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君だけが見えた

作者: 伊野ヒロコ

7時45分。


私はまっすぐ、舗装されていない草はらの道を歩く。


シューズが汚れることよりも、駅へ近道したい人たちが通る小道。

私も、ローファーに朝露がかかることや昨日の雨で濡れたままの雑草なんて気にしない。

小道を抜ける、ひんやりとした青い風の匂いが好きだった。


その小道を暫く歩くと、住宅街から続く一本の砂利道が草はらと交じわる。

人の通りは多くない。

草はらに飲み込まれ、駅へつながる道。


その日。


私は、住宅街からの流れの中に見かけた姿に、思わず足を止めた。


高校に入学して3ヶ月。

初めて見かけたのか、いつもいたのに気づかなかったなか、分からない。

キレイな横顔だった。


映画やドラマで言うところの一目惚れとは、こんな感じだろうな。

息をのむとは、こんな感じかな。

今まで感じたことのない、私の中のいろんなものが、ミックスジュースのように混じり合い、小さな胸の中で騒いでいた。


その日からずっと、わずかに見た彼の横顔が、目の奥に焼き付いていた。


7時45分にその場所に立てば、彼と会えた。

私は、その時間ちょうどにその場所を通り過ぎれるように、時には小さな歩幅で、時には全力で走ったりもした。

我ながら、単純さに笑ってしまう。


雨の日にさす、深い青色の傘もすき。

少し斜めを向いた、運動靴の靴ひもの結び目もすき。

耳元の白いイヤホンもすき。

うつむき加減の横顔で揺れる長いまつ毛が好き。

すらりと伸びた後ろ姿がすき。

とにかく、すき。


私が知っていることは、彼が通っている学校くらい。

そんなことは、制服を見れば誰でもわかること。

学年も分からない。

体つきから、先輩じゃないかと思ったけれど、それも分からない。


友だちには言わなかった。

一目惚れなんて、ただのメンクイだと笑われそうだし。

情報収集されて、どこからか、私の気持ちが漏れ伝わるのも怖かった。

それに、何より、静かにこの時間を過ごしたかった。


私の気持ちは日に日に増すばかりで、学校の男の子たちに揺るぐことは無かった。


彼の姿を追うだけの日々はあっという間で、夏も過ぎ、冬も終わる。

春が来れば、彼が3年生なら卒業してしまうだろう。


もう、どこの誰かも知らない彼に会えることはない。


私は、彼が卒業するまでに思いを告げようと思った。

3月の初め。

その日、私は思い切って声をかけた。


結果は散々たるものだった。


私は、7時45分。いつもの小道で彼に声をかけた。

「あの」

彼は見ず知らずの女に声をかけられ、驚いたようすで足を止めた。

「ん?」

イヤホンを外し、私の方を向いてくれた。


背が思ったより高かった。

横顔もステキだけれど、正面の姿はさらにステキだった。


私は思わず見とれてしまった。

「どうしたの?」

彼は言った。

その声も優しかった。


私は、急に怖くなった。

こんなステキな人に告白しようなどと思った自分が、世界一の愚か者に思えた。

けれど、声をかけたのだから、ちゃんと言わなければ。

そして、ようやく出た言葉。


「今日は晴れですね」

今朝、近所のおじいちゃんにも言った言葉。

告白でも、なんでもない。

声をかけられた彼も、意味が分からないだろう。

この場に及んで、玉砕する自分が哀れで、逃げたのだ。

私は本当に腰抜け。


彼は私をじっと見て、少し笑って「そうだね」

と答えてくれた。

それから、ちょっと右手をあげると立ち去って行った。

目の前の哀れな少女に対する気配りだ。

私は世界一の腰抜け。


私は次の日から、いつもより少し早く家を出ることにした。

7時45分を避けて小道を行った。

彼に合わせる顔が無かった。


私の楽しかった毎日を、自分で終わらせてしまった。


それなのに、初めて正面で見た顔、あの声が私の心から離れない。

4月になったら、もう、彼は卒業してあの道を歩くことはないだろう。

私が逃げる必要もない。


4月。


私は高校二年生になった。


彼が卒業していたら、7時45分にあの場所を歩いても、会うことはないだろう。

そんなことを考えてるのに、もし会えたら?と思ってしまう私もいる。

相変わらず、我ながら図々しい。


その日。


ビクビクしながら小道を歩く。

7時45分。

彼の姿は無かった。

ほっとしたような、さみしいような気持ちで歩く。


すると、後ろで声がした。


「おはよう」


この声。

もしかして、と思った。

振り向くと、彼がいた。

制服を着ていた。


私は、おはようございます。と、小さな声で答えるのが精一杯だった。

彼は軽く手をあげてから、私の前をいつものように歩いて行った。


彼がおはようと言ってくれた。

もしかしたら、彼は私が告白しようとしたことに気づいていたのかもしれない。

まともに告白も出来ず、挙句に翌日から逃亡した愚かな女に同情して、あいさつをしてくれたのだ。

気まずい私の心を察して。


彼は天使ではなかろうか。

私の心が、再び彼で溢れていく。


駅までの短い道を、その後ろ姿を見て歩けるのだ。

一年先輩か、同級生なのだろう。

一つだけ、彼のことを知ることが出来た。

嬉しかった。



















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