31.残る感触
ヴィクトーは、公爵家の次男として産まれた。
社交界に出れば、多くの女が寄ってきた。
公爵としての面倒な仕事もなく、財産分与でお金にも困らない将来が約束されているからだ。
そもそも、顔が良く、落ち着いているヴィクトーは、その背景がなくてもとてもモテた。
だが彼は、女に興味が持てなかった。
兄はデレデレと色んな女と浮名を流していたが、ヴィクトーには全く気持ちが分からなかった。
ただ、人間観察は好きだった。
ヴィクトーは常に壁際にいたが、脅威のパーティー出席率を誇っていた。
そして、誰が誰と仲が良く、誰が誰と仲が悪いのか、どんな事件が起きたのか、情報を集めていった。
その頃だ。
ヴィクトーに、金翼の王子に仕えないかと話が来たのは。
情報収集が趣味のヴィクトーは、もちろん彼の評判も知っていた。
母親が男爵の娘で、全員が彼を支持しているわけではないことも。
それでも仕えることにしたのは、王子の人懐こさに絆されたからだ。
ドジも多いが、なぜか助けてやりたくなる。
そんな愛嬌を持つ人物だった。
政争に関わるようになったヴィクトーだが、そこは彼にとって天職だったと言える。
人の信用度を計るのは、人間観察が趣味の彼にはお手の物。
裏から手を回すのは、女や下級貴族をこっそり蹴散らしてきた彼には慣れたもの。
父や兄から縁談を勧められることはあったが、次男であるためそこまで強くもなかった。
何より彼は政治の世界が面白くて仕方なく、毎日忙しくしていたのだ。
女にうつつを抜かす暇はなかった。
それなのに。
ヴィクトーは1人廊下を歩きながら自分の手を見つめた。
先ほど思わず触ってしまった羽の柔らかさを思い出す。
人の、それも女性の翼を触ることは、家族か恋人にしか許されない。
ヴィクトーは、そんなことは百も承知だった。
今まで、間違っても勘違いされないよう、極力気を付けて来たのだから。
なのに揺れる黄金の翼が目に入った時、触りたいという本能が勝ってしまった。
びくりと震える彼女を見て、熱い感情が溢れ出そうになった。
ため息をつく。
らしくない。女に惑わされるなんて、33年生きてきて初めてだ。
だが彼には、あの羽の触り心地を忘れることは出来そうになかった。
王太子就任のパーティーでも、彼は遠目に彼女を見ていた。
彼女は愛想笑いが上手だ。
次々と挨拶に訪れる貴族は、取り入ることが出来ると期待し、息子の婿入りを流され失意に沈む。
上手いものだと舌を巻く。
だが、男とばかり話す彼女にイライラが募る。
貴族達の目から遠ざけたかった。
今日の彼女は、いつにも増して綺麗なのだ。
普段のシンプルな服装と素っぴんでも美しい彼女だが、豪華なドレスに髪型、メイクをすると、いっそ神々しい。
そこまで考えて、ヴィクトーは自嘲した。
これは相当、彼女に参っているなと。
その申請書も、破り捨てたくてたまらなかった。
だが、それは問題になりかねないため、渋々王に手渡す。
そして王も不機嫌になった。
王とヴィクトーが当時くだした決断が、まさか自分たちの首を絞めるとは思わなかった。
人間との混血は王にはならない、知恵遅れの王子がお似合いだと思っていた自分を殴りたい。
ここまで、王もヴィクトーも骨抜きにされるとは。
そろそろ結婚をさせたいと、ヴァロンティンヌからの書状には書かれていた。
彼女の先見の明には脱帽だ。
金翼とは言え、第1子であったことから、誰もが他にも金翼が産まれると思っていた。
そんななか、彼女はもしもに備えていたのだ。
王太子の婚約者の母親となれば、権力が高まるから。
王と2人で話していてもらちがあかないと、アンヌ王女を呼びつけた。
彼女が嫌がれば、それにかこつけて延期くらいは出来ると思って。
だが彼女は、思っていた以上に大人だった。
「も、元々婚約していましたし」
「だが!まだ15歳だろう!」
「金翼の女ですから仕方ないと思っています」
「あ、アンヌ……っ!」
彼女は運命を受け入れていた。
その年で、と辛く思った時、彼は別のことに気付いて愕然とした。
彼女は、まだ、15歳、なのだ。
客観的に自分を見て、引いた。
ちょっと待て、18も下の娘に手を出そうとしたのか自分は。
だが彼女は、15歳には見えない。
外見はまだ幼さも残っているが、中身はとても大人だ。
父親である王の方がよっぽど子供のようだ。
その彼女の父親は、自分より1つ年下。
いくら大人びていても、父親より年上の男と結婚したいと思うか?
さらに、この喚いている男が義父。
苦労しか待っていなさそうだ。
それでもヴィクトーは、腹を決めた。
彼はどうしても、彼女以外を愛せそうになかったから。
「陛下は、アンヌ王女の結婚が嫌なのですか。相手がスタンスラス殿下であることが嫌なのですか」
「……どちらもだ」
王の目が剣呑とする。
本当に親バカだ。
どう伝えても激怒することが分かっていたので、あえてヴィクトーはさらりと言った。
「では私が婿入りしましょうか」
「……私より年上のお前に、娘はやれん!!!!」
今日一番の大怒声が執務室に響き渡った。
アンヌ王女が王をなだめる。
こうして見ると、本当に親子とは思えない。精神年齢が逆すぎる。
アンヌ王女は、うっすらと頬を染めていた。
ヴィクトーは嬉しくなって頬笑む。
完全なる対象外という訳ではないようだ。
彼女の全てが、愛おしくてたまらなかった。
自分でも、口元も目元も緩んでしまっているのが分かる。
アンヌ王女との甘い雰囲気に気付いた王が、まさか、という顔をした。
「ヴィクトー……お前、アンヌに何をした?」
剣を取ろうとした彼に、肩をすくめる。
まだ何もしていない。羽を触っただけだ。……しているか。
「お、お父様。こんなところで殺傷事件はマズイですよ?!」
「止めるなアンヌ!」
「いやいやいや、ヴィクトー先生いなくなったら困るのお父様じゃないですか!」
「……」
アンヌ王女が言った言葉に喜ぶ自分は単純だ。
やはり自分も、女性に褒められたい男という種族だったらしい。
ヴィクトーは短く息を吸った。
冷静になれ。
自分に渇を入れ、声を掛ける。
「スタンスラス殿下との婚約を破棄するには、それなりの相手との婚約がいると思っただけですよ。私は宰相という地位ですし」
嘘八百だ。
自分ならば王以外の反対を受けないとは思うが、理由ではない。
ただ彼が、彼女の夫という立場になりたいだけだった。
少し納得しかけている王を見て、いたずら心が出てくる。
ヴィクトーはニヤリと笑った。
「ただヴァロンティンヌ殿とやり合うのは疲れるので、第二夫人でも良いです」
「……2人もの男にやらん!!!」
予想通りの動きをしてくれるな、とヴィクトーは楽しそうに笑った。