赤蜻蛉見て
夏の終わりのことだった。
車で、通りかかった川沿に、
赤蜻蛉が飛んでいたので、
私はそこを、しばらく走って
みることにした。
何度か橋を渡り、何度か峠を越えた。
つくつく法師の鳴き声が、
四方の山々から、緩く聞こえ、
いつしか、田んぼに囲まれた、
田舎道にさしかかってきた。
赤蜻蛉は、その間にも、
あちこちに飛んでいて、
車が進めば進ほど、
空にたくさん群がっていった。
夕焼け小焼けの赤とんぼ……
負われて見たのはいつの日か……
ふと、ありきたりな歌が私の口に出た。
ふだん、見ることのない風景に、
私も優しくなっていたのだろう。
十五で姉やは嫁に行き…
お里の便りも絶え果てた…
何番の歌詞だろうか。
十五で嫁に行ったという、
その人の気持ちを思った。
嬉しいものでは、なかったろう。
歌が口から出ている間に、
赤蜻蛉は、空一面を覆うように
なっていた。
フロントガラスの向こうに、
茜色の空が広がっていて、
それは、美しくもあり、
不気味でもあった。
辺りが暗くなり始めて、
私は、そろそろと、引き返す
ことにした。
喉が渇いていた。水が欲しかった。
古びたバス停が見えてきた。
近くに自販機がある。
私は、そこで車を停め、
飲み物を買おうと、車から降りた。
たくさんの赤蜻蛉が、
私の体にぶつかってくる。
赤蜻蛉の大群だった。
一匹の蜻蛉が私の腕に留まった。
私は、人の手に留まった
珍しい蜻蛉を、指で摘んだ。
あああああ…………ついに、私は……
蜻蛉には…文金高島田の
可愛い女の子の頭がついていた。
私は… 哀しげに見つめる
その女の子の目を見て、
ついに、私は狂えたと思った。
実は、狂ってしまいたかったのだ。
雑然とした部屋、
意味のわからない罵声、
持て余していくしかない課題、
その日、私は、自分が狂って
しまうしか、
生きていく術がもうなかった。
暗くなった帰り道をひた走った。
赤蜻蛉は見えなくなった。
私はまた、正気を装うことにした。
私を、待たねばならない
人々のために…
夏の終わりのことだった。
私は、町に入る前に、
もう一度自分が狂っていることを
確かめようとした。
ハンドルに留まったままの、
哀しい目を見て……