さいごの願い
だめだ。
ダメージが通っている感覚が無い。
人龍は見かけを裏切る速度で攻撃し、時折火炎や氷雪の龍の息を巧みに織り交ぜながら牽制や防御を行う。
それらは問題ではない。
なぜなら、間合いの詰め方はダンゲルグの、龍の息の使い方はイオナの、攻撃のタイミングはウィルのそれを模倣したものに過ぎないからだ。
連中は洗脳と同時に記憶を模写しているとダンゲルグは言っていたが、この人龍にまでそれを施していたとは少々浅薄であると思う。
あとはその巨体からくる距離感の狂いにさえ気をつければ、反撃も防御も容易い。
現に付けた傷は百を超えた。
が、巨体に対して自分の刀では小さすぎる。しかも、出血も痛がる素振りも見せないので切りつける度に不安が募り、すぐに焦燥と変わり、体力を摩耗していく。
『どうしたのですか? こちらは何の損害も受けていませんよ?』
声音からもダメージは感じられず、歯噛みするばかり。
『ドラガヌア王家に伝わる龍の力は、龍族の神から受け継いだもの。でしたねぇ』
人龍、ザンガが挑発的に話しかけてくる。
『その強大な力はウィルを通じてこのからだにも注がれています』
「それが、十七年前にウィルをドラガヌアに捨てた本意か」
『当たり前です。結果としてウィルの肉体では耐えきれず、十年ほどしか生きられませんでしたが、死後もその力は宿り続けた。僥倖に心が躍りましたよ』
「十二年だ」
『は?』
「ウィルは十二で死んだ。覚えておけ」
『そんなこと、どうでもいいでしょう。現にアレはこうして私の役に立っている。それ以上の情報など不要です』
どこまでも侮辱するのか。
憎むな。あいつはただ屠るだけの相手。
どうする。
こちらも龍に変化するべきか。
いや、小回りのきかない龍の巨体では、却って的になる。それに、剣術にばかり時間を費やしていたせいで龍の姿での立ち回りに不安がある。
ならば、こちらの姿で出力を上げるしかない。
ガルザードは目を閉じ、龍の力を練り始める。
『おや。もう降参ですか? 無理もありません。が、全てを神の御前に差し出す以上、あなたの命も何もかもを塵芥と化すことに変わりはありませんがね』
喜々として語るザンガの存在など、欠片ほどに押し込めて。
意識しろ。
肉体を巡る、イオナと戦った時に会得した龍の力の使い方を。
龍の力は心の力。
心の力はアクセル・ギアの力。
不安や迷いや憎悪さえも心に一度受け入れて全身に循環させる。
納刀し、ギアへ込める思いに龍の力も込める。
「おおおおおっ!」
瞬間、懐にしまってあるウィルのギアが輝く。
「手伝って、くれるのか」
人龍を産み出すことは彼も納得していた、とダンゲルグは言ったが、それでも。
ウィルのギアを取り出し、自身のギアと重ね、思いを込める。
「うおあああああああっ!」
ふたつのギアがふたりの思いを受けてまばゆく輝く。
巨大な相手にはそれに見合った武器が必要。生み出すのは刀。それも、あの人龍を両断できるほどに巨大なひと振りを。
『では試してみましょうか。神由来の力と、人族の英知、どちらが上回るかを!』
ガルザードが放つ光に危険なものを感じたのか、それとも決着を付けようとしたのかは分からないが、ザンガは人龍の口から自身をも呑み込んでしまいそうな程に巨大な火球を一瞬で生みだし、放つ。
見た目にはゆっくりと、だか実際は獲物に襲いかかる猛禽に等しい速度でガルザードへ向かった火球は、その熱波で肌が焦げそうな距離に差し掛かる。刹那、筋状の光によって下から上へと両断された。
『な、なにが起きた!』
ぱくりと割り開かれた火球はウィルのギアから放出される光によって支えられ、その空間に留まる。
開かれた向こう側には、あからさまに狼狽する人龍の姿がある。
「これで、終わりだ」
火球を割り開いた筋状の光の根元には、切っ先を上に掲げるガルザードの姿が。
『こ、こんな、こんな出力、龍族に出せるはずがない!』
「出来るさ。ウィルが力を貸してくれるからな」
『あれは、あんなものはただのヒトだ! ただ人族の模倣をするだけの肉の器だ! こんな出力、いままで一度も!』
「人族の心の力は龍族を遙かに凌ぐ。このギアを作ってくれた恩人が言っていたし、オレもウィルの生き様と死に様を見てはっきりと実感した。
お前が操ってるそれは、ふたつの種族を混ぜ合わせただけの器。心の力なんてどこにもない。人族のお前ひとりの力で、そんなもので俺たちに勝てるか!」
天まで伸びていた光の筋が、長さはそのままに厚みを鋭さを増し、大太刀と呼べるほどに変化する。
これで両断する。
どれだけ巨大であろうと、どこまで逃げようと、絶対にあの人龍を断ち切る。
柄を両手で握りしめ、大きく振りかぶる。
無表情だと思っていた人龍の顔が僅かに歪む。
『勝つさ! 勝たねば全てを神の御前に捧げられない!』
人龍の口が開き、雹が凄まじい密度と量でまき散らされる。
逃げ場の無い高密度の面攻撃にガルザードは短く息を吐く。
「ふっ!」
直後ガルザードの姿はかき消える。次にザンガがガルザードを捕捉した場所は、人龍の腹の前。ちょうどヒトと龍の継ぎ目のあたり。背後には割り開かれた火球。それもウィルのギアから伸びる光がまだ結ばれている。
距離は十分にあるのに、その熱波はガルザードの背中をちりちりと炙る。
『くっ?!』
反応できただけでも、体術の素人であるザンガには上出来だと言える。
指先に劣るガルザードの頭を握りつぶそうと両手を伸ばす。が、その巨体故にとっさの挙動も当然のように遅れる。
その間に振りかぶっていた光の大太刀を横に。
「ああああああっ!」
切っ先は地平の彼方まで届いた光の大太刀を、渾身の思いを込めて凪ぐ。
その長大さを補って余りある速度は、爽快感さえ伴って人龍の腰へと向かう。
『させるかああぁっ!』
ようやく人龍の両手がガルザードの頭部へ迫る。刀身はまだ人龍に届いていない。両手が作る影がガルザードをすっぽり覆う。光の大太刀の速度がさらにあがる。けれど、どうがんばっても人龍のほうが速い。
構うものか。
相打ちになろうと、頭が潰されようと、この大太刀を振り抜くことだけに集中、
『ああもう、またそういうことをやる!』
女の声。次いで文字通り間一髪の距離で人龍の両手が爆発。苦悶の咆哮を挙げながら人龍がのけぞった。
『がああっ?!』
『これっきりだからね』
ガルザードの鎧がメディナの声で言う。
いまの爆発はきっと彼女が約束通り援護してくれたのだ。
「ありがとうございます」
『ほら、はやくやっちゃう!』
「はい!」
それまでの勢いそのままに光の大太刀は人龍の腰を捉え、勢いは減衰することもなく一気にヘソのあたりまで切り進む。
『こんなもので! やられるものか!』
人龍が動く。ガルザードではなく、もうヘソを通り過ぎた刃そのものを両手で掴み、抜き出そうとする。
ならば都合がいい。光の刃は人龍に残したまま、その発振源である自分の刀だけを分離させて一気に後方へ下がる。途中、未だ燃えさかる火球たちの間を通り抜け、十分に距離を取ってからウィルのギアに頼み事をする。
「返すぞ!」
ずっとウィルのギアからの光で支えられていた半球状の炎は、その光が導くまま人龍の両側に回り込む。
しまった、とザンガがうめく。人龍が抜き取ろうとしていた光の刃はもうすでになく、両手はただ虚空を掴んでいた。
さらに両側から火球の断面が迫る。
『こんな、こんなことが!』
人龍が、両手を伸ばそうと、
『おお、おおおっ!』
ばぐんっ! と火球が人龍を閉じ込める。
『があああっ!』
聞きたくも無いザンガの悲鳴が森に山脈に反響する。
火球を防ごうとした両手で頭を抱え、全身を超高熱の炎に包まれながらも人龍はその中でもがき、のたうち回る。
当然どこに手を伸ばしても何も掴むことはできず、それでも火球の中から逃げ出そうと、千切れかけた下半身の龍の尾をでたらめに振り回して上昇しようとする。
『おおおおっ! こんな、こんな炎になどおおっ!』
ついに火球の表面にその巨大な両手がつく。掌がじゅうじゅうと煙を上げているが構わず力を込めて脱出しようと試みる。しかし。
『な、なぜだ! まだ崩落するような損傷じゃない!』
ぼろぼろと安物の粘土細工のように指が手首が崩壊し、火球の炎に呑み込まれて蒸発していく。
「人族の強さは心の強さだ。ウィルにはそれがあった。お前にはそれが無い。お前の中のウィルは何も教えてくれなかったんだな」
ガルザードの言葉などまるで耳に届いていないザンガは、ただ恥も外聞も無く喚く。
『アブリエータ、アブリエータ! どこにいるんだ! 教えてくれ! 助けてくれ! このままじゃ、全身が焼き尽くされる! 全てを神の御前に捧げることが、出来なくなってしまう!』
ガルザードが知らない名前を絶叫するザンガに、憐憫の気持ちがむくりと起き上がる。
こいつがやったことを思い出せ。
憐憫をねじ伏せようとするのは、さらに暗い感情。
やめろ。これは復讐じゃない。
かぶりを振ってふたつの暗い感情を振り払う。
その視界の隅で、二体の龍が戦っている。二体とも掌に隠れるほどの大きさなのに妹の蒼銀色の鱗は美しく、師の濃緑色の鱗は力強く輝いている。
絡まり、もつれ合いながら戦う龍は互いに深手を負い、その美しい鱗を赤く染めている。
ダンゲルグが大きく口を開ける。たぶん初めて見る彼の火の息はサイズこそ小さいが、まばゆく輝き、その火力の高さを如実に伝えてくる。
がんばれ。
一瞬の隙を突いてイオナが口を大きく開く。直後、先ほどガルザードが放ったものよりも二回りは大きな火球を一瞬で形成し、ダンゲルグへ放つ。
火球はダンゲルグにのしかかり、そのまま圧し潰すように地面へと落とす。火球が地面に触れた瞬間、空気ごと揺さぶられるような大爆発が起こった。
爆発の後の静寂を破ったのは、ザンガだった。
『あの、役立たずが! 最後まで逆らって、挙げ句あんな小娘に殺されて!』
両腕と尾の半分以上を失いながらも、まだ人龍は火球の中でもがき、ザンガは毒づくことを止めなかった。
「お前も、もう終わりだ」
『ふざけるな! どれだけの時間を費やしたと思ってるんだ!』
「知るか、そんなこと」
火球の中からの罵声にうんざりし、同時に自分が未熟だからさきほどのイオナのように一瞬で決着を付けられないのだと思い直し、刀を構える。
構えた拍子にウィルのギアがぴくりと動く。
「そうだな、ウィル」
ドラガヌアに生まれた者にとって、人族への殺傷は禁忌に等しい。
あそこで罵声を浴びせ続けている者はもはや人族ですらない、というのはどう考えても方便でしかない。
だが、とどめを刺してやれるのは自分だけだ。
「おおおおおおっ!」
刀を高らかに掲げ、ギアを通じて心の力を具現化する。
もう一度、天を突くほどにまっすぐ伸びた光の刃を、ガルザードは人龍の脳天へと振り下ろす。
すでに両腕を失い、火球の中に閉じ込められた人龍に光の刃を防御する術は存在しない。
『あああああああっ!』
ザンガの絶叫と共に人龍は縦に両断されていく。最初の一撃で半分以上が切り裂かれていた腰にまで届いた瞬間、人龍の右上半身は、ぼろりと剥がれるように火球の中心部へと落下し、その炎により消し炭へと姿を変える。
ガルザードはそのまま一気に光の刃を振り下ろす。あれだけ長大だった人龍の下半身は炎に焼かれ、人間で言えば太もものあたりまで焼失していた。振り抜いた結果、右下半身も同じく炎に焼き尽くされ、人龍のからだは左半身だけが残った。
「これで、終わりだ!」
光の刃をひと振りの刀の大きさまで凝縮させ、ガルザードはもう一度全身の龍の力を練り上げる。
身体を巡る龍の力と、刀から伝わる人族の心。
ふたつを込め、ガルザードは人龍を、ザンガを見据える。
ちり、と束から声のようなものが聞こえた。
「……分かった。いままで力を貸してくれてありがとう、ウィル」
『や、止めろ! 私にはまだやることがあるんだ!』
ここまでやっておいての命乞いなど耳も貸さず、切っ先を前にガルザードは加速する。
変化もしていないのに、その姿は龍と見まがうほどに美しく、力強かった。
「終わりだ!」
躊躇なく火球に飛び込み、人龍の左胸に刃を突き入れる。それでも勢いは止まらず、ずぶりと人龍の内部へと侵入する。
ウィルのギアが教えてくれた。
人龍の胸板を突き抜けた先、心臓があるあたりに肉の触手を全身に巻き付けたザンガがいると。
最後に一瞬見えたザンガの表情は、憤怒と恐怖が激しく入り交じっていた。
腕を交差させることも出来ず、ザンガの胸は光の刃に貫かれた。
「全てを、神の御前に……捧げるまでは……っ!」
「おおおっ!」
鍔がザンガの薄い胸板にめり込んでもなおガルザードは加速を止めない。勢いはぶちぶちと肉の触手を引きちぎり、人龍の背中をこじ開け、火球の外に飛び出てようやく、停止した。
荒い呼吸で刀を引き抜き、光の刃を消し、ザンガのからだを抱きしめるように支える。
「ウィルの最後の願いだ。お前をせめて人の姿で死なせてやってくれと、遺してくれたギアが囁いたんだ」
「ウィル、が……?」
「生き返らせてくれたこと、思いっきりからだを動かせたことは、感謝していた。そういう思いが、ギアに染み込んでオレに力を貸したんだと思う」
「はは……、ヒトに、救われるだなんて……っ」
どこにそんな力が残っていたのか。ザンガはガルザードを蹴り飛ばし、まだ燃え続ける火球の中へ身を投じた。
「やめろ!」
龍の力も体力すらも使い果たしたガルザードも、手を伸ばすことすらできず、同じく火球へと落下していく。
ウィルの最後の願いも叶えられないのか、と悔やむその眼前を、焦げ茶色の龍が横切る。
「お待たせ」
火球に落ちる寸前、メディナの手はザンガのからだを掴み、ガルザードを背中に乗せ、ゆっくりと地表へと降りていく。
これで、終わりなのだろうか。
だがもう、自分になにかするだけの力は残っていない。
メディナの背中に、なぜか懐かしいぬくもりを感じながら、ガルザードは意識を失った。




