッキーニ邸。それは貴族の屋敷にしてはあまりにもこじんまりとした屋敷だった。
それもそのはず、元々はニッキーニ家の所有するちょっとした別荘だったのだから。しかし現当主はこともあろうか本邸を売り払い、この別荘に移り住んだのだ。そして使用人の数も最低限まで減らした。
必要最低限の物しか持たない、ミニマルな思想の持ち主のように見えるだろう。しかし裏を返せば一人になって誰にも邪魔されずにやりたいことがあるのだった。
「お邪魔するわね、ニャック……」
扉をノックしても返事がないので勝手に館主の部屋に入るトワネット。床には本棚に収まりきらない書類が散らばっていて、慎重に足の踏み場を選ぶ。
あちこちの机には試験管などの実験器具が散乱している。部屋の主は一番奥の机に向かって何やら書き物をしていた。トワネットは傍に寄る。
「ニャック、またパーティーに来なかったわね。だから私の方から出迎えに来てあげたわ」
返事はない。いつものことかと思いながらトワネットは大声を出す。
「ねぇニャック、ニャックってば!」
「うるさいわね! 今新しい魔法の基礎理論を書いているのに邪魔しないでよ!」
ニャックは怒鳴る、トワネットはごめんと軽く謝るがいつものことだった。ニャックも結局は作業を中断して会話に乗る。
「で何? 貴女も特殊な人しか扱えなくてリスクもある魔法なんて時代遅れ、これからは万人が扱えて安全な科学の時代だと嘲りに来たわけ?」
「誰もそんなことは言ってないわ……ただニャックがあまりにも社交界に顔を出さないから心配で」
「パーティーに行けと? 今更? 魔女と呼ばれるこの私が? 行っても何にもなんないわよ……」
ニャックは首を横にブンブン振る。彼女の長いボサボサの黒髪が揺れる。トワネットはフォローを入れる。
「そんなことないわよ。行ったら行ったで楽しくなるから。素敵な出会いだってきっと……」
「放っておいても男が寄ってくる貴女じゃあるまいし。聞いたわよ。またこっぴどく振ったって。ハルバート家の御曹司じゃなかったっけ」
「それは前の前よ」
「あっそう。でもなんで誰とも付き合わないの。トワネット・ブルゴーニュほどの大貴族の令嬢が」
「それはその、なんというか……」
トワネットは適当に言葉を濁そうとするが、ニャックの眼光は鋭かった。
「まさか、貴女まだあのことを引きずってるの?」
ニャックに看破されてギクリとするトワネット。誤魔化そうと口笛など吹くが、誤魔化しきれないのは明らかだった。
「アルデリヒド・ボロネーゼ、どこがそんなに良かったの?」
「うっ」
その名前を出されては降参するしかないトワネットだった。
「優しくて、見た目も綺麗だし、でもどこか影のある……幼い頃にお母様を亡くされて、多分寂しさを抱えてる……だから私が救ってあげなくちゃ、そう思わせる人だった……本当に魅力的なのよ、アルデリヒドは」
うっとりとしてトワネットは語る。アルデリヒド、かつての婚約者。彼のことを考えると情熱的になるのは今でもそうだった。
しかし二年前、突然だった。ボロネーゼ家から婚約破棄が伝えられたのは。アルデリヒド本人による強い希望で、とのことらしかったが、理由まではわからなかった。それがトワネットにとってはショックで一生のトラウマであった。
自分を裏切ったアルデリヒドを憎もうともした。けどそれはトワネットにはできなかった。むしろかえって恋しくなった。彼のことが今でも忘れられず、他の男性と関係を持つ気にさえなれないでいた。
「ニャック……やり直せるならやり直したいよ……アルデリヒドに私の何がいけなかったのか聞きたいよ……そして今度は彼の伴侶に見合う女になりたい……」
いつの間にかトワネットは涙声になっていた。そんな友人の姿を見てニャックはクククと笑う。それが解せなくてトワネットは問いただす。
「何がおかしいのよニャック……」
「いや、貴女の望み、もしかしたら叶っちゃうかもなぁと考えてたらつい……」
「どういうことよ!?」
トワネットは目の色を変える。魔女は悪魔の誘いを持ち掛ける。
「魔法で私と貴女が入れ替われば可能よ。貴女がニャック・ニッキーニとしてアルデリヒドに求婚するの。トワネット・ブルゴーニュのままでいるよりはマシだと思うけど」
「入れ替わりの魔法!? そんなのあるの? でもそれじゃ、ニャックが私になるんじゃないの。いいの? それで」
「正直家に籠ってやることは魔法の研究ばかり、そんな人生に後悔していたの。貴女みたいに社交界で華やかに輝く人生もあり得たんじゃなかったのかなと。だからこれは私にも利する取引。というか貴女こそ本当にいいの? 私、自分で言うのもなんだけどブサいよ」
「それは化粧してないだけでしょ。私だってすっぴんは似たようなものよ」
トワネットは気休めを言うが、改めてニャックの、自分が成り変わる相手の顔を凝視する。切れ長の一重瞼、厚ぼったい唇、個性的と言えば個性的だが全てが整った今の自分と比べれば見劣りするのは確実だ。でも多少のデメリットは甘んじて受け入れよう、今のままでは可能性はゼロなのだから、と思うことにした。
「お願いニャック、やって」
「本当にいいのね? 取り返しがつかないわよ。それでもいいならやるけど」
トワネットは頷く。それを答えとして、ニャックは準備を始める。赤色の液体が入った小瓶とチョークを持ち、トワネットを屋敷地下にある実験室という場所に案内する。そこは何もない空間でまるで牢屋のようでもあった。
ニャックはチョークで床に魔方陣を描く。大きな六芒星を二つ描いていてその上に入れ替わる両者が立つのだと説明したので、トワネットはその上に乗る。
「ここまで来たら後戻りはできない。いいわね」
「いいから、やって」
小瓶の蓋を開け、ニャックは中の液体を魔方陣に掛けた。すると魔法陣の線に光が走り、電のような現象が周囲に起こった。光は一気に強まり、トワネットの視界を真っ白にさせる。
「うわっ!」
トワネットは思わず声を上げる。そして視覚がゆっくりと戻ってきた。彼女は目にする。自分の顔を。数十センチ離れたところに。そして自分の長い髪を触る。その色は確かに黒かった。
「入れ替わってるー!」
入れ替わりの魔法は無事発動した。トワネットは驚くと共にニャックの研究している魔法とやらを今まで半信半疑だったのを反省した。彼女の魔法は本物だ。
ニャックはトワネットの顔で到底彼女がしそうにないような邪悪な笑みを浮かべた。
「すごいでしょう。私の魔法は」
「ええ。ありがとうニャック。私はいい友人を持ったわ」
「感謝するのはまだ早いわ。アルデリヒドを落としてからでないとね」
トワネットとなったニャックはニタニタと笑う。それを見てニャックとなったトワネットはやる気を出す。
それから二人は入れ替わった後のことを考えて自分達の家のことなどを詳しく話し合った。それで当面は入れ替わりがバレないように過ごすということになった。困った時は逐一会って問題を解決しようという取り決めもした。
かくしてトワネットは新たな人生を歩み始めた。全ては二年前に婚約破棄された相手、アルデリヒドに振り向いてもらうために。
しばらくはニャックとして魔法の研究を続けるふりでもしているべきだったが、トワネットは我慢しきれず宮殿のパーティーに行くことにした。
この変化を執事などはお館様がついにやる気になったと喜んでいたのは幸いだった。ともかくトワネットは化粧もしドレスも新調してチューリヒ宮殿に出かけた。
広い宮殿内を血眼になって探す。愛しのアルデリヒドを。すると少し人気のない離れで赤毛の物憂げな美青年を見つけた。彼こそがアルデリヒドだ。トワネットはニャックとして声を掛ける。
「ご機嫌いかが、アルデリヒド・ボロネーゼ」
「貴女は確か……トワネットの友人だった」
「ニャック・ニッキーニです。覚えていてくれましたか」
「ええ、話したことはありませんでしたが。その、有名ですから。貴女の魔法は」
トワネットはアルデリヒドのニャックに対する認識を確かめる。ほぼ初対面のようなものなら話しやすいと考えた。
「貴方、魔法に興味は?」
「ええ。実のところ、私の悩みは魔法でしか解決できないだろうと思っていたところなのです。まさか貴女の方から話しかけられるとは思ってはいませんでしたが」
「悩み事?」
気になってトワネットは詳しい話を聞こうとする。だが好奇心の目からアルデリヒドは目線を逸らした。
「それは……もう少し親しくなってからでないと打ち明けられないものです」
「ならば私達、お友達になりませんか?」
「それは……そうですね」
内心ガッツポーズを取りたくなるトワネットだった。ともかくとっかかりができたことを喜ぶ。調子に乗って彼女は言う。
「私達も踊りに行きませんか? きっと楽しいわ」
「いえ、私は遠慮しておきます。そろそろ帰るところだったので」
「そうですか……ではまた今度」
トワネットは肩を落とすがまた会えると思えばこの程度ではへこたれなかった。アルデリヒドを見送って自分も用がなくなった宮殿を後にする。
まずは親交を持つことができた。全てはこれからだ、トワネットは頑張ろうと決意する。そんな努力も全て水の泡と消えるとも知らず……。
「ニャック、貴女がこういう派手なドレスを着るとは……」
あくる日、宮殿の社交界でアルデリヒドはトワネットの格好を指して言った。彼女は極彩色のカラフルなドレスに身を包んでいた。つい自分のセンスで選んでしまったが、もっとニャックらしく地味なものにしてくるべきだったかと内心反省するのだった。
「似合わないわよね……」
「いや、意外だっただけで綺麗ですよ」
アルデリヒドは褒める。するとトワネットは気を良くした。
「そ、そう? 貴方もいつも素敵よアルデリヒド。それにしても今日も一人だったわね。貴方なら女の子をとっかえひっかえしてても良さそうなのに」
「貴女も人が悪い。私はそういったことは好みません」
それを聞いてホッとするトワネット。アルデリヒドに他の女性の影がないようなら自分にチャンスがあると考えた。しかし彼はこう言葉を続けた。
「私は女性とは付き合いません」
それって私とも? トワネットは焦って直接聞こうとする口を抑える。だが代わりにずっと前から聞こうとしていたことを口にしていた。
「トワネットと婚約破棄したことと関係あるのかしら。どうしてしたの? 婚約破棄」
「それは……」
アルデリヒドは言葉を詰まらせる。対してトワネットは畳みかける。
「いや、あの子の友人だからといって責めているわけじゃないの。純粋な興味から聞いているの。どうなんです?」
「トワネットは……いつも煌めいていて、私にはもったいない女性だった」
アルデリヒドは絞り出すような声でようやく言った。彼が自分のことをそんな風に見ていたと知ってトワネットは顔を赤らめる。だが考え直して追及に戻った。
「それなら何故、婚約破棄を?」
「……もう言うしかないか。私は……」
アルデリヒドはゆっくり唾を飲み込んでから、衝撃の事実を語った。
「実は男しか愛せないんだ」
新連載です。よろしくお願いします。
次回「性転換の魔法」