エリート副隊長、ズボラ研究女と出会う〜目醒めるオカン気質〜
衝動で書きあげた作品なので、ちぐはぐなところがあるかと思います。それでもよろしければ、目を通していただけると幸いです……。
カロンザ国、害蟲殲滅部隊、第二師団、副隊長。
ジュード・ステインは25という若さでその地位に就いた。
短く切り揃えられた黒髪に、鳶色の瞳はよく映える。
その容姿と肉体から、彼に想いを寄せる女性は数多いたが、ジュードは仕事を優先する男だった。
害蟲殲滅部隊とはその名の通り、蟲を討伐する組織である。
〈蟲〉とは、人間を主食とする生き物のことで、言うなれば人の天敵だ。
その生態はまだ明らかになっていないところも多く、種によって様々な姿形をしているが、すべての蟲に共通して言えるのは瞳が紫色をしているということだ。
蟲は〈森海〉と呼ばれる地域に生息しており、人間が切り拓いた〈陸土〉付近にも稀に姿を現わす。
軍は、繁殖力の強い蟲の数を削ぎ落とす為に、毎日部隊を森海に送り込んでいた。
しかし、先日、ある地域で陸土の柵を越えて蟲が大量発生した。
その原因は、害蟲撃退超音波装置の故障ではないかとされ、ジュードは開発者を尋ねて本部に連れてくることになっていた。
***
コンコンコンと、ドアノッカーを叩き、ジュードは家の主人を待つ。
家の中で物音が近くに聞こえたかと思えば、扉が開いた。
中から姿を現したのは、ボサボサのまま伸ばしっぱなしになっている茶色の髪を適当にひとつに結び、黒いレンズの保護メガネをかけ、口にはマスクをした女だった。
服は、汚れがあちこちに目立つ白衣を着ている。
心なしか嫌な臭いがジュードの鼻腔を通り抜け、思いっきり顔をしかめた。
「オゼッタ・ブルーナで間違いないか」
ジュードは確認しながら、どうか間違いであってくれと心の中で祈る。
しかし、現実とは残酷なもので、彼女は「そうですけど」と、思いの外綺麗な声で返事を返した。
ジュードは難しい表情のまま、依頼内容が書かれた手紙を彼女に手渡す。
オゼッタはその場でそれに眼を通すと、深ーい溜息をついた。
「こんなところまで来てもらって、副隊長様には申し訳ないのですが、今、取り込んでいるので、私以外の人をあたってください」
では、と家の中に戻ろうとするオゼッタに、ジュードは眉間にしわを寄せる。
「先日装置の故障で、蟲が大量発生した。早急な対応が求められている」
彼は上司から、必ず彼女を本部に連れてくるように言われていた。例え身なりが不審者じみた女でも、任務は遂行しなくてはならない。
「では、早急に他の人をあたることをお勧めします」
バタン、と音を立てて扉の向こうに消えていったオゼッタに、ジュードの表情はスッと冷めていく。
「あの女……」
軍からの要請を、こうも簡単に断られるとは予想だにしていなかった。それもあんな変な女に。
どうしたものかと、家を見上げていた時だ。
ボンッ!!! と何かが弾けるような大きな音がすると、地面が揺れた。
何事かとジュードは発生源であろう家の裏に回る。
そこは、地面がえぐれ、硝煙の臭いがたち込めている。
「あー。また失敗か。破壊能力は要らないんだけどな。どうにも対害蟲用の薬は威力が出る」
ランチャーを装備したオゼッタが、頭を掻いている。
「お前、何を?!」
驚いたジュードは、思わず声をかけた。
「……ここは立ち入り禁止ですよ。下手したら死んじゃうんで、次からは気をつけてください」
物騒な言葉を向けられるが、それが張ったりではなく、本当のことであるのが、凸凹だらけの裏庭が物語っている。
ここは裏庭というより、何かの実験場だ。
呆然としたジュードは、オゼッタを振り返る。
そしてあることに気がついた。
長い足で一気に距離を詰めると、オゼッタの腕を掴む。
びくりと彼女の肩が上がった。
「あんた、肩が」
掴んだ腕とは逆の、右肩が外れていた。
「お気になさらず。よくあることなので」
オゼッタはぶらんと垂れた右肩のまま、左手でノートに記録を取り始める。
「よくあることって……」
流石に肩が外れているのに、放置するのは良くないだろう。そこでふと、ジュードは彼女が取っている記録に視線を奪われた。
びっしり埋まったノートには、実験をした日時が書き込まれている。
順に追っていくと、彼女は一昨日から延々と調合と実験を繰り返していることがわかった。
ビッシリと埋まった時間配分からは、食事や睡眠の時間も無いように見える。
「よし」
記録し終えたオゼッタはひとつ息を吐くと、左手で外れた右腕を持ち上げる。何をするかと思えば、自力で肩をはめてしまった。
(なんなんだ、こいつ……)
ジュードは得体の知れない生物を見るような視線を彼女に送る。
オゼッタは彼のことは完全に無視し、次の試作に手をかけた。
ぐぅーーー。
盛大に腹の虫が鳴いた。
「……」
オゼッタは一瞬動きを止めたが、何事もなかったかのように作業に戻る。しかし、彼女の意思とは裏腹にまたグゥと腹が鳴る。
そういえば、実験に明け暮れていたので、ここ数日ちゃんとした食事をした記憶がない。
オゼッタは仕方ない、と実験台を漁ると怪しげな瓶を探し出す。適当に中の粒を手に取り出すと、マスクを外して口に押し入れた。ガリガリと音を立てて咀嚼し、最後は水で流し込む。
それでも目がチカチカし始めたので、実験台の下から何やら取り出すと、点滴を打つ。
「……おい」
まさかそれで終わらせるのか、とジュードは眉間の皺を更に深くした。
汚れた白衣に、黒い保護メガネとマスク、そして怪しい薬に、腕には点滴。
明らかにおかしいだろう。
「何か……」
流石に疲れがでたのか、椅子に座って資料に目を通し始めたオゼッタは怠そうにジュードに応える。
ジュードはそこで、何かが切れた。
「……“何か” じゃねぇ」
オゼッタの目の前まで行くと、メガネとマスクを勝手にとる。
彼女の顔は腫れぼったい目の下のクマは酷く、肌も荒れている。今年20の女にしては酷い有様だ。
ジュードはとりあえず額に手を乗せ熱の有無を確認した。
「熱はないな。だが、顔色は最悪だ。こんな不摂生を行なっているからだ」
ジュードは不満をあらわにする。
「とりあえずあんた、風呂入れ」
「な、なんで……」
いきなり顔を見られたショックで、オゼッタは狼狽えた。
「あ?」
しかし、現役軍人の威圧により、オゼッタは何も言えなくなる。
のっそり立ち上がると、縁側から部屋に上がって行く。
ジュードも勝手ながらそれに続き、部屋の中を見て更に絶句した。
「……汚ねぇ」
そこら中に散らばった紙の量がえげつない。床も壁も見えないほど、文字で埋められた紙が放置されていた。
「……あがっていいって言ってないのですが」
少しムッとしたオゼッタが力無く反論する。
「あんたを本部に連れて行くのが俺の任務だ。達成するまで引くつもりはない」
最早、オゼッタを敬うべき存在だと認識しなくなったジュードは辛辣だった。
「そんな状態のあんたを本部に連れて行くなんて、俺には無理だ」
ぐさり、とオゼッタの急所に言葉が突き刺さる。
こんな彼女だが、一応女としての矜持はあった。それをまさか初めて出会った男にここまでズタボロに言われるとは思ってもみなかった。
確かにオゼッタもこの生活に危機感を抱いてはいたが、それよりも研究と開発に力を注いでしまい、なかなか自分のことまで手が回らないのだ。
図星をえぐられたオゼッタは、反論するのも嫌になり、大人しく風呂に入ることにする。
「ちゃんと浸かれ。はやく出てきたら無理矢理にでも沈めるからな?」
それは一体どこに沈める気なんだ、とオゼッタは頬をひきつらせた。
相手は第二師団の副隊長だ。彼の放つ威圧感というものは、どうにも彼女を硬直させる。
「……あの部屋には危険物も置いてあるので、入らないでください」
ここは私の家なのに、と思ったことは口にせず、オゼッタはそれだけ言うと浴室にこもった。
ジュードは手始めに家の中を確認する。
女性の一人暮らしにしては広い。
オゼッタをまともな女性と思わなくなった彼は、遠慮なく部屋を見終えると、仕舞ってあった掃除用具を見つけ出した。
少し考えた後、キッチンを掃除し、冷蔵庫の中身を確かめる。
「……まぁ、予想通りだな」
すっからかんの冷蔵庫に、もう驚きはしなかった。
軍服の上着を脱ぎ少し身軽になると、家を出る。
(少し先に市場があったよな)
ジュードは市場で必要になりそうなものを買い物を終え、素早く家に戻った。
「まだ出てないな」
オゼッタが風呂から出ていないことを確認すると、袖をまくりキッチンに立つ。
ジュードは一人暮らしが長い。
昔は自分も不摂生をしていたが、自己管理もできない奴は軍を辞めろ、と言われた時から、自分のことは自分でちゃんとするようになった。
よって、自炊は勿論、掃除や洗濯、家事全般は完璧にこなせる。
完璧すぎて、過去に付き合った女性から「わたしは必要なさそうね」などと言われたことがあるのは余談だ。
消化に良い具材を細かく刻み、水と一緒に鍋に入れる。煮込んで味を整えると、火を止めた。
「……遅い」
だいぶ時間が経ったと思うのだが、姿を現さないオゼッタに、ジュードは落ち着かない。
そこでハッと、もしかすると風呂でのぼせたのではないかという考えが浮かんだ。
ジュードはすぐさま浴室の扉をノックする。
「おい。生きてるか」
自分で訊いておきながら、変な問いを投げかけてしまったと思ったが、「生きてます」と返事が返ってきて安堵した。
「ならいい。のぼせる前に出てこいよ」
ジュードは、食事が取れるスペースを確保しなくては、と踵を返す。
するとそこで、カチャリとドアノブが回る音がして、ワンピースに着替えたオゼッタが出てくる。
彼はその姿を見て、大きく瞬きを繰り返した。
「あんた、その髪」
長風呂だと思っていたが、どうやらそれだけでは無かったらしい。
伸ばしっぱなしで荒れ放題だった髪が、ガチャガチャに切られていた。
「……邪魔だったので」
その回答に、ジュードは小さく溜息を漏らす。
「だからって、こんな風に切る奴がいるか」
濡れたまま切られたらしいオゼッタの茶髪は、肩より少し上でいくつかの束になり、バラバラの長さになっている。
ジュードはハサミを手に持ち、オゼッタを鏡の前に立たせた。
女の髪など切ったことはなかったが、器用な彼の手にかかれば、真っ直ぐに切り揃えられていく。
問題は、長さが揃いそうに無い前髪。
ジュードは考えると、思い切ってハサミを入れた。
「……さっきよりかはマシだろ」
そう言われて、目を開いたオゼッタは鏡に映る自分に目を見張る。前髪はアシンメトリーに、後ろは綺麗なボブになっている。
「副隊長は、美容師なんですか?」
「そんな訳あるかよ。あんたが切るのが下手くそ過ぎるだけだ」
片付けたらダイニングに来い、とオゼッタに伝えるとジュードはテーブルを片付ける。山積みになった本と資料は、他に置く場所も見当たらなかったので、床に一時避難させた。
オゼッタが部屋に入ってくると、ジュードは温め直したスープを器によそう。
彼女を椅子に座らせ、料理を運んだ。
オゼッタはこれまた目を丸くして、ジュードを見返す。
「これ、副隊長が?」
「勝手にキッチンは使わせてもらった。ちゃんとした飯を食え」
彼女は恐る恐るスプーンを手に取り、スープを口に入れる。
ジュードは斜め前の席に座り、コーヒーをすすった。
「…………美味しい」
オゼッタから言葉が溢れる。
「久しぶりに、人が作ってくれたご飯を食べました」
どこか虚しい物言いに、ジュードはオゼッタに視線を奪われる。
まだまだ酷い顔だが、彼女は素直な感想をジュードに向けた。
「美味しいです。ありがとうございます」
「……別に。これくらい普通だろ」
ジュードは、こんな風に感謝されたのはいつぶりだろうかと、何気なく考える。思い当たる節は無く、そう言えば誰かのためだけに料理を作ったのはこれが初めてだ。
「……先程、あなたは私を本部に連れて行くのが任務だとおっしゃいましたね」
話題が変わり、ジュードも思考を切り替える。
「ああ」
「……私も、害蟲撃退超音波装置の故障について新聞を読んで知っていました。少し思い当たることがあって、調べようとしたのですが……」
口ごもるオゼッタに、ジュードはじっと耳を傾けた。
「……その、装置の設計から取り扱いなどをまとめた資料が、見つからなくて」
アハハハ、と乾いた笑みを浮かべるオゼッタ。ジュードは改めて部屋を見回して、彼女に鉄槌を下す。
「掃除しろ、ガサツ女」
「……ハイ」と萎れた返事をしたオゼッタは、それでも綺麗に料理平らげて、大人しく掃除を始めるのだった。
*
「これは? 捨てるか?」
「あ、それは要ります」
長年ほったらかしにされていた部屋を片付け始めて数時間。だいぶん整理されてはきたが、探している資料は出てこない。
散らばった紙を集め、ジュードは気がついたことがある。
オゼッタ・ブルーナを連れてこい、と言われただけだったので、彼女のことについては深く知らなかったのだが、紙に書かれた図式を見れば何を作っているのか、すぐにわかった。
オゼッタは蟲を殺すためだけの武器を開発している。
人には害がなく、確実に蟲だけを倒す武器だ。
中には既に実用化されている物もあり、ジュードは少なからず驚いた。
齢20にして、ここまでのものを生み出した彼女はまさしく天才なのだろう。
「あ、これ! 対害蟲用拘束銃に応用しようと思ってたやつだ」
興奮気味で独り言ちたかと思えば、床にうずくまりながら、落ちている裏紙に物凄い速さで数式を書き始める。
異様な光景に、ジュードは様子を伺うが、凄まじい集中で床にへばりついているオゼッタに声をかけることは阻まれた。
それぞれが黙々と作業を進め、気がついた時には日が暮れかかっていた。
「もうこんな時間に? ……ちなみに副隊長、泊まるところは?」
流石にここまで面倒を見てもらっておいて、ジュードを無下に扱うのは気が引けるらしく、オゼッタは気を遣った。
「決めてない。近くに宿を取りに行く」
作業の手は止めずにジュードは答える。
「なら、うちに泊まってください。これだけしてもらって悪いですし」
それだけ言うと、オゼッタはジュードの答えを待たずに別の部屋を片付けに行く。
「ちょ、待て、……」
ジュードは止めようとしたが、彼女の姿は既にない。
オゼッタのことは確かに女と思っていないが、流石に無防備すぎるだろう、とジュードは思う。初対面の男に少し面倒を見られたくらいで、家に泊めるなど感心できない。
「ハァ……」
別に自分がどうこうするつもりは無いが、彼女の精神を疑った。
結局、ジュードはオゼッタの自室に通され、そこで一晩越すことになる。
オゼッタはというと、例の危険物が置いてある部屋の大きなソファでいつも寝ているから平気だそうだ。
そういうところが、自己管理がなっていないとジュードは思うのだが、彼女はどうせ朝食もちゃんと食べないことが目に見えていたので、ここに泊まることにしたのだった。
自分の部屋だというのに、使われている様子がないベッドにジュードは腰掛ける。
そこで、サイドテールに置かれた写真に気がついた。
黄ばんでおり、古い写真だとわかる。
彼女の故郷の村の集合写真らしいそれには、満面の笑みを浮かべた、まだあどけないオゼッタが写っていた。
「へぇ。こんな風に笑うのか」
まるで別人の彼女に、ジュードは興味を惹かれたが、その時はそこまで気に留めることもなく眠りについた。
*
昨日買った材料の残りで、ジュードは朝食を準備する。自腹で用意しているので、自分にも食べる権利はあると、2人分準備した。
今日中には資料を見つけて、彼女とともに本部に戻りたい。
ジュードは起きてくる気配のないオゼッタを起こしに、例の部屋の前に立つ。
「おい。起きろ。朝飯できてる」
ノックして声をかけるが、返事がない。
ジュードはここに来て何度目かになる溜息を吐くと、ドアノブに手をかけた。
扉を開けると同時に、オゼッタと始めて会った時の匂いがする。
ジュードは思わず鼻から口を片手で覆い、部屋の電気をつけた。
そして、目に飛び込んできた部屋に息をすることを忘れた。
そこには蟲の標本や、四肢が瓶に入った並べられている。
壁にずらりと並べられた棚には武器が置かれ、大きな机には怪しい色をした液体が入った試験管が。
「んん」
部屋の電気が眩しかったのだろう、オゼッタは呻き声を上げ、むくりとソファから起きる。
部屋の入り口にジュードを見つけると、意識が覚醒したのか、気まずそうに声をかける。
「副隊長。おはようございます」
挨拶をされたが、ジュードはそれどころではない。
「なんだよ、これ」
見ればわかるが、彼は彼女の口からちゃんと聞かなければならないと思った。
「ここで蟲の研究と、武器の開発をしています。サンプルは軍から支給されたものがほとんどなので、安心してください」
オゼッタはそう言うと、カーテンを開けて窓を開く。
「匂いますよね。すいません」
あの独特な匂いは、彼女の実験によるものだった。
異様としか言いようのない部屋に、ジュードは顔をしかめる。自分は蟲の討伐が仕事なので蟲は見慣れているが、彼女はこの空間の中で寝ていた。正直、ありえない。
「早く出てこい。それとあんた、これからは絶対に自分の部屋で寝ろ」
早くこの空間からオゼッタを出せ、とジュードの頭では警鐘が鳴る。
オゼッタは言われた通り部屋から出ると、苦笑いで言う。
「……気持ち悪いですよね。朝からすいません。シャワー浴びてきます」
匂いに気を遣ったのか、彼女は自室で着替えを取ると浴室に向かった。
(……この部屋で毎日?)
ジュードは再び部屋を目にして、表情を歪める。例え彼女の神経が図太くてこの部屋で眠ることが出来ても、先程見せた苦笑いで、決してそれを良いと思っていないことは明らかだ。
益々今日中にここを発たなくてはならない理由が出てきて、ジュードは早く資料が見つかることを祈った。
「副隊長は、料理人ですか?」
「違う」
大したものは作っていないのだが、オゼッタは揶揄う訳でもなくそう訊く。
ジュードは即答すると、いつもと変わりない食事に手をつける。ただ、心なしか人に褒められた料理はいつもと違う味がする気がした。
ジュードの料理か、彼女が飲んだ怪しい薬か、どちらの効果が出たのかはわからないが、オゼッタの顔色はだいぶ良くなっている。腫れていた目も少しスッキリし、心なしかクマも薄くなった。
初めて会った時より、充分見れるようになっている。
不審者状態では気がつかなかったが、もう少し洒落た格好をして化粧でもしたら、良く化けそうだ。
「ごちそうさまでした。美味しかったです」
オゼッタは後片付けをし、ジュードはあと少しで片付け終わる棚に手を伸ばす。
「これは……」
丁寧な字で書かれた表紙に、彼は表情を明るくする。
「おい。あったぞ」
そこには『害蟲撃退超音波装置』と書かれていた。
オゼッタは慌ててジュードの元まで行くと、資料に目を通し始める。
「これで間違いないです」
ジュードは確認が取れると、素早く残りの作業を終わらせた。
オゼッタはその間に出かける準備を整える。大きなナップザックがパンパンになっていた。
「取り組んでる件は大丈夫なのか?」
ジュードは昨日言い返された言葉を忘れてはいなかった。ちょっとした仕返しのつもりだったが、予想外にもオゼッタは真剣な表情で、思った通りの反応を見せなかった。
「その事はすいませんでした。最近、研究費用を減らされて、生活がカツカツだったので大人げないことを言いました」
「カツカツ?」
「冷蔵庫、見たでしょう?」
すっからかんの冷蔵庫を思い出し、ジュードは面食らった。
どうやら空だったのは、買わなかったのではなく、買えなかったらしい。
「新作を完成させて売り込まないと、身体が持ちそうになかったので、“取り込んでいる” というのは強ち間違いでもないんですけどね」
お金が入ったら材料代を返します、と言われ、ジュードは自分が何かを勘違いしていたのでは無いかと気がつく。
そういえば、冷蔵庫の中は食材は無くても調味料は揃っていたし、調理器具も充実していた。
「あの、あと本部まで行く経費……お願いします」
申し訳なさそうに頭を下げられ、ジュードはしばらくオゼッタと目を合わせられなかった。
*
「おー。思いのほか早かったな」
上司のアレクサーは、ジュードとオゼッタを見て吸っていた煙草を灰皿に押し付けた。
「ご無沙汰してます。アレクサー第二師団長」
「おう。てっきり、不審者スタイルで来るかと思っていたが、流石に20にもなればまともな格好をしてくるってか!」
ガハハと笑うアレクサーと愛想笑いを浮かべるオゼッタに、ジュードだけは笑えない。
(こいつ、あれでここに来たことがあったのか?!)
雷に打たれたような衝撃だったが、確認する事はできなかった。
「手紙が届くまでの時間を考慮せず、届いた直後に家を出ないと時間に間に合わないような事をしてくるのはどこの誰ですかね」
「ハハ〜……。さて、」
明らかに話をそらしたアレクサーに、ジュードは初めてオゼッタに同情した。
「着いて早々悪いが、ブルーナは装置の点検を頼む。知っての通り本部で装置の操作はしているが、本体に問題があれば、明日にでもB1に向かってもらう」
「もちろん、給与出ますよね?」
「んー。お前の設計ミスじゃ無ければな〜」
飄々と言ってのけるが、内容は厳しい。
隣でオゼッタが拳に力を込めるのがわかり、ジュードは複雑な気持ちになった。
あれだけ努力して開発しても、こうしてミスが見つかれば彼女に大きく責任がのしかかるのだ。
「……わかりました」
やるべき事が定まったオゼッタは、ひとり先に部屋を後にする。
去っていた後ろ姿は、どこか頼りなかった。
残ったジュードは、アレクサーと向き合う。
「あと二日くらいかかるかと思ってたぜ。あいつ、オレのこと嫌いだし。まぁ、ご苦労。この前の害蟲大量発生で休みつぶれただろ? 今日明日は休め」
ハイ、と返事をしようとして口を開いたが、オゼッタがひとりで出て行った姿を思い出し、閉口する。
少し迷ったあと、ジュードは最初とは違う言葉を言っていた。
オゼッタは本部にある装置の遠距離操作室に訪れていた。他の地域の装置と異なる点はないか、ひとつひとつチェックしていくが、今のところおかしな点はひとつもない。
今回の害蟲大量発生では、死人は出なかったが重傷者が数名出た。ただ、今回の件はそれだけが問題ではなく、防護柵が越えられたことによる人々の精神的なダメージも配慮しなくてはならない。
開発者であるオゼッタが、この事件を重く受け止めない訳がなかった。
新聞を読んでから、原因となりそうなことを片っ端からからリストアップし、文献も洗い直した。
ただでさえ、研究費用を自分で賄っているのに、装置の不具合が重なっては、心も体もボロボロだった。
そんな時に案の定、本部からお呼びがかかり、オゼッタは思わず追い払おうとしてしまったが、ジュードが来てくれたことは何だかんだで助かった。
「……問題ない」
オゼッタは全ての確認を終え、本体に問題があるのではないかと疑う。
もし本体の設計ミスであれば、賠償金の請求は免れない。
溜息が漏れそうになるのをグッと堪え、彼女は部屋を出る。
本部にはたまに顔を出しているので、自分が泊まれる場所も知っている。
彼女は重い足取りでそこに向かった。
「おい」
廊下で後ろから声をかけられ、オゼッタはそちらを振り返る。
声の主はジュードであった。
彼は彼女の元まで行くと、どうだったのか訊く。オゼッタは明日、B1に行くことになるとだけ言うと、頭を下げて踵を返す。
「待てよ。俺も同行する。8時に門に集合だ。それと、ちゃんと飯食ってから寝ろ」
ジュードは持っていた紙袋をオゼッタに持たせる。彼女は驚いて目をパチクリさせていたがハッとして礼を言う。
「ありがとうございます」
「別に。必要経費だろ」
素っ気なく返事をすると、ジュードは来た道を戻る。わざわざ届けに来てくれたのだとわかり、オゼッタは紙袋を覗く。
中にはまだ温かいキッシュとクッキーが入ってる。
「……嫁に欲しい」
ぼそり、と呟いた言葉はジュードに届くことは無かったが、オゼッタは本気だった。
*
翌朝、オゼッタはちゃんと時間通りに起きて、集合時間より少し早めに門に着いていた。
後から来たジュードはオゼッタを見つけると、顔色を確認し、再び紙袋を手渡す。
「食ってないだろ」
「……ありがとうございます」
完全に餌付けされている状態だが、彼がくれるものはどれも美味しく、オゼッタは楽しみにしていたりする。
今回はサンドウィッチと飲み物が入っていた。
「副隊長の彼女さんは毎日こんなに美味しいものを食べれるんですか」
羨ましい限りだ、と本心を口に出したところ、ジュードが怪訝な顔をする。
「その副隊長って呼び方やめろ。俺以外にも副隊長はいる。それと、付き合ってる奴がいたら他の女の家になんて泊まらない」
ぽかんと口を開けてオゼッタはジュードと紙袋を交互に見返す。
「え。じゃあ、私の嫁に来ません?」
「行くか、阿呆」
冗談だと受け取ったジュードは、適当に否した。色々突っ込みどころのある冗談だが、面倒なのでそれ以上言うことも無く、ふたりは問題のB1エリアに向かった。
「ずっと思ってたんだが、何が入ってるんだ、その荷物」
移動しながら、重そうなナップザックにジュードは視線を移す。
「工具とか、色々ですよ。使い方間違えると危ないものも入ってるんで、触らないようにしてください」
あの部屋を見てから、ジュードはオゼッタをただの娘だと思っていないので、言うことに従うことにする。
「対害蟲用のソードを発明したのも、あんたなんだってな」
ジュードは自分の腰にぶら下がる愛剣を見てから、オゼッタに問う。
「そうですね。鉄に色々混ぜてます。種によっては硬い殻のある蟲や、動きが素早い蟲がいます。軽くて丈夫に仕上げるのは苦労しました」
蟲について、軍に所属する人間以外と話すのは初めてだ。
それからふたりは蟲の種類や急所などの話で盛り上がり、あっという間に目的地へたどり着いた。
壊された柵は修復されてはいたが、害蟲殲滅部隊の軍人が警備を強化しており、その場の空気はピリピリしていた。
ジュードは討伐に参加したので、この場所に来るのは久しく無い。仲間は数人それで怪我を負って、入院を余儀なくされている。
オゼッタは少し離れたところに設置されている、棒状になった傷ひとつない装置の点検に入った。
ジュードは終わるのを待つことにしたが、その間いつでも剣を抜けるように準備していた。
「……どこにも異常はない」
しばらくして、オゼッタは暗い声で言った。
異常がないならそれでいいじゃないか、とジュードは思うが、彼女はそうにもいかなかった。
「どうして。なんで、ここに蟲が?」
目をぎゅっと瞑り、眉間にしわを寄せたオゼッタに、ジュードも装置を見る。
太いポールが地面に突き刺さるようにして設置され、その一番上に、球状のものが付いている。その球が超音波を発しているそうだ。
そこでバサバサバサ、と柵の向こうの森から鳥たちが何かから逃げるように空へと飛び立つ。
ジュードはバッと背後を振り返った。
(何だ。……嫌な予感がする)
胸騒ぎがして、彼は腰の剣に手を触れる。
その場の緊張を破ったのは、街の方から走ってきた隊員の声だった。
「伝令!! エリアB3にて、蟲の大量発生。近くのエリアの隊員は厳重警戒!」
「B3?!」
驚く間も無く、伝達に来た隊員がジュードの元まで走り寄る。
「ジュード・ステイン第二副隊長ですね! 本部から、至急応援へとの要請が!」
ジュードはオゼッタと顔を見合わせる。
「俺は行く。あんたは安全なところにいろ。あとで迎えにくる」
それだけ言うと、ジュードは伝達員が乗ってきた車に乗り込む。
すると、バタンと、後ろの席の扉も閉じられるのがわかった。
驚いてそちらを見ると、オゼッタが何食わぬ顔で席に座っている。
「私も行きます。原因がわかるかもしれない」
ここで口論している暇はない。
ジュードは諦めて車を発進させた。
現場から少し離れたところに車を停め、ジュードはオゼッタに絶対にこれ以上は近づくなと釘を刺してから、他の隊員と合流して戦地に赴く。
素早く剣を鞘から抜き、向かってくる蟲を片っ端から一掃する。
先に戦っていた隊員たちは、副隊長クラスの増援の到着に、再び奮起して蟲と戦うが、斬っても斬ってもきりがなく湧いてくる。
「クソッ。キリがねぇ!」
どこかで苦戦を強いられた隊員が、悔しそうに叫ぶのが聞こえた。
ジュードも人一倍蟲を倒してはいるが、前回の比にならない程量が多い。
このままでは、住民地にまで蟲が侵攻してしまう。
(あいつ、ちゃんと逃げてるよな?!)
敵を滅多斬りにしながら、ジュードはオゼッタを気にしていた。
あの位置では、ここが保たなくなった時、すぐに餌食になってしまう。
「ステイン副隊長! もう、ここは!!」
どんどん侵入してくる蟲に、倒すのが追いつかない。
防御線を下げるしかないかと思われた時だった。
「避けてください!」
女性の声が、そう叫んだ次の瞬間。
ボン!!! と音を立てて、柵付近にいた蟲たちが弾け飛んだ。
「副隊長っ!……ジュードさん!! そこで飛んでる蟲を倒してください!!」
ここで聴こえてはならない声が聞こえ、ジュードはギョッとして背後を見る。
そこには車の上に登りロケットランチャーを装備したオゼッタが、そいつ!と指をさしていた。
理解が追いつかず、動けないジュードに彼女は叫ぶ。
「はやく!!」
我に返ったジュードは、オゼッタが指差す方へ切り込み、素早い動きでコウモリのような姿をした蟲をなぎ払った。
するとその瞬間、その場にいた蟲たちが一斉に苦しみ出す。
その間にもオゼッタによる無慈悲な攻撃が蟲たちに降り注ぎ、隊員たちは巻き込まれない範囲に気を配りつつ武器を振るった。
侵入した蟲が全滅する頃には、柵を越えようと待機していた蟲たちは、姿を消していた。
ひと段落して、ジュードは事後処理について指示を出すと、蟲の死骸に混じって何かを観察しているオゼッタまで一直線に歩いていく。
「おい」
いつもより大分低い声が出た。
それまで真剣に蟲をみていたオゼッタも、びくりと肩を震わせてジュードを見上げる。
「俺、絶対にあれ以上は近づくなと言ったよな」
「……ハイ」
オゼッタは思わず姿勢を正す。
「まだ息があるやつもいるかもしれないんだぞ。なんでこんな所にいる」
その瞬間キキキキ、と蟲の鳴き声が聞こえる。オゼッタは素早く小型の刃物を投げつけた。
「……」
流れるような動きに、ジュードは彼女には戦闘経験があると独断する。
ふたりの間に気まずい沈黙が流れた。
「大量発生の原因は、この種による超音波の相殺によるものだと思われます」
オゼッタは俯いたまま報告する。
この蟲の姿を見た瞬間、謎が解けたのだ。
コウモリのようなフォルムで、戦うことをせずただ飛んでいる蟲。
はやく本部に戻って、変則的に超音波を変える手筈を整えなくてはならない。
「この蟲は、サンプルとして残して欲しいです」
オゼッタはそう言うと、ジュードの横を通り過ぎていった。
*
それからしばらく、ふたりが会うことはなかった。
オゼッタは知能の上昇が疑われるコウモリ型の蟲の研究に追われ、ジュードは通常勤務に戻り森海での討伐に明け暮ていた。
「なぁ。ジュード、知ってるか?」
任務の報告を終え部屋から出ようとすると、アレクサーに呼び止められる。
「何をですか」
「ブルーナの奴、あの件で、遂に他国に目を付けられて引く手数多らしいぜ。せっかく引きこもって正体眩ましてたのに、ド派手に新作のランチャーぶちかますなんて、馬鹿だよな」
ブルーナと言われて、誰かわからないほど、ジュードはオゼッタを忘れてはいなかった。
「そうですか」
だが、たった数日の仲だ。
ジュードは詳しく話を聞こうとは思わなかった。
「他国じゃ超音波装置の導入なんてまだ進んでいないし、武器だって発展途上。莫大な費用を出すと言われても、きっと限界まで使いこまれちまうだろう。あいつも蟲を殺せさえすれば、甘んじてそれを受け入れるだろうし」
先の見ない話に、ジュードは黙って上司が気が済むのを待つ。
「“エリアV7の悲劇” って知ってるか。まだ超音波装置が発明されてなくて、柵に高圧電流を流していた時の事件。V7には川が流れていて、大雨の時は氾濫した川を通して感電しないように、柵の電気は切られていた。そこを狙ったのかどうかはわからんが、柵を越えて蟲が侵攻した。大雨で土砂崩れが起きて増援が駆けつけられず、住民はほぼ全滅した。あいつは唯一の生き残りだよ」
黄ばんだ写真がフラッシュバックし、ジュードは困惑した。
「助けた時、あいつ、狂ったように蟲を全滅させてやるって叫んでた。見事に次から次へと武器を発明してったし、本当にやり遂げちまうかもな」
何も言えずに佇むジュードの頭には、蟲の標本が置かれていた部屋のソファで寝ていたオゼッタの苦笑いが。
「家まで特定されちまって、求婚してくる男まで出てきたらしいぞ? なんだったら、不審者のままの方がよかったのかもな」
ハハッと笑うアレクサーは、次に机の中を漁り始める。
「危ねぇ、本題を忘れるところだった」
ほらよ、と彼はジュードに手紙を渡す。
「ブルーナから届いてたぞ。返事出すなら、早めにしてやらねぇと、もうこの国出ちまうかもな」
ジュードは無言でそれを受け取り懐にしまうと、一礼して退室した。
彼は人通りの少ない場所で落ち着くと、先ほどの手紙を確認する。一体何が書かれているか、まるで予想ができなかったが、丁寧に書かれた文字に心を乱された。
ジュード副隊長
美味しいご飯をありがとうございました。
部屋の片づけも、髪の毛も、本当に助かりまし た。
こんな私をちゃんと叱ってくれる人に会ったのは十数年ぶりで、叱られているのに、何だか懐かしくて涙が出そうでした。
副隊長なら良いお母さんになれます。
お世話になりました。お元気で。
封筒の中には、お金が同封されていた。
いつかの材料代を返してくれたのだろう。
ジュードは読み終えると、手紙を握ったまま、廊下を走り出す。
肩で息を切らし、ジュードはあの家をその目に捉えた。
扉の前では何やら見知らぬ男が、オゼッタに迫っている。
「おい。そいつから離れろ」
その男はカロンザの軍服を着たジュードを見るや否や、家を去っていく。
「あれ。副隊長?」
オゼッタはジュードが握りしめている手紙に気がつき、顔色を変える。
「もしかして、お金、足りませんでした?」
「そうじゃない、阿呆」
オゼッタはジュードが一体何をしにきたのかわからず、その場で右往左往する。
「——行くのか」
「え?」
ジュードの真剣な眼差しに、オゼッタはひとつ瞬きをした。そして、何を問われているのか理解する。
「……色々お声をかけてもらってますが、まだ悩んでます。でも、ここにはいられないかなとは思ってます。資料を盗みにくる人がいるので」
困ったものだと、オゼッタは肩をすくめた。
「盗みだと? 何かされたのか?!」
ジュードはオゼッタの肩を掴む。
「ハハ。大丈夫ですよ。私、開発した武器を森海で演習テストするような女ですよ?人が家に入って来るくらい可愛いものです」
自慢げに語っているが、ジュードは全くもって安心できなかった。
「……あんた、もう少し自分のことを大事にしろよ」
至って真面目に言ったつもりだったが、オゼッタはフッと笑みをこぼす。
「何がおかしい……」
彼は不機嫌な表情に変わる。
「すいません。本当に、副隊長は良いお母さんになれそうだな、と思って」
仏頂面のまま、ジュードはオゼッタの頭の横あたりの壁に手をつく。
追い詰められるような形になったオゼッタは笑うのをやめた。
「あ、あの……?」
「手紙もそうだが、俺は母親にはならねぇよ」
それは単に言葉の綾だとオゼッタは反論したかったが、ジュードと視線がかち合った瞬間言葉が出なくなる。
「いつだか、あんた、言ったよな。俺に嫁に来いって」
そんなのことを言った時もあったな、とオゼッタは振り返る。
「俺は嫁にもならねぇ。あんたが、俺の嫁に来い」
「…………ハイ?」
オゼッタは遂に幻聴が聞こえてしまったのかと、頭を悩ませた。
「……って、え?」
「なんだよ。嫌なのか」
嫌なのか、という以前に、オゼッタは理解が遅れる。
「え、副隊長、それは軍からの指令ですか?」
「違う」
即答されて、オゼッタはどうすればいいか、わからなくなった。
「……嫌なのか、嫌じゃないのか?」
ジュードは二択を迫ってくる。
先に嫁に来て欲しいと言い出したのは、彼女の方だし、嫌な訳がない。しかし、これは肯定しても良いものか?
「……研究が続けられて、美味しいご飯が食べられるなら、嫌じゃないです」
こんな条件を出すような女と付き合おうとするなんて、ジュードも変わり者だとオゼッタは思う。
「なら決まりだな。大事な書類、まとめとけ。あと泊まりの準備。また迎えにくる」
「??」
疑問符を浮かべるオゼッタに、ジュードは付け加える。
「俺の家に来い。情報、筒抜けなんだろ?」
ジュードの計らいがわかり、オゼッタは感激した。
「私、もっと研究を頑張って、お金入れるようにしますね!」
「なんでそうなる?」
「それくらいしないと、面目無いです」
何かを勘違いしているオゼッタに、ジュードは少し考えてから口を開く。
「……利害の一致であんたと付き合う訳じゃない」
本日何度目かになる、ぽかんとしたオゼッタの表情にジュードもそろそろ痺れを切らした。
「ああ、くそ。放っとけないんだよ。悪いか? そんな理由で好きになるのは」
「い、い、いえ。悪くないです!」
最早やけくそになって告白するジュードに、オゼッタは思わず返答する。
言ってしまってから冷静になったジュードは、溢れでた自分の本心に戸惑いつつも、なぜ自分が彼女が気になって仕方ないのか納得した。
「……飯、何がいい?」
今までにない感情にジュードには困惑も残ったが、それが嫌ではなかった。
ぱあっとみるみるうちに表情を変えるオゼッタは、わかりやすい。
「オムライスがいいです!!」
オムライスか。
家に食材はあったかな、とジュードは頭を回転させる。
ふわふわの卵にしたら、きっと目を輝かせるであろうオゼッタを思い浮かべ、ジュードは少し口角を上げた。
「わかった。また後でな」
ハイ! と元気よく返事をする彼女に、つい吹き出す。
笑われたオゼッタは、初めて見る彼の楽しそうな笑顔に目を奪われた。
しかし、ちゃんと準備しとけよ、と最後に釘をさされて、数日で汚くなってしまった部屋を思い出し顔を青くする。
ジュードを見届けた後、これからはちゃんとした生活をしないとな、と溜息をついたが、代わりに大きく息を吸う。
「よし」
まずは部屋の片づけからだ——
幾分軽くなったかのように感じる身体をグッと上に伸ばしてから、オゼッタは家の中へと消えていく。
結局、約束の時間までに準備を終わらせることができず、ジュードに叱られる話はまた別の機会に————