第五章 老女監禁 一、俺は歩く
このうだるような暑い中。
田圃の続く小道を歩き、時には、山道を歩いた。
人工的な街と違い、時折自然な風が吹き、暑く火照った体を弛緩させるが、それでも長くは続かなかった。
藪押は、比較的人ごみを避け、歩いた。
そのため人は寄りつかぬが、変わりに蚊が纏わりつき、それから虫も寄ってきた。
痒くてたまらなかった。さっきから二、三か所、いや、もっと。体のあちこちを刺されたようだ。
汗が大量に出てきた。シャツがべったりと皮膚にくっつく。
だがエアコンの壊れた、まったく動かない車の中よりも幾分涼しい。外の方がましだ、そう思うことにしたのはいいが、どうやら人間の記憶なんていうものは、意外にもすっぽりと抜け落ちてしまうようで、今が地獄のような暑さだった。
暑いな、この独り言を幾度となく口にした。
ラジオは聴けなかったが、虫の鳴き声や、鳥の囀り、微風によって葉の擦れる音が耳に入り込み、それらがBGMとなり、退屈から紛れさしてくれる。
後ろから吹く風で、重い体が前へと突き動かされた。
自然の風を心地よく感じた。だが、それも長くは続かない。
大概が車の排気によって、むわっとした重い風に変わるのだから。
久しぶりに車が藪押の脇を通り過ぎていった。
周りに目を向けてみると、ポツポツと人を見かけるようになった。背後に今まで歩いてきた山が藪押の背中を見つめていた。よくぞここまで自力で歩いてきたものだ。
その後を郵便局員のバイクがけたたましいエンジン音を発し、過ぎ去っていった。
喉が渇く。もう手持ちがなかった。
二十年程前にも味わったよな。柔道の減量で。夏場の減量は汗が多量に出るが、その分水分を欲した。
あまりの脱水症状で、ランニング中、もう走れなくて、道端で倒れたことも一度や二度ではなかった。
なんか懐かしいな。あの時の苦しみが甦ってきたようで。強烈な、この殺人的な日差し。
藪押は、久しぶりに空を見上げた。暑いのもあるが、顔を上げるのはあまり賢明ではない。
何処に防犯カメラがあるか分からない、世の中だ。このように帽子を被り、俯いていることにこしたことはない。気を引き締めよう、そう思った。
日陰にいけば、少しは涼しくなるが、防犯カメラが俺を監視する。
だから、このように強烈な日差しを浴びることに耐えられなければ、俺は前へ進むことができないのだ。
もはや、日本は、いや、地球は、人間が生活できる環境ではないのかもしれない、と独り言が自然に出る。
出来るだけ、繁華街を歩くことは避けたい。人がうっとうしいのもあるが、防犯カメラにこの醜態を曝すのを避けたいからだ。
最近では民家にも、その防犯カメラが取り付けられているから気をつけなければならない。それにエアコンのあのむわっとする重い室外機の温風にも耐えられない。
汗をかき、体温が熱いため、蚊が寄ってくる。それだけじゃなく、何回もその蚊に、身体の方々を食われた。
暑さと、痒さが襲い、苛立ちが最高潮に達し、思いの外、手の甲を、血が出るくらいに掻き毟った。
手の甲がジンジンとする。丁度公園を見つけたので、そこに入り、公衆便所で取り敢えず、用を足した。
そして、手を洗う。冷やりとするこの感触に、思わず吐息が出た。しばらくはその水で赤くなった手を浸していた。
その後蛇口に口を付け、ゴクゴクと音を立てて飲んだ。カルキ臭いこの臭いも今は関係なかった。それほどまでに喉が渇いていたのだ。
まさに生き返るとは、こういうことを言うのだろう。その小さな幸せにしばらくは浸ってた。
藪押は、公園を後にした。ここで止まるわけにはいかない。俺には行くところがあるのだ。
ふとトイレの入り口にある看板を目にした。
不審者注意。不審者を見かけたら連絡を、と春日井署の電話番号が明示され、防犯カメラ作動中ということが書かれていた。
こんな所にも・・・・・・。藪押は急いで出て行った。
年々酷くなるこの猛暑。今もきっと四十度を超えていることであろう。
額に汗を垂らし、藪押は歩いた。帽子もシャツも汗で重くなってきた。今までにこれほど歩いたことがあっただろうか。藪押は後ろを振り返ることもなく、前だけを見、もくもくと歩いた。訳の分からないアドレナリンが湧いてきて、暑いことや疲労さえも感じなくなってきた。
何だか若い時に、そう高校時代に戻ったかのように疲れを感じない。あの時のように理解できないことは、自分の足で調べてみる。納得できるまで、それに向かって歩く、そんな感じだ。
何処までも、何処までも歩き、それで自分を納得させるように。身体がその答えを欲している。
だから俺は先に進むのだ。もう今までの人生は要らない。
そう、今までのまやかしのこの人生。これからは真実、俺のほしいのは真実だけだ。
だから、俺は歩く。




