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3.甦る過去

 気がついたら葵は街外れの工業地帯まで来ていた。と言っても不況のため、すでに閉鎖されている工場ばかりが立ち並んでいる場所である。そのため、この場所に訪れる人は殆どと言っていいほどいない。実際に廃ビルや工場・倉庫に勝手に入り込み溜まり場にしている少年達がいるという話を聞いたことがある。

 彼は一体どこに行ったのか?

 後をつけていたが途中で見失ってしまった。もう陽も沈みかけてきて、辺りに暗闇が生まれてきている。唯一の明かりは防犯のためにつけられている照明や街灯だけとなってしまった。

 色々と思案を巡らせている葵の肩に誰かの手が置かれた。

 ビックリして振り返ると、裕美、美穂、そして和彦がいた。

「ちょっとちょっと。捜しちゃったわよ。急に走り出したかと思ったらこんなとこまで来ちゃうんだから。……で、彼は見つかった?」

 裕美の問いかけに葵は首を横に振りながら答えた。

「ううん、途中で見失った。それよりもどうして後をついてきたの?」

 葵は心配と抗議の気持ちが入り混じった声で三人に尋ねた。

 しかし、裕美はあっさりと答えた。

「アンタ、水臭いわよ。あたしら友達じゃない。友達を一人だけ危険な目に遭わせるわけにはいかないわよ」

 握り拳を作り、ニッコリと微笑む。しかし、その笑顔はとても楽しそうなもので、どうもこの場には余り似つかわしくない趣である。どこか自分が愉快な気分になっているときのような笑顔だ。

「そんなこと言ってるけど本当は好奇心に駆られて、じゃないの?」

 長年一緒にいる美穂はすぐにその笑顔の意味を理解し、チクリと嫌みを言った。

「ははは、そうだっけかなぁ」

 ごまかし笑いをした後、キッと美穂を睨む。

「でもさ、どうする? 見失ったんでしょ」

 不意に裕美が葵に尋ねる。

「……捜す。しらみ潰しにしても」

「あんたねえ、一体どれだけあると思ってるのよ? それこそ日が暮れちゃうわよ。もう暮れてかけてるけど」

 大げさに肩をすくめて呆れ顔になる。

「でも、捜すんだったらしらみ潰しにするしかないんじゃないの? 現実的に」

 美穂の言葉に葵は頷いた。と同時に少しばかりの安堵感が葵の心の中に生まれてきた。自分を心配してくれている三人に対して正直嬉しく思ったのだ。

 結局、廃工場や空き倉庫を手当たり次第に調べて回ることになった。

 しかし、ゴーストタウンと言っても過言ではないくらいに多くの工場や倉庫が朽ち果てるに任せて放置されている。そんな中から見つけ出すなどと言うのはそれこそ気の遠くなるような話だ。

 無数の煙を吐かない煙突が立ち並び、工場と工場をしきる壁に使われているトタンや金網は塗装が剥がれ落ち、ざらついた赤錆に覆われた無惨な姿をさらしている。

 また、工場から突き出た排水用の巨大な管が、いくつも近くを流れる水路の壁面に突き出ている。その周りは酸化した管からさびが剥がれて赤茶けた染みをつくり出していた。

 まるで、この場所だけ時代の流れから取り残されているような、そんな錯覚さえ感じてしまう。

 どれくらいこの地区を探し回った後か、ふいに和彦が口を開いた。

「三人とも静かに。何か物音が聞こえるような気がするんだけど」

 和彦の言葉で三人は声を潜めた。すると確かに和彦の言うとおり、物音がかすかに聞こえてきた。

「あそこじゃないのかな?」

 美穂が指を指した先には大きな工場があった。巨大なコンクリの外壁に囲まれたそれは、使われなくなってから随分と経っているようで、色々な部分がボロボロになっている。

 工場に近づいていくと、「関係者以外立ち入り禁止」と書かれた札が壊されて、無惨な姿で地面に転がっていた。入り口の錠前も破壊されて、風が吹くたびに空しく音を立てながら微かに開閉をしている。

 四人は息を潜めながら、工場の敷地内に入った。物音はどんどん大きくなっていく。

「ビンゴみたいね。でも、なんかお化け屋敷みたいだね。幽霊とか出てくるかも。恨めしやーって感じに」

「馬鹿なことを言ってないの」

 裕美の軽口を美穂が制したその時、また再び物音が聞こえた。今度は何か物が崩れるような音で、前の時よりもはっきりと聞こえる。時折、人の笑い声も聞こえてくるが、何やら嘲りに近いひどく下品なものであった。それも一人ではなく、複数の人間が居るようだ。

 音のする方向へ四人は顔を向ける。その先には大きな倉庫があった。

「あそこから、……だよね? 何かヤバそうな音が聞こえてるんだけど」

 裕美が顔を引きつらせながら言った。

「これって、警察に連絡した方が良いんじゃないかな?」

「でも、ここいらに公衆電話なんて少ないから、見つけるのは大変よ」

 どうするべきか、と考えている裕美達に、葵は言った。

「とにかく、行ってみよ」

 葵はそう言うと一人で奥へと進んでいった。

「あっコラ! また勝手に。待ちなさいよ葵! ホラ、行くわよ二人とも」

 はやる葵に急かされるように裕美達も中に入っていった。


 倉庫の入り口近くまで四人は辿り着いた。

 物音と、人の声が大きくはっきりと聞こえてくる。

「オラ。立てや」

「今更、俺らから逃げられると思ってるんじゃねえぞ!」

 乱暴な言葉遣いと共に人の体を殴ったり、蹴ったりしたときの、独特の鈍い音が聞こえてくる。

 幸い見張りは居ないようなので、倉庫の入り口からそっと中を覗いてみると、葵達が予想した通り、水原が四~五人の不良に囲まれて私刑を受けている。水原は葵達が辿り着く今までの間にも散々痛め付けられたのだろうか、グッタリして動かなかった。

「うっわー。ガラ悪ぅ。どうするの? 葵。完全にやばいよ。やっぱ戻って警察に行った方が良いんじゃない?」

 裕美は、思った以上に深刻な事態になってしまっていることに気付いて、警察へ通報しようと葵に言った。しかし、葵の答えは否であった。

「駄目よ。警察に通報して、それから現場に到着するまでに時間がかかるわ。その間に彼が無事だという保証はどこにもないし」

 葵はそう言うと袋に入れられた竹刀を握りしめ、裕美、美穂、和彦の三人に言った。

「私があいつらを蹴散らして隙を作るから、そうしたら彼を連れてここを出て警察に行ってちょうだい。後は何とかするから」

 葵はそう言うとケースから竹刀を抜き取る。それを見て裕美は葵を思いとどめようと言葉を発した。

「止めときなさいよ。いくら葵だってあんな凶器を持っている相手があんなにいたら勝ち目はないわよ。悪いことは言わない。戻って警察に通報した方が良いよ」

「僕もそう考えるよ。女の子を危険な目に遭わす訳にはいかないからね」

 裕美に同調して和彦が言った。美穂も「私もそう思う」と言って首を立てに動かす。

 葵は彼らが葵の身を案じていることを嬉しく思った。しかし、葵は三人に言う。

「ありがと。でも、やっぱり私はあの人を見捨てられない。もっと酷いことをされかもしれない。仮に通報したとしてもこの場所からいなくなっているかもしれない。そうなったらお終いよ」

 葵は静かに竹刀を握りしめて、三人に言った。

「それにここで助けなかったら、一体、何のために私は剣を学んできたの」

 葵が言い終わると、裕美が「ヤレヤレ」と言わんばかりに肩をすくめて言った。

「しょうがないわね。これ終わったらラーメンでもおごってもらうわよ」

 裕美の軽口に葵は「いつかね」と首を縦に振った。


「何だよ。コイツもう動かなくなっちまったぜ」

「バカだなあ、俺らを裏切るような真似すっからこうなるんだぜ」

「お前だけ今さら逃げようなんて甘いんだよ」

 周囲に嘲り笑う声が響く。嘲笑の中で水原は口を開いた。

「……沢渡。俺はもうお前らの言いなりは御免なんだよ。それを裏切りって言うのならそれで構わないぜ。だけどな、振り回されるのはもう御免だ。そうなるぐらいなら死んだ方がずっとましだ、ていう具合にな」

 不良少年の一人――沢渡と呼ばれた少年が力無く倒れた水原の腹部を乱暴に蹴ると、頭を勝ち誇ったように踏みつけた。

「そんなに死にたかったら死ねばいいじゃねえか。望みどおりにしてやるよ」

「おい、沢渡ぃ、そいつはさすがにヤバくないか?」

「そうだよ、そんなことしたらコトだぜ」

「うるせえな、がたがた言ってるとてめえらも殺すぞ?」

 沢渡は倒れている水原の胸ぐらを掴み無理矢理立ち上がらせると、最期の別れに裏切ろうとした少年の顔をおがもうとした。

 その時だった。沢渡の耳に悲鳴が聞こえた。

 何事かと後ろを振り返ると、後ろでニヤニヤしながら見物していた不良の一人がうめき声を上げて後頭部を両手で押さえながら悶絶している。

 そのすぐ横には、背の高いセーラー服を着た少女が竹刀を持って怒りの表情で仁王立ちしていた。

 他の不良少年達は突然の乱入者である葵の存在に気を取られて呆然としている。

「てめえ、誰だ! どこから入ってきた」

 沢渡は葵に問いつめたが、葵は黙ったままだ。

「シカトこいてるんじゃねえぞ! この女!」

 金髪に染めた不良が葵の胸ぐらを掴みながら言った。

 しかし、葵はいとも簡単に不良の手を捻り上げてしまう。

「気安く触らないでくれる?」

 言い捨てると、そのまま不良を投げ飛ばした。背中から地面に落ちた不良は何度も咳き込んでその場に蹲ってしまう。

「何があったか知らないけど、その人は私の同級生なの。その辺にしてくれない?」

 水原を掴まえていた沢渡は手を放すと、葵のほうに数歩ほど歩み寄ってきた。

「姉ちゃんよぉ、これは俺とコイツの問題なんだよ。てめえにあれこれ言われる筋合いはねえよ。それに自分の置かれてる状況が解ってるのか?」

 荷物の影に隠れていた不良が姿を現す。どうやら、覗いていた所からは死角になっていたらしい、その数は七人ぐらいだろうか。不良の中には、舐めるようなイヤらしい視線で彼女の体を見ている者もいる。

「解っているわよ。けどね、こんな非道いことをされている人を見殺しにするのは気が引けるのよ。それに、そっちがその気なら、こっちはあんた達をここで打ちのめした後で警察に突き出すだけの話なんだから」

 余裕に満ちた葵の返答に、沢渡は怒りを露わにして言った。

「ふざけんなよ! 一人でこれだけの人数に勝てると思っているのか? てめえみたいな生意気な女は俺は大嫌いなんだよ」

 その言葉を皮切りに、木刀を持った少年が葵に打ちかかってきた。しかし、打ちかかる木刀に強力な竹刀の一撃をくわえた。竹刀はその一撃で折れてしまったが、その衝撃で彼の手から木刀が手放される。両手に信じられないほどの衝撃を受けた少年は、言葉にならない悲鳴を上げてその場に座り込んでしまった。その不良少年を無理矢理引き起こし、右手で思い切り頬を張り飛ばした。

 落ちている木刀を奪うと、葵は残りの不良少年達に言った。

「こんなもの使うのは気が引けるけど、木刀は竹刀とは比べものにならない程痛いわよ。やめておくなら今のウチだから」

 頭に血が上りかけた沢渡は威圧するように葵に言い放つ。

「うるせえ! 勝ち目がないのはお前のほうだよ! 数ではこっちが有利なんだ。今だったら俺達の相手するだけで許してやるよ」

 周囲から欲望丸出しのいやらしい視線と笑い声が聞こえてくる。

「もういい。情けはいらないみたいね」

 言葉遣いは普段と変わらないが、声には明らかに怒りがこめられていた。

 彼女の眼が鋭さを増す。正視することが出来ないくらいの、見るのもおぞましいほど鋭い動物的な眼である。

「ぶっ殺せ!」

 言うやいなや、一斉に不良達がバット、木刀、鎖といったそれぞれの得物を持って葵に襲いかかった。

 葵はそれぞれの攻撃を一つずつ避けながら、確実に相手の武器を打ち落としては肘を当てたり、足を払って倒していく。あっという間に四人が倒された。

 その光景を見た残り一人の不良は次第に尻込みして葵に近寄らなくなってしまった。

 しかし、葵は攻撃の手を休めない。あっという間に残った不良が投げ倒されてしまった。

「何なんだ! この女は」

 わけが解らないという様子で投げ倒された不良は苦しそうに言った。

「……私はあなた達と何一つ変わらない人間よ。何一つ。違うとしたら、こんなことが死ぬほど嫌い、それだけよ」

 倒れた不良を無理矢理引き起こして首筋に手刀を打ち込み昏倒させた。

「くそ! おい水原をこっちに連れてこい! 早く!」

 沢渡は後ろにいる仲間に言ったが、返事が一向に返ってこない。痺れを切らし後ろを振り返ると、水原の姿が無い。その代わりに水原を捕まえていた仲間が股間を押さえて呻いていた。 行方を捜すように辺りを見回すと三人の男女が水原を連れて逃げている。

「てめえ! ハメやがったな? おい! あいつらを追え。早くしろ」

 沢渡の一声で後方にいた生き残りの二人が、裕美達の追跡を開始した。葵はその後を追おうとしたが、行く手を沢渡に阻まれてしまう。

 その時、葵の表情が固まった。慌てるように後ろに退く。

 沢渡の右手にはバタフライナイフが握られていたのだ。

 それまでの彼女とは正反対に、顔から血の気が失せて、呼吸が乱れる。まるで強者から虐げられる弱者のようにジリジリと後ろに後ずさる。

「おいおい、どうした? びびってんのか? まさかナイフを見るのは初めてか?」

 嘲るような笑みを浮かべ、葵に見せつけるようにナイフを弄ぶ。その度に薄暗い照明に反射して、彼女の目に鈍い光が飛び込んでくる。

「残念だったな。これでてめえもあいつらもお終いだ。まずお前からぶっ殺してやるよ」

 沢渡の目は本気だった。あるのは目の前に映る生意気な女を排除することだけである。

 ジリジリと二人の間合いは狭まっていく。相手の持っている武器は容易く人を死に至らしめることのできるナイフである。刺されればいっかんの終わりだ。

「……いや、……いや、やめてよ」

 葵は後ずさりしながらも、木刀を構え、必死にこの状況から逃れようとする。しかし切っ先は震え、とても構えているとは言いがたいものであった。

「何だお前、恐いのか? 命乞いでもしたいか? でも、もう遅いぜ。ぶっ刺してやる」

 沢渡が猛烈な勢いで突進してくる。

 それを反射的に葵は木刀を下から振り上げるようにナイフをはじき飛ばした。

 その勢いのまま沢渡を鍔で突き飛ばす。ほとんど条件反射のようなものであった。

 沢渡は、呻き声を上げ、苦しそうな顔で目の前の少女を睨み返す。しかし、葵と同じように今度は沢渡の顔が蒼ざめた。

 沢渡が見た彼女の顔は顔面蒼白、荒い呼吸を立て、歯を鳴らし、目はどこを見ているのかすらこちらからは分からないほど小刻みに動いている。切っ先も、とても剣の心得がある者とは思えないほどぶれている。誰の目からも、彼女が恐怖で正気ではなくなっているということが明らかであった。

「おい、やめろ! やめろー!」

 喚き、必死で叫び声を上げる。しかし、彼女にはその声は決して届かなかった。

 内側からこみ上げてくる衝動に引きずられるようにして、無情にも沢渡の喉元に向けて木刀の剣先が猛烈な勢いで突き出される。

 しかし、突きを放ったその刹那、葵の心に正気の色が戻った。

 剣先は沢渡に当たらなかった。当たるか当たらないか、そのような絶妙なタイミングで止めたのである。

 しかし、沢渡は完全に気を失ってその場に仰向けになって倒れた。

 葵もその場にへたりこんでしまった。呼吸も乱れて、肩で息をしている。体中からじっとりと嫌な汗も流れてくる。

 あの突きが完全に決まっていたら、おそらく沢渡は即死だったであろう。なぜ、あんな危険な技を放とうとしたのか? 咄嗟の判断であったのか? それとも無意識に相手を殺そうとして放ったのか? どちらなのか、本人にも分からない。当たる寸前に何とか止めただけのことであった。

 木刀を放り投げ、まだ、小刻みに震えている両の手を見ながら、何かに言い聞かせるように独り言を呟く。

「……馬鹿、馬鹿、……ばか」

 発せられる声さえ呪わしくなり、それを殺そうと口元に自然と手がいってしまう。

 けれど、いつまでも続くかと思われた嗚咽もやがて収まり、心に冷静さが戻ってくる。

「……早く、こいつらを何とかして後を追わないと」

 急いで呼吸を整えて立ち上がると、気を失っている沢渡達を放置された荷物の周りに散らかっているロープなどで縛り上げる。その後、木刀を拾い倉庫の外に広がる薄闇の世界の中に駆けだしていった。

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