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パッション ― 受難のロザリオ ―  作者: 遠藤賢治
Episode2.「人の創りし偶像」序章
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序章

 ――まもなく二番線に山手線内回り、日暮里・池袋方面の電車がまいります。危険ですので黄色い線の内側まで下がってお待ち下さい。

 場内アナウンスが放送されるJR上野駅のホームは、いつものように多くの人で溢れかえっている。それは、東京の通勤・通学時間帯ではありふれた光景である。

 電車を待つ少女にとっても、とりわけ気にするようなことではない、いつもの光景であるはずだった。

 だが、今日に限っては違和感を感じていた。サラリーマン同士の世間話や、仕事に関する会話、自分と同じ高校生の他愛もない会話――昨日のテレビ番組についてや、同級生たちの噂、学校の教師に対する陰口も、彼女にとっては通学時間のちょっとしたBGMのようなものだった。

 それなのに、それらが自分に害を為すものが迫ってくるのを覆い隠す雑音のように思えてたまらない。ゆっくりと、ゆっくりと、何か得体の知れないものが自分に近づいてきているように少女には感じられた。

 不安によって少女の動悸が激しくなり、呼吸が荒くなる。両目も泳ぎ始め、半開きの唇の奥からは、上下の歯が小刻みにぶつかりあう鈍い音が漏れてくる。

 自分の思い過ごしかもしれない、と彼女は呪文のように何度も自分に言い聞かせ、気持ちを落ち着かせようとする。しかし言い聞かせれば言い聞かせるほど、かえって不安や恐怖が増幅されていく。同性からも可愛いと言われることも多い端正な顔が、痛ましい程に歪んでいく。

 目だけで後ろを確認する。整列することさえできないくらいに溢れかえった人の群れが視界を覆う。それは、少女にさらなる絶望をもたらす。

 右を向く。視界には新聞を四つ折りにして記事を読む中年のサラリーマンがいる。だが、彼は周りの様子に気をかけている様子は見受けられない。

 左を向く。若い女性がしきりに左手首に巻かれた腕時計を見て時間を気にしている。

「あ、あの……」

 意を決して、少女は女性に声をかける。

「ん? 何よ、突然声をかけてきて?」

 少し迷惑そうな顔で一瞥をすると、再び無関心を決め込んでしまう。その冷淡な態度に、助けを求めようという気すら起こせなくなってしまう。

 都会にありがちな、不気味にさえ思えるほど無関心を決め込む人々。その光景は、異変に巻き込まれた少女をどんどん追い詰めていく。その瞳からは光が失われていき、表情もどんどんと強ばっていく。にもかかわらず、彼女を周囲を取り囲む人々は、なおもその異常な事態に関心を持とうとしなかった。

 そして、少女が前を見ると、そこには目の不自由な人を誘導するための黄色の点字ブロックがあり、その先には線路がある。それが何を意味するのかは言うまでもなかった。

 ――何で今日に限って、私はホームの端に立っているんだろう?

 次の瞬間。少女の体が突き飛ばされたかのようにホームに向かって飛び出していった。

 突然のことに、少女の目と口が驚きのあまり大きく開かれる。

 周りの電車を待つ乗客の悲鳴が、少女の意識をはっきりとさせる。

 その刹那、駅には耳を劈くような列車の警笛音が鳴り響く。自分が何者かに突き飛ばされたのだと、少女が気づいたのはそれとほぼ同時だった。

 そして、大きく見開かれた少女の視界には、うぐいす色の一本線が引かれた電車の先頭車両が飛び込んできた。

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