僕が尊敬していた人は――
「今まで隠してきたんじゃがな、そろそろ話さなければと思ってのぅ」
そう言って指さしたのは、じいちゃんの部屋に飾ってあった『龍の写真を本物のように書いた絵』だ。
それを指さすってことは、その『絵』は絵じゃなくて――。
「『写真』だったってこと!? しかもじいちゃんが撮った!?」
「そうなるのぅ」
なんてことだ!
僕は思わず手に持っていたカメラを投げて天を仰ぎそうになる。
危ないから置いておこう、本当に壊してしまいそうだ。
「僕が尊敬する写真家、『小宮 龍郎』さんが僕のじいちゃんだったなんて⋯⋯恐れ多くてじいちゃんなんて呼べないよ!」
「そんなに恐縮せんでもよい。ワシにとって龍希は可愛い孫に変わりないからのぅ」
「すごい人の孫だったってことにも驚くよ⋯⋯というか今までよく隠し通せてたね。じいちゃんたちの隠し方が凄すぎるのか⋯⋯いや、僕が鈍感すぎた?」
「どっちもじゃろ」
そう言ってじいちゃんは笑うが、僕はさっきから喜びと驚きで頭がおかしくなりそうだ
この写真は『始めて人間が龍の姿を記録した歴史的な写真』で、僕はずっとその写真を写して描いた絵だと聞かされていたから写真と知って驚愕も驚愕。顎が外れそうだ。
確かに小宮さんは素性を全く明かさないし、名前だって本名なのか偽名なのか不明。
龍のように謎が多く、世界で一番龍の写真を撮っているのが「小宮 龍朗」という人物。
僕が最も尊敬し、憧れている写真家だ。
「ここで一つ、ワシがなぜ今まで黙っていたのか。なぜ今、龍希に話したのか、話をしても良いかのぅ」
「もちろんいいよ! 僕も聞きたいこと沢山あるから」
じいちゃんは「昔話は老人の特権じゃよ」と言い、懐かしむように語りだした。
「ワシの息子、龍希の父さん、龍司じゃな。アイツは全く写真に興味を示さんくてのぅ。龍の魅力、写真の魅力すらわからないまま育ったんじゃよ」
確かに父さんは全く龍に、写真に興味がない。
僕が中学生になって写真部に入るって言ったときは「やめとけ」って言われて結局入れなかったし。
だから安いデジカメでひたすら撮り続けて、コンクールに送り続けた。
まぐれかもしれないけれど、中学三年生で入賞できた写真も「なにがいいのか俺にはさっぱりだ。まぁ程々にな」と、言われる始末。
「でものぅ、それはワシのせいでもあるんじゃよ。ワシは龍を追いかけ、いつ死んでもおかしくない『来宝山』に行くし、龍司からすればたまにしか会えない父親だったからのぅ」
龍は未だ謎多き生命体であり、気まぐれに災害を起こす、神に近い存在だ。
その龍の写真、または動画。龍と出くわしたときの体験談などを学者に送り、そこから得た情報で生態を分析している。
――いずれ龍を討つためには、情報が必要。
だが龍に会うこと、龍を撮ることは、非常に困難だ。
龍が山頂に出現する『来宝山』は標高六千二百八十メートルにも及び、一般人が登頂するのは困難を極める。
来宝山付近は常に天気が乱れ狂い、山頂に近付けば近付くほど大嵐。それに加え高山病のリスクもある。
苦労とリスクを背負い、山頂に行ったとしても龍に会える頻度はせいぜい二ヶ月に一回程度。
龍が山頂に顔を出すタイミングは不明、見られた最長記録は約二分だ。
「可愛いわが子を危険な道に歩ませたくない。龍司なりの親心というやつじゃよ。だから龍希が産まれたとき、龍司と約束したんじゃ」
リスクだらけの来宝山以外で龍に出会うことは限りなく少ない。
もし来宝山以外で龍と出会うとすれば、それは災害を意味する。
龍が災害をおこしにやってくるときは、三十秒も経たずに去ってしまうため、その姿を捉えることは困難。
「『龍希の夢が決まるまで、写真家であることを隠してくれ』ってのぅ」
だが龍の写真、動画はとても高値で売れる。
龍の写真は一枚一万円。動画は十秒あたり十万円。
これに加え、設定などを正しく調節し、龍の細部まで細かく見ることができるよう撮られた写真の場合、一枚五十万円の値がつくこともある。
連写した場合、僕の一眼レフなら早く撮れるモードで一秒約八枚。
最低でも三十秒は出会える来宝山ならば、二百四十枚は撮れる計算になる。
ブレや準備、写っていない場合も考慮しても、最低百枚は撮れるだろう。
そして動画。こちらも準備を考えて十五秒撮れたとする。
とすれば、一度出会えば写真だけで『約百万円』。
動画は『十五万円』とすれば、合計『約百十五万円』が手に入る計算になる。
これは最低限度の話であって、龍が長く姿を現せば現すほど、金が稼げるというわけだ。
「じいちゃん、それって――」
龍に会えば会うほど儲けが出る。
龍と会えず、天候や高山病――龍に襲われて死んでしまえば、何も残らない。
龍を追うことは、まさに博打。男のロマン。
運と根気と勇気がいることだが、一度に入る金の多さに憧れる人は多い。
「龍希は嘘をつけないいい子じゃからなぁ。⋯⋯龍を追う準備をしていることくらい、じいちゃんにも見抜ける」
いつも柔らかい目をしているじいちゃんの目が鋭くなり、僕を見透かして確信をついてくる。
――そうか、全部バレていたのか。
「僕の夢が龍を追うこと、『龍撮り』だってこと。じいちゃんだからわかったのかな」
龍にも写真にも興味が無い父さんじゃなくて、龍を追っていたじいちゃんだから。
「そうかもしれんのぅ」
ずっと隠してるつもりだった将来の夢をこうもあっさり言い当てられると笑えてくるな。
「どの辺りで気付いてたの?」
この一眼レフが龍を撮るのに最適な機種だったから? お年玉を微妙な額だけ貯めてたから? 写真部に入りたいと言ったから? それとも小学四年生の時、デジカメが欲しいってクリスマスプレゼントにねだったから? それとも――。
「――龍希が撮る写真はいつも動物ばかり。入賞した写真もそうだったじゃろ。人物や風景は一切撮らず、優雅に飛ぶトンビや蝶々ばかり撮っておった。晴れの日より曇りや雨の方が写真を撮りに行きたがった。全て龍を撮る練習――、違うか?」
っ、そんなところから。自分でも気が付かなかった。
⋯⋯そうか、無意識にそういう写真しか撮ってなかったのか。
「そうだね、確かにそうだ。⋯⋯ねぇじいちゃん。じいちゃんは龍撮りになること、反対する?」
きっとどれだけ大変なことか、一番よく知っている人物のはずなんだ。
じいちゃんが僕には無理だと言ったらそれまでのこと。⋯⋯潔く受け止めて諦めるしかない。
そう思っていたら、じいちゃんはさっきみたいに笑って、
「反対なんてするわけがないじゃろ」
って。そう言ったんだ。
じいちゃんは唖然とする僕の肩に手を置き、
「龍希にはじいちゃんの血が入っとる。龍を撮る意思もじいちゃんと一緒じゃ。確かに来宝山は危ないところじゃし、龍に噛まれて死んでいった仲間もおる。でもな、ちゃんと知識があれば生きて帰ってこれる。じいちゃんが保証する」
と、念を押してくれた。
否定されると思い込んでいた僕は、目に涙が浮かび、自分は恵まれていると心の底から思った。
じいちゃんは僕を抱きしめ、頭を撫でてくれる。じいちゃんの服から香る線香の匂いが、妙に落ち着いた。
僕は涙を拭ってじいちゃんから離れる。
「本気で龍を追うってならじいちゃんがしっかり指導してやる。知ってることは全部龍希に託そう。ただじいちゃんは龍に関することしか教えられん。もし普通の写真家になりたいって言うなら別をあたって――」
「じいちゃん」
じいちゃんの言葉を遮って話す。
僕の覚悟は今、固く、決まったから。
「僕は本気だよ。僕はじいちゃんの血が多く入ってるみたいなんだ。――龍しか興味が無い」
この部屋でこの絵、いや、写真を見てからずっと。僕は龍の虜だったんだ。
今は本気で目指す人が少ないから、競争率は全盛期よりだいぶ下がってる。写真の相場も全盛期より上がってるんだ。
「だからじいちゃん。僕を立派な龍撮りにしてください。お願いします!」
いつもどこか抜けてる僕が真剣な表情で頼んだからか、じいちゃんは「うむ」と言い、
「わかった。一流の龍撮りにしてやる」
と、口調は厳しくとも優しい顔で言ってくれた。