第二章 娘さんと付き合わさせて下さい 一、前フリ
「お前、先週の日曜日、娘と映画にいって来たのか?」
ギクッ。
いきなりのその言葉で、背筋が凍った。
予期していなかったその言葉は、まるで突然の雷のようでもあった。
「いや、あの、その・・・・・・」
何と答えていいのか、いまだ頭の中が混乱していた。
「何だ、言葉も出てこないようだな」
舌打ち交じりに、年配の男が言った。
「図星か。一体いつまでそうやってイソギンチャクみたいに女の尻ばかりを追いかけているんだ、お前は」
「いや、そんなことはないですよ。麗娜さんとは、真剣にお付き合いさせてもらっています」
必死で、この混乱した状況を打破しようと、頭の中を整理した。
「ったく。そんな話は訊きたくない。お前にも言ってなかったか、俺は、自分の娘を刑事なんかとは付き合わせたくない、ということを。
そりゃ、お前は、真面目で、仕事も一生懸命やる誠実な男だよ。でもな、残念だが、お前は刑事なんだよ。それに娘は、まだ二十二の大学生だ」
「どうして刑事は、駄目なんですか?」
「駄目なもんは、駄目なんだよ。危険すぎるんだ、刑事という職業は。
だから、娘には心配をかけさせたくない。わからないか。
ところで、お前と麗娜、一体いつ、何処で、どのように知り合ったというんだ?」
じゃ、自分の奥さんには、心配をかけてもいいのか、という言葉は飲み込んだ。今言うことではない。話がこじれるだけだ。
「麗娜さん、紀伊国屋書店で働いていますよね」
森川は言った。
「ああ。バイトでな」
「何度か僕の取り寄せの本を承ってもらっていたのですが、一度、手違いで、受け取りにいっても、なかったんですよね。
何でも、その時は、他の人と間違えて、連絡をしてきたみたいで。
それで麗娜さん、すっごい恐縮しちゃって、何度も謝ってくれたんです。
僕はいいですよ、気にしなくて、って言っても何度もね。だから僕、違う話をしようと思い、ちょっと緊張もあったのかな、どんな本が好きなのか、そして、自分の趣味なんかを喋り出し、挙句には自分の身分も喋り出しちゃったんです。
すると自分の父親も刑事をしていて、その名が西嶋修一だというじゃないですか。驚きましたよ。
私は、その人知っている、なぜなら僕の上司だから、ってね。
それでその日、麗娜さんがもう少し、お喋りがしたいから、バイトが終わってから、お茶でもしませんか、とそんな風に誘われたんです。
その日は非番で、こっちっも、暇してましたので」
西嶋は、苦虫を噛んだような顔を、森川に向けた。
「まったく、偶然というのか・・・・・・。こんな男に捕まりやがって、うちの娘は。
きっと、お前は、お前の方で、下心があったんだろ。正直に言ってみろ」
「いや、違います。偶然ですよ。まったくの」
地下鉄大曽根を降り、吐き出される人ごみの中からようやく二人は離れることができた。
二人して溜息が漏れた。
だがほっとする間も惜しみつつ、二人の刑事は急いで十九号線へと向かった。一人は年嵩のくたびれた紺色のスーツ。
もう一人は若い男で、新調したばかりの紺色のスーツを着こなしていた。
二人共体格は良い。若い方が、身長は高い。
「だけど車で行くのはよした方がいい、とは一体どういうことでしょうか?」
「現場を見れば、分かるさ」
西嶋は、そう呆気なく言った。
街は朝の通勤時と重なり、道行く人で込み合っていた。
若い方が交差点の信号機が変わるのを待つ間、スマホに目をやり、情報を募る。
二人は急いで現地に向かう。やはり若い方が歩くスピードも早い。
「大渋滞ですね。やはり車で来なくてよかったです」
「ああ。お蔭で地下鉄から歩かされたがな。たく、何処のどいつだ。こんな所に車を置き去りにしやがったのは」
北署の刑事捜査一課の警部補西嶋修一と巡査部長の森川陸は事件現場の交差点大曽根に来ていた。
連絡を受け、駆けつけてみると、十九号線の大曽根交差点のど真ん中にシルバーメタリックのクラウンが乗り捨てられていた。
ただでさえ代官町で事故が起きており、通行止めとなっていたのだ。そして、この車の乗り捨て。
この十九号線はまさに大混乱となっていた。
二人の刑事は、急いで現場に向かった。
西嶋は、娘を持つ家庭的な、面倒見の良い五十二歳。
相棒の森川は、つい最近二十六歳になったばかりで、結婚に憧れる素直な好青年、といったところだ。
「わかりました」
森川は言った。
「車のナンバーから持ち主が割り出されたそうです。
藪押大和三十四歳。住まいは矢田十丁目の堤防沿いのアパートで、職業はトヨタカローラの高岳店で勤務しています。所謂ディラーですね」
「会社に向かう途中だったわけだ」
西嶋は首を傾げた。
「後続車にいた二十歳のOLの証言によると、来た道を引き返し、反対方向の北に向かって、歩いていったみたいなんだよな」
「その彼女は、髪の毛を引っ張られ、暴言を吐かれた、と言っていた女性ですね」
「ああ。興奮している、というよりも怖いくらいに冷静だった、と、証言はとれている」
「ええ。ですが、一体、何の目的があって、こんなことをしたのでしょうか?」
「もしかしたら、薬をやっていたんじゃないのか」
「考えられますね。こんなことをするのは常人じゃ考えられないです」
「ああ」
西嶋は言った。
「俺はこのまま犯人と同じく、西に向かって捜査してみるよ」
「歩いていくのですか?」
「ああ。そうするしかないだろ。この混みようだ。
それに犯人の姿も、所々にある防犯カメラに映っているかもしれないぞ」
「そうですか。では、私は・・・・・・」
「ぼけっとしてんじゃないぞ。考えれば分かることだろ、ったく。
いいか、これから二手に分かれ、犯人を追うんだ。
頭を使えってんだ。調べることがあるだろ、いくらでも」
「はあ」
「はあ、じゃないぞ。先ずは犯人の職場を洗ってみろ。そこで人物像をはっきりさせてくるんだ」
この人は、ったく。
悪い人ではないのだが、説明が下手というのか、言葉足らずだ。
こっちが詳しく指示を仰げば、すぐにキレて、怒鳴る。
森川は溜息をついた。