妹と義兄と
「おおおおおおっ!」
血に、肉に、骨に。
意識に、感情に、精神に。
龍の力は心の力。
己に与えられた龍の力を滾らせ、漲らせる。
それができた刹那、ふたりだけの光も音も無い世界が粉砕され、始めて世界に色が付いたように輝き出す。
世界のまぶしさに笑顔が止まらない。
「行くぞ! イオナ!」
妹も満面の笑みで返してくれる。
「来い!」
百は優に超えた打ち合いが止まり、どちらからともなく距離を取り、構え直す。距離は大股で数えて十歩ほど。
こちらの背後には、ドアと壁が、イオナのすぐ後ろには窓枠だけになった窓がある。逆光気味で少々姿を捕らえづらい。が、気合いでフォローする。
お互いボロボロだ。
あんなに綺麗だったイオナの髪もからだも衣服も、汗と埃と血とで汚れ、あちこち赤く滲んだり激しく出血している。
それはこちらも同じで、右目はうまく開かないし、口の中は血の味しかしない。
楽しい。
全力を、死力を尽くして戦うことが、こんなにも。
でも、この楽しい時間も、あと数合で終わる。
一瞬の静寂は、見守るメディナでさえ息を詰まらせた。
示し合わせたように、ふたりの静がいま、動に、
「止めろイオナ!」
枠だけになった窓から何かが飛び込んで叫んだ。ウィルだ。
「いやよ。いまいいところなんだから邪魔しないで」
「だめだ。それ以上戦ったらお前がお前でなくなる」
「は? あたしはあたしよ? あんたなんかに何が分かるっていうのよ」
「兄の言うことが聞けないのか!」
その一言は、イオナを豹変させるのに十分な威力を持っていた。
「あ、兄……? あたしのお兄ちゃんは、兄上は、ウィルで、ウィルは……っ!」
頭を押さえ、ふらつきながら呻きながらガルザードとウィルを何度も見比べる。
「ガルザードは、殺す、でも、お兄ちゃんだから、殺すのは、殺さないと、ダメで、あたしは、あたしは……っ!」
「イオナ! しっかりしろ!」
「イオナ! ガルザードは敵だ!」
ふたりの兄の言葉にイオナはついに、焼け焦げた天井を仰ぎ、吼えた。
「あああああああああああっ!」
ぎっ、と砲弾のような強い視線をガルザードに向け、四肢に力を溜める。
「イオナ!」
「あたしのなかに、入ってくるなぁああああっ!」
消えた。はやい。けど見えている。
分かっているよ、イオナ。
お前の最高速度はもっともっと速いってことを。
だから。
束を右肩の上に、右足を引いて下半身に力を溜め込む。こんな風になってしまったのが残念だがこれで決着を付ける。
間合いに入る。
「はああああああっ!」
鋭く、一点のみを狙う。
イオナからの攻撃は、無かった。
「ありがとう……、お兄ちゃん……っ」
ぱぁん、とイオナの頭部が弾けた。
* * *
「お疲れ」
全てが終わったことを見届けたメディナがガルザードに歩み寄るが、彼からの視線を受けて瓦礫だらけの床に横たわるイオナの横に膝をついて座る。
「うん。うまくやったじゃない」
「イオナが、うまく導いてくれました」
メディナは脱力したイオナの右腕を持ち上げ、手首に親指を当て、ガルザードに笑いかける。
「ちゃんと、ティアラだけ破壊されてる。傷は……いま治すからちょっと待って」
ふうううううっ、と少し長めに治癒の息を吹いてイオナの全身を包み込む。
「おい、イオナに、なにをした!」
狼狽しながらも割って入ったウィルに、ガルザードが言う。
「お前たちがイオナに付けていたティアラを、破壊しただけだ」
「なんでそんなことをした! イオナは、ぼくの!」
「オレの妹だ。ウィル、お前とは一緒には暮らしたが、妹をやった覚えは無いし、こんな風に人格を歪められて黙っていられるか」
「お前はぼくが殺すんだ! だからイオナはぼくのものだ!」
まるで理由になっていない。
イオナもそうだったことを鑑みれば、きっとウィルもアクセル・ギアによる洗脳を受けて思考や言動が混乱しているのだろう。
そして、メディナの里で殴った時に感じた違和感。
きっとウィルはもう。
はやくなんとかしてやりたい。
けれど、いまは。
「悪いが、いまはお前に関わっている余裕は無い。はやくイオナを、」
「……ごめん、お兄ちゃん。その前にあたし、あいつをぶん殴りたいの」
治癒の息に包まれながら、ゆっくりと上体を起こし、ちらりとガルザードに視線を送り、すぐさまウィルを睨み付ける。
「あー……、頭ぐゎんぐゎんする……」
頭に右手を当てて眉根を寄せて、左手をぐるぐると回し、威嚇する肉食獣のように牙を剥いて。
「や、やめろ! お前は切りたく無い!」
「は? あんたが? あたしを? 毎日ベッドに寝っ転がってただけのあんたが、あたしに勝てるとか、本気で言ってるの?」
「そうだ。ぼくはあのときのぼくじゃない」
「ふうん。じゃあ確かめてあげる」
くるりと頭だけを振り返ってガルザードに言う。
「いいよね、お兄ちゃん。あいつぶん殴らないと、気が済まないの」
「……」
いまイオナを引き留めているのは、右手を握るメディナだけ。ここでイオナを制止するのはもっと良くないと思い、ガルザードはひとまず静観することにした。
大丈夫だ。いまのウィルは自分と切り合えるほどの身体能力は持っている。何発かは耐えられるはず、と。
「一発だけ、だからな」
「ちょっとあんた、何言ってるのよ。妹ちゃん、からだもそうだけど、脳にめちゃくちゃ負担かかってるのよ?」
止めたのはメディナだ。
「いいんです。これは、オレたち家族の問題ですから」
きっぱりと言い切られ、メディナは渋々引き下がった。
「ありがと、お兄ちゃん」
ゆるゆると立ち上がり、おぼつかない足取りで構える。するとあれほど乱れていた体勢も呼吸も静まり、倒れる直前の彼女に戻った。
「行くから」
ふっ、とイオナの姿がかき消え、次の瞬間には激しい衝突音が部屋中に響き渡った。
ガルザードでぎりぎり見えていた速度。メディナには何が起こったのかすら分からない速度だった。
「わあああああっ!」
ウィルの左頬にめり込んだ拳は、彼の顔を大きく歪ませる。そして咆吼と共にイオナが拳を振り抜くと、天井にまで届く埃柱を上げながらウィルの顔をからだを床に叩き付けていた。
もうもうと立ちこめる煙がようやく晴れたそこには、残心を取るイオナと、圧し潰されたような状況でからだを横たえるウィルの姿があった。
「お兄ちゃんとの約束だから。この一発だけにしておいてあげる」
言い捨てて睨み付け、なぜかふいに自分の拳を見やり、呟く。
「あんた、なんでこんなに……」
その表情も声音も、ひどく心を痛めているようにガルザードは感じた。
そのことに自身も気付いたのか、慌てて首を振ってもう一度ウィルを睨み付け、未練たっぷりにガルザードに振り返って。
「あ」
踏み出した一歩目で躓き、前のめりに倒れ込んでしまう。
「イオナ!」
駆け寄り、膝を付く前に抱き上げ、ガルザードは肩を貸してやる。
「えへへ。締まらないね、これじゃ……」
照れくさそうに笑うその顔は、濃い疲労に彩られ、一刻も早い治療が必要だと分かる。
「ったく。無茶しやがって。これ以上壊れたらどうする気だ」
ガルザードではない。
「ダンゲルグ!」




