19.闘いました。
教科書とノートを机に広げ、私は背筋を伸ばして待っていた。
今日は初めての政治の授業だ。
教科書は一通り読んだが、どんな難題を出す先生かは分からない。
緊張で速くなる鼓動を、深呼吸で落ち着かせる。
コンコン
ドアがノックされた。待ち人来たり。
「はい、どうぞ」
立ち上がり、先生を迎え入れる。
そして思わずポカンと口を開けてしまった。
「……宰相殿?」
「今はヴィクトー先生とでも呼んでいただきましょうか」
瞬きを繰り返す。
いや、まさか?
「……私に、政治を教えてくださる先生は」
「ええ、私です」
……なんで?!宰相殿ってものすごい忙しいはずでしょう?!
「お忙しいヴィクトー先生に教えていただけるなんて光栄ですが、宰相としてのお仕事は」
「陛下に頑張っていただきます」
……頑張れ、お父様。
「教えてくださるというのであれば、ぜひ学びたく思います。よろしくお願いいたします」
私はそう言って、先生用の椅子をヴィクトー先生に勧めた。
政治のトップに政治を教われるなんて、すごすぎる。
お父様には尊い犠牲になっていただき、なんとしてでも多くを学び取りたい。
笑っていない目で、こちらを目踏みするように眺められても。
「では、始めましょうか」
「はい!」
絶対に食らい付いてやる!
私は決意を目に宿らせ、ペンを手に取った。
「なぜ王は平時は軍事に関して任命権しか持たないと思いますか」
「軍事に明るくない王が下手な采配をしないようにするためでしょうか」
「軍事に特化した王も歴代にはいらっしゃいます」
「っ、では、任命権と指揮権を同時に持つのは良くないから……?」
「ほう。なぜです?」
「そ……それは」
なめていた。
他のどんな授業より辛い。
とにかく全てのことに理由を求めてくるのだ。
前世の知識まで総動員して頭を働かせる。ダメだ、頭から湯気が出そう!
「……分離させることで、一筋縄ではいかなくなります!」
ヴィクトー先生が、ふむ、と頷いた。
「そうですね。なかなか頭を働かせるではないですか」
びっくりして、じっと顔を凝視してしまった。
ケントと同じ、人を褒めない種族かと思っていたが、意外とストレートに褒めてくれる。
「なんです?」
「褒めていただけると思っていなくて」
そもそも、有翼族の先生に褒められたのはこれが初めてではないだろうか。
思わず笑みがこぼれてしまう。
「このくらいで満足していただいては困ります。次に行きますよ」
「はい!」
私の返事は、最初と全然違うだろう。楽しくて仕方ない。そんな気持ちが声に乗ってしまった。
前世ではそんなに勉強は好きではなかったのにな。
そう思いながら、私はヴィクトー先生の授業に集中していった。
「では、ここまで」
私は肩で息をしていた。
本当に頭を使った。知恵熱が出そうだ。
「あ、ありがとうございました」
「はい。ああ、次の時までにこれとこれを読んで覚えておいてくださいね」
思わず笑みがひきつった。
ヴィクトー先生がノートに書いたのは、明らかに難しそうなタイトルだ。
それを2冊も、覚えて来い、とは。
持ち出し禁止の図書室で読んで覚えろということと思われる。
スパルタが過ぎる。
「出来ないんですか?」
「で、出来ます!」
やっぱり彼はケントに近い。
出来るならどんどんレベルを上げるタイプだ。
大変な分とても実力が上がる。
「ではまた来週」
ヴィクトー先生は口角を片方だけ上げながら去って行った。
そして私は、机に突っ伏して寝るという初めてを経験した。
「くーーーっ!」
廊下に出て一人になると、ヴィクトーは大きく伸びをした。
とても充実した時間だった。
子供相手に思わず本気で問い詰め、議論にまでなりかけた。
ここまで彼が議論を白熱させることは稀だ。
あまりにも楽しかった。
だが、残念にも思った。
王族の私室エリアから出ると、ヴィクトーは背筋を伸ばした。
冷徹な顔を貼り付ける。宰相モードだ。
「ご苦労だった」
小さく呟く。
離れたところで影が動いた。
ヴィクトーは真っ直ぐに王の執務室へ向かう。
コンコン ガチャ
「入ります。ヴィクトーです」
「もう入っている……」
ゲッソリとジョセフが突っ込みを入れた。
こちらもかなり疲れているようだ。
「体力がありませんね」
「いやいや、そなたがおかしいのだ!なぜこの量をこなせるのだ!」
肩をすくめる。
なぜと言われても、効率を考えながら行えばギリギリながらもこなせるのだ。
ただそれを王にはさすがに言えなかった。バカにしていると取られかねない。
「もしかすると、アンヌ姫はこなせるかもしれませんね」
代わりにそう言えば、ジョセフは簡単に食い付いてくれる。
「お?!認めてくれたのか!」
「頭の回転の速さは」
「王としてではないのか?」
そう。頭の回転は速い。部下に欲しいレベルに。
だが。
「彼女は宰相向きです。陛下のではなく、私の後継者にしたい」
きっと、豊富な知識と頭の回転の速さで、実務をよくこなしてくれるだろう。
だがそれは、王にはなくても良い能力だ。
「あれでは、宰相になる者を選んでしまいます。付いていける者がいなくなる」
王が優秀であることは良いことだ。
だが、彼女には負けず嫌いなところがある。
王位争いの際には良いだろうが、自分が頂点に立った時、彼女は誰に負けないようにするというのか。
臣下の意見を、自分を負かそうとしていると感じて突っぱねるのではないか。
正しき方へ導くには、頭の回転の速い彼女を説得しなければならない。
彼女を説得できるような宰相が、彼女の時代に出てくるのか。
ジョセフは、こてんと首を傾げた。
「そなたが支えることは出来ぬのか?」
ヴィクトーは大きく目を開いた。
思い付かなかった。
確かにそうだ。ジョセフ王より一つ年上のヴィクトーだが、ジョセフ王が退位しても宰相位にいることは難しくない。
王位は王太子が成長したところで交代することが多いが、宰相位にはそれはない。
少し長生きすれば良いだけだ。
そもそも彼は最年少で宰相になっているのだ。未来はまだまだある。
「……そうですね。私が認める後継者が出るまでは、私が支えましょう」
ジョセフは喜色満面だ。
自分が退位した後の話をしているというのに、なんとお人好しなのか。
「では……?」
「ええ、アンヌ王女を王太子に推薦いたしましょう」
「よっし!」
喜ぶジョセフの前で、ヴィクトーは悪い笑みを浮かべた。
「そして仕事を手伝わせましょう」
ジョセフはがっくりと崩れ落ちた。
ヴィクトーの狡猾さ増し増し(2019/04/17)