81.リュカの受難
大変長らくお待たせいたしました。
目の前の豪華な肉料理を前に、彼はごくりと唾を飲んだ。
美味しそうだ。本当に美味しそうなのだ。塊肉に茶色のソースが掛かっており、食欲を誘う香りを立てている。肉汁がソースと混ざっているのも見えた。回りには色とりどりの野菜も置かれ、目にも美味しい。
だが。
だが、これはいったいいくらなのか。
「リュカ?食べないの?」
向かいの王太子殿下に言われ、慌ててフォークとナイフを手に取った。
「いえ、いただきます」
震える手で、肉を切る。ああ、柔らかい。
切り口から溢れる肉汁をうっとり見つめつつ口に運べば、想像以上の美味しさが待っていた。
ああ、美味しい。こんなお肉は何年ぶりだろうか。
リュカは、思いもかけず国王陛下と王太子殿下と3人で昼食を食べるようになってから、なるべく安そうなものを選んでいた。なにせ王太子殿下の給金から支払われるというのだ。3種類しかないとは言え、値段が分からないとは言え、肉料理を頼む勇気は湧かなかった。
だがその日は、初めて宰相も含め4人での昼食。お三方が肉料理を頼むなか、パスタを頼む心臓の強さをリュカは持ち合わせていなかった。
感動に目を潤ませ、食事に集中する。
見てはいけない。目の前で繰り広げられるイチャイチャを。
アンヌ王太子と宰相が、お互いにチラリと見ては視線を戻し、目が合うと照れ笑いをし合っている。いたたまれない。陛下を見れば目に光がなくなっていた。あああ、ですよね。
「と、とても美味しいですね」
「あ、ああ、そうだろう」
隣の陛下と会話しつつも、お互いに目の前が気になって仕方ない。
というか、陛下今まで大変でしたね!執務室の中で3人きりをよく耐えられて……!
思わずホロリとし掛ける。道理で歓迎されるはずだ。
この1ヶ月半で、リュカが最も仲良くなったのは、なぜか国王陛下だった。王太子の側近かつ宰相の補佐であるにも関わらず。
「リュカはもう少し太るために肉を積極的に取った方が良い」
「ありがとうございます。これでもだいぶ太りましたよ」
「それでか」
口での会話を続けながら、目でも会話をする。
『お二人は放置します?』
『いや……なにか話題を出せ!』
『そんな無茶な!』
リュカは必死で頭を働かせた。2人が興味を持ち、かつこの場でしても良い話……なんだそれは?!
執務室でならば、会話をしやすい。国家の機密情報が集まる場所なのだから。逆を言えば、食堂のような耳目の集まる場所では話せない内容ばかりを取り扱っている。
王太子と宰相の仲については甘い空気が高まるだけなので却下。もうお腹いっぱいだ。そもそもお2人の今後についても機密事項が含まれることがある。結婚に政治的な意味が付いてくるからだ。たとえ完全な恋愛結婚だとしても。
となると、話せることは。
「……そう言えば先日、ソラル殿下に手合わせ」
「遊んでくれたの?ありがとう」
アンヌ王太子に鋭く遮られた。表情はにこやかなのが逆に怖い。
え、これも言っちゃいけないんですか?
ちらりと陛下を見ると、小さく首を振られた。ダメらしい。
そして気付く。ソラル殿下、実際にお会いすると優秀で腹黒いイメージだが、全く優秀さが噂になっていなくないか?
冷や汗をかいた。
まさか、優秀さを隠しているのか。こんなところに地雷があるとは……。
「ええ、初めて2人でお話をさせていただきました。可愛い方ですね」
「そうなの!」
恐る恐る言葉を紡ぐと、満面の笑みが返ってきた。正解だったらしい。
「小さい頃は、本当に天使なんじゃないかと思うくらいの可愛さでね。今は男性らしくなって来たけれど、やっぱり可愛いのよ、あのはにかみ笑顔!」
……はにかみ笑顔?腹黒笑顔の間違いではなく?
何故、ソラル殿下と手合わせすることになったかと言えば、彼が姉について情報収集したいからだった。そして、牽制。
まだ11歳と思えない程の黒い笑顔で、彼はあれこれ聞こうとしてきた。その間、手は止まらず、リュカは吹っ飛ばされ息も絶え絶えになりながら、言っても問題のないことを考えるはめになった。体も頭もボロボロだ。
顔は確かに天使さながら。だが、中身が天使とほど遠い。怖すぎる。
しかし、アンヌ王太子から見ると、目に入れても痛くない程に可愛いらしい。
陛下に目を向けると苦笑が返ってきた。父親から見ても、ただの可愛い天使ではないらしい。
「殿下はよくお会いになられるので?」
「最近は全然ね。王太子になる前は毎日会っていたのだけれど……」
「うむ。私よりも会えないと、この間嘆かれたぞ」
「え?!お父様、いつの間に」
「2日に一度は子の誰かと食事を共にしているのは知っているだろう……」
「そ、そうですが……」
リュカは素直に驚いた。
「国王陛下ですのに、きちんと父親をされていらっしゃるんですね」
「ああ、平等に愛さないといけないからな。子育ては難しい」
以前パーティーに来たアドン殿下が目に浮かぶ。アンヌ王太子と同等に愛を、か……。それは難しそうだ。
だが、異母兄弟を区別してしまうと、政治的な問題が発生してしまうのが国王陛下の大変なところだ。自分には出来ないと、リュカは小さく身震いした。
昼食を終え、午後の業務を始めてしばらく。
アンヌ王太子と宰相が衣装合わせのために執務室を出ると、陛下は大げさに机に突っ伏した。
「あああ、本当にアンヌはあいつを婿に取るのかぁぁぁ」
苦笑する。先程の陛下と宰相の話を聞く限り、宰相は幼い頃から仲の良い従兄。娘の婿というのは複雑だろうと同情してしまう。
「宰相とは、いつから親しくされていらっしゃったのです?」
「そうだな……社交デビューの少し後だから、私が8つか9つの時か?」
「……それは、長いお付き合いで」
20年以上ということだ。遠慮がないのも頷ける。
「ああ、もう腐れ縁に近い。だが、あいつは優秀だからな、手放せん」
苦虫を噛むような顔をしつつも、陛下の声音は明るい。本当は信頼している大切な存在なのだとよく分かる。
「そんな優秀な方なのですから、大事な娘さんを預けるのも安心ではないですか」
宰相は、アンヌ王太子を様々なことから守り、慈しむだろう。
どんな手を使うか分からないという怖さには、瞑ってはいけないが目を瞑る。世の中、手も口も出してはいけないことがあるのだ、うん。
「……そうだな」
陛下の疲れた顔に、お疲れ様ですという意味を込めてへにゃりと笑った。同じことを考えていらっしゃるのだろう。ああ、不憫。
「だがな、私より年上の婿を取るなんて思わないだろう?!他の臣下から、何度リュカではなくヴィクトーで間違いないのか尋ねられたと思っている?!」
「……や、やめてください!死にたくないです!」
悲鳴になってしまう。なんて恐ろしいことを言うのだ。嫉妬深い宰相の耳に入った瞬間、精神的に八裂きにされる。……いや、もう八裂きの準備に入っているかもしれない。
陛下の言葉を遮るという、以前だったら真っ青になって謝るような不敬を犯しているのに気付かぬ程に、リュカは震えた。
「宰相殿の嫉妬深さをご存知ないのですか?!殿下と2人で話させていただくだけでも嫌味が5分続くのですよ?!そんな噂が耳に入りでもしたら」
「ええ、とても不快です」
冷えた声にリュカは固まった。同じく陛下も固まった。まさか、恐れていた事態が。
「リュカ、ラシーヌ侯爵を降りることはありませんね?」
「はいいいい!婿入りは出来ませんのでご安心を!!!」
力いっぱい肯定する。こんな大声を出したのは初めてかもしれない。体の震えを止められないまま振り返れば、目の笑っていない笑顔の宰相。
「そうですか、ならよろしい」
宰相は陛下にも目を向ける。しゃきん、と陛下の背筋が伸びた。
「陛下、いや義父上?くだらないことをお話しになっているのであれば、衣装合わせに行ってください」
「く……!わ、分かった……」
陛下の気持ちを代弁するなら、お前に義父と呼ばれたくなどない!だが怖い、余計なことを話していたのは事実だからこれ以上言えぬ、口で勝てるわけがない、なら逃げるか、くそ……!といったところか。
リュカは少しの同情を視線に乗せた。陛下のせいで睨まれたという気持ちもあるので少しだけ。
……そういうところが宰相に似てきたと言われる所以か。
リュカは、飛び出していく陛下を見送りながら、苦笑した。自分も、ずいぶんとここに慣れたものだ。そして、ここが自分の居場所だと、思えてしまっている。
幸運なことだ。
リュカは、何度目か分からぬ感謝を、執務室の3人に捧げた。