#000 プロローグ
とあるシステム会社の事務所。
そこにはスーツ姿の男が二人肩を並べていた。
一人の男の名は佐竹社。
つい最近アラサーの仲間入りを果たした。
外見に特筆すべき点はない。強いて言えば、第一印象で嫌悪感を抱かれない程度に小綺麗にしているくらいか。つまり普通。
仲間内からはその働きっぷりと名前をもじって社竹と呼ばれていたりする。
ちなみに独身で彼女もいない。もっと言えば女っ気もない。
そしてもう一人の男の名は戸塚光久。
歳は40半ばになるが、その姿は若々しい。
余分な肉のついていないすらっとした高身長と、爽やかだが深みのある顔立ちは、どこかのファッション雑誌の表紙を飾ったことがあると言われても不思議はない。
彼の左手の薬指には結婚指輪が輝いており、ミツヒサとそれなりに親しい人は皆、美人な年下のお嫁さんを持つ愛妻家という認識だ。
そんなある意味対称的な二人は、気怠そうな表情を浮かべながら絶賛仕事中。
「トツカさん」
「どうした?」
「二人っきりですね」
「嬉しいか?」
「相手が男じゃなければ」
「だろうな」
ヤシロとミツヒサは軽口を叩きあう。
その姿は、昔から仲の良い先輩後輩のようだ。
だが実を言うと、彼らの付き合いはそれほど長くはない。まだ半年程度だが、何となくお互いに馬が合い今に至る。
そもそも彼らは別々の会社に所属している。プロジェクト毎に適性のある個人をかき集めてチームを作ることが多いIT業界では、同業他社と一緒に仕事をするのは珍しくなく、彼らもまたそういう関係だ。
さらに言えば、二人とも今いる事務所の会社に所属していない。
本来はこの場にもう一人、この会社に所属しているプロジェクトの管理者がいる。
その管理者はヤマウチという男なのだが、今頃トイレの住人となっている。先ほどヤシロが用を足しに行ったときに確認してきた。
だがミツヒサもヤシロも、ヤマウチのその行為を咎めたりはしない。
仕事の役割的な事だったり、会社同士の力関係だったりはもちろんのこと。
一応プロジェクトのトップという立場にいるため、その責任の重さを感じてお腹の調子が悪い可能性が無いとも限らない。
そして何より、彼がこの場にいないほうがミツヒサもヤシロも仕事が捗る。それが何故かはご想像にお任せする。
「でも大晦日の夜に誰かと一緒にいる、というのは久しぶりですね」
「嬉しいか?」
「相手が男じゃなければもっと」
「……ちょっとは嬉しいんだな」
シャチクと呼ばれるヤシロでも、さすがに大晦日の夜に事務所で仕事をするのは初めてだった。仲間がいるというだけで心強く感じる。
雑談に興じながらも、ヤシロとミツヒサはその手を休めることはない。
作業内容はアプリケーションの仕様追加。
元旦から本格稼働するアプリで事前にリリース済みだったのだが、ヤマウチが隠していた追加仕様が仕事納めの日に発覚。そこからミツヒサとヤシロが突貫対応してなんやかんやと大晦日。
「――っと……。修正終わったんでリリースしちゃいましょうか」
「テストは?」
「終わってます」
「了解。リリースはこっちでやっておくから、サタケはちょっと休憩してていいよ」
「ありがとうございます」
「その代わり……」
「あいさー」
ヤシロは深く息を吐き出し、凝り固まった身体を伸ばしながら席を立つ。
「ふぅ……、なんとか終わったー……」
トイレで独り言を呟いてから再び席に戻り、ミツヒサと共にリリースしたアプリの動作確認を行っていると、ヤマウチが戻ってくる。
「いやぁ~、二人ともお疲れさん」
「「お疲れ様です」」
「あとどれくらいで終わりそう?」
「10分もあれば」
「りょ~かい。なんとか間に合ったねぇ~」
そう言ってスマホをいじり出すヤマウチ。
どうやら誰でもできるテストでさえ手伝ってはくれないらしい。二人としても今更だったので特に何か思うこともなかったが。
◇◇◇
すべての作業を終えて解放された二人は、戸締り中のヤマウチに挨拶をして事務所を出る。
時計を見れば、もうすぐ今年が終わろうとしていた。
「これでようやく家族の元へ帰れる……」
「羨ましいですね。年下で美人な奥さんが待っている家に帰れるのは……」
「だろう?」
「しかも可愛い娘さんたちもいるなんて」
仕事から解放されたミツヒサは、夜分遅くにも関わらず明らかにテンションが高く、疲れていると思われるのに足取りは軽い。
ヤシロとは対称的だ。
「まぁなんだ。私も妻と出会ったのは30過ぎてからだ。サタケもあきらめるのはまだ早い」
「そんなもんですかねぇ……、何か出会うためのアドバイスとかないんですか?」
「とりあえずサタケはプライベートを確保することから始めるべきじゃないか? 働きすぎだろ」
「……おっしゃる通りで」
ヤシロは己の生活を振り返る。
平日は朝から晩まで仕事に追われ、一人暮らしのアパートには風呂と寝に帰るだけだ。土日は次の週のコンディション調整のためのインターバルでしかなく、休むことしかしていない。
これのどこに出会うタイミングがあるというのか。
「そういえば、知り合いの男の子にモテモテな子がいるっておっしゃってたじゃないですか」
「…………」
「トツカさん?」
「…………」
「例の娘さんたちの大好きな子ですよ?」
「それを言うな」
「すんません」
「ったく……」
以前ミツヒサが愚痴っていた話から仕入れた情報だ。
娘さんたちと非常に親しい男の子のことが父親として気になるようだが、その男の子のこともミツヒサ自身が気に入っているようなので、なんとも複雑な心情らしい。
「で、その子は何が魅力的でモテるんですかね?」
「まぁアイツは色々とおかしいが……」
「おかしいんですか……?」
「うん、おかしい。小さいころから妙に賢かったり、察しが良かったり、聞き分けが良かったり、英語ペラペラだったり……」
ミツヒサの親?バカともとれる自慢が続く。
「そういうわけでアイツは参考にならん」
「さんざん列挙しておいてですね……」
「まぁ、焦るなってことだ。体調管理と人間関係に気を付けていれば、いつかサタケも女神様に出会えるさ」
「他人事ですね」
「他人事だからね」
カラカラと笑い合いあっていると、やがて駅の改札前にたどり着く。
「今までお世話になりました」
「いや、こちらこそ。いろいろと助かったよ」
「またいつかご一緒する機会があれば」
「あぁ、そのときは」
ミツヒサとヤシロはがっちりと握手して、互いの健闘を称え合う。
二人とも仕事の契約は今月末まで。つまり今日限りでヤシロとミツヒサはチームから抜け、来月からはそれぞれ新たなプロジェクトへと参加することになるだろう。
最後の最後まで仕事漬けだったが、社会人にとってはよくあることだ。
「では良いお年を」
「良いお年を」
二人は年末恒例の挨拶を交わし、それぞれの帰路に就いた。
30分ほどぼーっと電車に揺られていると、ようやく自宅最寄り駅に着く。
ヤシロがスマホを確認すると、ちょうど日付が変わるタイミングだった。
「女神様ねぇ……」
ヤシロの新年初呟きは、どこからか聞こえて来る除夜の鐘の音にかき消されていった。
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